寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

老人と中年

2007年10月16日 | 外食
とある割烹のカウンター。ネタケースの上のザルには形のよい松茸がてんこ盛り。隣のよぼよぼの爺さんは茶を飲むだけで、何も食べていなかった。そこへ土瓶蒸しが運ばれてきて、老人はお猪口にだしを注いで飲み始めた。

私がサワラの造りをつまんでいると、隣に焼き松茸が出された。香りをタダで分けてもらって酒を飲んでいるという何とも妙な感じである。手持ち無沙汰な板前が「今日の松茸はほんとにいいですよ。焼きましょうか」と尋ねた。

「値段も飛び切りだろうが…俺は匂いだけでじゅうぶんだ。寄島のカキを酢の物にして」と返したので板前はニタニタ笑っていた。小振りのカキだったが、海のエキスがたっぷりで、喉をツルンと通過し胃袋に落ちていった。

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漱石夫妻 愛のかたち / 松岡陽子マックレイン(朝日新書)

2007年10月16日 | 書籍

2007年10月30日第1刷発行、定価700円(税別)

著者は松岡譲(作家)と夏目筆子の間に生まれた娘さんで、漱石の孫にあたる。母から聞いた祖父の話がうまくまとめられた本だ。

受験期に『道草』の夫婦の会話を読んで「どちらも意地っ張りだな」と思った記憶がある。鏡子夫人悪妻説に関しては最近では否定的な見解が多い。私は夫婦仲は言われているほど悪くはなかった(精神状態の安定している時期)と考えている。

漱石はロンドン留学中に妻の手紙を心待ちにしてしたが、筆不精の鏡子はなかなか手紙を書かなかった。それでイライラして催促の手紙まで出した。これに対して漸く鏡子はラブレターを送った。漱石がどんな思いでその手紙を異国で読んだかは想像に難くない。

夫妻のやり取りした手紙は現存する。漱石がこのラブレターだけは捨てずに、日本に持ち帰ったからである。二人はその後多くの子宝に恵まれた。

『我輩は猫である』で妻の10円禿を暴露したり、オタンチンパレオロガスと言ってからかうシーンは何度も読んでも笑える。本当に嫌悪した女性ならばこうは書けない。

最後まで坊っちゃんの味方であった清は鏡子夫人がモデルという説まである。大雑把な性格の奥さんがいたからこそ、数々の名作が生まれたのではないだろうか。

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