寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

国泰寺裏話

2007年11月10日 | 学生時代

広島中央郵便局の東側にYの下宿はあった。学生食堂で晩飯を済ませた後、同級生がここに集結していた。

細いハシゴ階段を上がり、ホームベースくらいの隙間をイタチのように抜けなければならないのが鬱陶しかった。私達は彼の部屋を忍者屋敷と呼んだ。

大阪出身のYは博学で口が上手かった。落合信彦のノンフィクションをよく読んでいた。牛の絵柄のクッションにもたれてビル・エバンスのCDを聴く姿がはっきりと記憶に残っている。

仲間で500円を出し合って、リザーブとコークとスナック菓子を買って酒盛りをした。暇を持て余す若者は明け方まで議論することもあった。下宿に戻って2時間寝て千田町の大学に出かけて行った。疲れを知らない18歳だった。

その内Yは郵便局で深夜のバイト(16勤)を始めたが、友人は容赦なく押し掛けて来た。眠け眼をこすっては「自分の時間が欲しい」とぼやいていた。彼の部屋の真ん前は大きなテニスコートだった。北東の方角に国泰寺高校(旧制広島第一中学)が見えた。

大家であるヨボヨボの婆さんが死んで、息子はバブル期に土地を売った。下宿は取り壊されて税理士事務所になった。テニスコートのあった場所は駐車場に様変わりしている。

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モノの「価値」は誰が決めるの(笑)

2007年11月10日 | 日記
ルイ・ヴィトンのバッグをぶら下げて街を歩く女性の多いこと。機能的に優れたバックは他に山ほどあるのに何故陳腐な商品を買いたがるのか。

自分で「真の価値」を判断する能力が無く、これだけお金を使って買った「高いアイテム」ということを「誇示」したいだけなのだ。

マスメディアや評論家のタレ流す「虚像」を「実像」と捉えて自己満足する。フランス人が『猿は馬鹿だ』と言うのも至極当たり前だと思う。

料亭(オカマ臭い会員制倶楽部)がこの10年でボコボコ潰れていったのは需要が無くなったことも大きいが、価格を世相に合わせて変化させる「柔軟性」が欠如していたことに尽きるだろう。

【金田中】などは客の懐具合に合わせてコースを(自分で)選択させる方法を導入して話題になった。チャッチャと食って帰ってもよし、本コースに進んでもよし、というような使い分けが可能になったことは評価に値する。

「時価」→「明瞭会計」の切り替えが「生き残り」の大きな鍵となっているのだ。これだけ情報が容易に収集可能となると、客自身の「選択範囲」は広がる。身の丈にあった楽しみ方が定着したと私は考える。

「こころざし」の低い料理人がてめえの「カビ臭くなった知識」を押しつける時代は終焉した。並の知能があれば彼らのやっていることが「セ●ズリ」だと理解できよう。

地球温暖化、水質汚濁、獲り過ぎによって「天然魚」に拘ってばかりもいられなくなる。種苗生産して放流しているからこそ何とか獲れているようなものだ。

高く売れるという理由で「獲り尽くす」漁師、高い金が取れるから「希少なものを買う」料理屋、「珍しいものを食って悦に入る」アーパーな客。モラル無き連中をあざ笑う者は多い。

これはあくまでも私の考えなので、子どもみたいにカッとなって私の家に「タマ」を撃ち込まないようにお願いしておく(笑)

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