贅沢を禁じられた戦争が終わって暫くの間、鞆は豊漁続きで漁師は大いに儲かった。当然の如く遊廓へ入り浸りになる者も多かったという。私は道越町に暮らす人達から聞き取りを行った。
戦前生まれの男性(80過ぎ)は「今駐車場になっとる所に大きな遊廓(※)があったなー」と語り色街の全盛期を懐かしく回想していた。
私は老人から聞いた駐車場の前から大きな食堂を撮影した。隣の縦長の家屋は元妓楼である。かなり手が加えられた形跡が見られるが、なかなか趣き深い。
※追記
『保存版ふるさと福山 / 郷土出版社(2011年7月発行)』の68ページ中央の写真(昭和46年撮影)から「福昇楼(現・駐車場 鞆町鞆628)」であることが分かった。元妓楼前に立つ少女がパンタロンを履いているのが時代を感じさせる。また現在の食堂の右隣に赤線特有(丸窓と手すり付き)の建物(鞆町鞆711)が写っていた。
〔道越町〕
滿越である往昔大可島の通路、岨傳ひの細き縄手道にて滿潮時には往來の人も尻からげして渡つたと云ふ。今は町家軒を並べ遊女町さへ榮えて居る。
『備後名所鞆津と阿伏兎 / 葦陽資料叢書第三集(大正十三年)』
戦前生まれの男性(80過ぎ)は「今駐車場になっとる所に大きな遊廓(※)があったなー」と語り色街の全盛期を懐かしく回想していた。
私は老人から聞いた駐車場の前から大きな食堂を撮影した。隣の縦長の家屋は元妓楼である。かなり手が加えられた形跡が見られるが、なかなか趣き深い。
※追記
『保存版ふるさと福山 / 郷土出版社(2011年7月発行)』の68ページ中央の写真(昭和46年撮影)から「福昇楼(現・駐車場 鞆町鞆628)」であることが分かった。元妓楼前に立つ少女がパンタロンを履いているのが時代を感じさせる。また現在の食堂の右隣に赤線特有(丸窓と手すり付き)の建物(鞆町鞆711)が写っていた。
〔道越町〕
滿越である往昔大可島の通路、岨傳ひの細き縄手道にて滿潮時には往來の人も尻からげして渡つたと云ふ。今は町家軒を並べ遊女町さへ榮えて居る。
『備後名所鞆津と阿伏兎 / 葦陽資料叢書第三集(大正十三年)』