広島中央郵便局の東側にYの下宿はあった。学生食堂で晩飯を済ませた後、同級生がここに集結していた。
細いハシゴ階段を上がり、ホームベースくらいの隙間をイタチのように抜けなければならないのが鬱陶しかった。私達は彼の部屋を忍者屋敷と呼んだ。
大阪出身のYは博学で口が上手かった。落合信彦のノンフィクションをよく読んでいた。牛の絵柄のクッションにもたれてビル・エバンスのCDを聴く姿がはっきりと記憶に残っている。
仲間で500円を出し合って、リザーブとコークとスナック菓子を買って酒盛りをした。暇を持て余す若者は明け方まで議論することもあった。下宿に戻って2時間寝て千田町の大学に出かけて行った。疲れを知らない18歳だった。
その内Yは郵便局で深夜のバイト(16勤)を始めたが、友人は容赦なく押し掛けて来た。眠け眼をこすっては「自分の時間が欲しい」とぼやいていた。彼の部屋の真ん前は大きなテニスコートだった。北東の方角に国泰寺高校(旧制広島第一中学)が見えた。
大家であるヨボヨボの婆さんが死んで、息子はバブル期に土地を売った。下宿は取り壊されて税理士事務所になった。テニスコートのあった場所は駐車場に様変わりしている。
