県道47号線を海岸通りに向かって進む。精肉店が見えたところで右の細い路地に入る。この道はババ小路(八籠屋小路)と呼ばれ「関町大坂屋と八籠屋との間の小路(今の水道局裏の小路)…」(『鞆の地名あれこれ』より)のことを指す。

ババ小路の途中に鞆の豪商・大坂屋の土蔵があった。私はどん突きを右折して新しい茶店の前に出た。


茶店の隣が大坂屋(明治になって没落)の対仙酔楼(長屋門)である。ちなみに楼の命名者は頼山陽で門の入口付近に「日本外史起稿史跡」という石碑が建つ。江戸時代は石垣までが陸で、現在の駐車場や海岸通りは海だった。


鞆シーサイドホテル近くの鯛亭で昼食を取ることにした。客のほとんどが鯛めしデラックスか鞆の浦定食を頼んでいたが、私はあえて刺身定食にした。もちろん瓶ビールを飲むからだ。
この日の造りはスズキ、太刀魚などの厚引きで弾力に富んでいた。気の利いたアテがつきビールが美味しかった。主人は黙々と仕事をする人で好感が持てた。軽く飲んでも2千円で釣りが返って来る。ここの煮物はやや甘めである。



休憩を挟んで住吉神社から観光を再開。仲仕が楽々と持ち上げたという力石、自分にはとても無理だろう。怪力の男たちが船荷を運んだ辺りを眺めながら松崎しげる氏がドラマの撮影で世話になったという美容室の方へ歩いて行った。


ババ小路の途中に鞆の豪商・大坂屋の土蔵があった。私はどん突きを右折して新しい茶店の前に出た。


茶店の隣が大坂屋(明治になって没落)の対仙酔楼(長屋門)である。ちなみに楼の命名者は頼山陽で門の入口付近に「日本外史起稿史跡」という石碑が建つ。江戸時代は石垣までが陸で、現在の駐車場や海岸通りは海だった。


鞆シーサイドホテル近くの鯛亭で昼食を取ることにした。客のほとんどが鯛めしデラックスか鞆の浦定食を頼んでいたが、私はあえて刺身定食にした。もちろん瓶ビールを飲むからだ。
この日の造りはスズキ、太刀魚などの厚引きで弾力に富んでいた。気の利いたアテがつきビールが美味しかった。主人は黙々と仕事をする人で好感が持てた。軽く飲んでも2千円で釣りが返って来る。ここの煮物はやや甘めである。



休憩を挟んで住吉神社から観光を再開。仲仕が楽々と持ち上げたという力石、自分にはとても無理だろう。怪力の男たちが船荷を運んだ辺りを眺めながら松崎しげる氏がドラマの撮影で世話になったという美容室の方へ歩いて行った。

