福山市鞆町後地の民家の間から細い道が山へ向かってのびている。民家の壁に取り付けられた消火器収納ボックスには江元西町内会と書かれてあった。上り坂は相当急である。私は東広島市の「心臓破りの坂」に匹敵すると思った。


しばらくして畑の近くに平賀源内生祠という標識が出ていた。矢印の方向に行くと石塔と卒塔婆があった。

平賀源内の生祠(県史跡)
宝暦年間(一七五〇年代)に天下の奇人として知られ、また江戸の人気者であった平賀源内は、一時、鞆江の浦の医王寺参道の旧家、溝川家に逼留して瓦や陶器を焼き、源内焼き‥‥の名と、源内生祀なるものを残して飄然と去ったという……その二百年前後の物語りを知っている人々は、鞆町でも年と共に消えていくようである。
昭和の初期に、源内の生祠発見!!の情報(発見者=故桑田貞次郎氏)により沼名前神社宮司、金原利通氏が備後史談に取上げ、当時、生祠研究の権威者、加藤玄智博士の証言に依って鞆町役場は主務省に申請し、史蹟名勝地の指定を受ける為に奔走した。ついに、昭和十五年二月に「県史跡」に指定されたのであった。
鞆に近い香川県志度浦で生まれた平賀源内は、高松藩の足軽、白石茂左衛門の三男に生まれたため、才気煥発の彼は足軽では我慢できず、ついに武家奉公に見切りをつけ、自由の天地を江戸に求めた。
そして有能な彼は、本草学者として有名になり、狂文戯作者として世に知られ、また本邦電気学の始祖と言われ、他に陶器の製法、源内焼きを編み出すほどの活躍ぶり。それら学識は江戸から長崎に留学して欧洲文明をいち早く身につけたことから生まれたのであった。
昭和初期のこと、源内生祠のある土地を、溝川家が大阪に転宅するために酒井郵便局長の所有となり、ついで株本岩夫書店の所有となった。………医王寺下の山畠の一隅に在る源内生祠は、夏草の茂る中に埋もれることもあるが、時に奇特な人の奉仕により概ねその周辺は清掃されている。
源内の指導に依り、約百五十年に亘り代々、栄えたと伝えられる溝川家も、大正の末期に大阪方面に転出された…
(註)源内生祠=丸い石を三つ積み重ね「地神、荒神、平賀源内神」‥‥と溝川家の人々に唱えさせたという。
その左側の石標の正面は「南無妙法蓮華経平賀源内神儀」とあり、右側に「宝暦一四年甲申三月七日」左側に慶応四戌辰七月二十八日溝川栄助同茂助同利三郎立之」と刻んである。
『鞆今昔物語 / 表精(昭和四九年)』


平賀源内生祠を後にして仁王門前に到着した時には完全に息が上がっていた。医王寺の山号は桃林山である。奉納された大わらじを見て門を潜る。



しばらくして畑の近くに平賀源内生祠という標識が出ていた。矢印の方向に行くと石塔と卒塔婆があった。

平賀源内の生祠(県史跡)
宝暦年間(一七五〇年代)に天下の奇人として知られ、また江戸の人気者であった平賀源内は、一時、鞆江の浦の医王寺参道の旧家、溝川家に逼留して瓦や陶器を焼き、源内焼き‥‥の名と、源内生祀なるものを残して飄然と去ったという……その二百年前後の物語りを知っている人々は、鞆町でも年と共に消えていくようである。
昭和の初期に、源内の生祠発見!!の情報(発見者=故桑田貞次郎氏)により沼名前神社宮司、金原利通氏が備後史談に取上げ、当時、生祠研究の権威者、加藤玄智博士の証言に依って鞆町役場は主務省に申請し、史蹟名勝地の指定を受ける為に奔走した。ついに、昭和十五年二月に「県史跡」に指定されたのであった。
鞆に近い香川県志度浦で生まれた平賀源内は、高松藩の足軽、白石茂左衛門の三男に生まれたため、才気煥発の彼は足軽では我慢できず、ついに武家奉公に見切りをつけ、自由の天地を江戸に求めた。
そして有能な彼は、本草学者として有名になり、狂文戯作者として世に知られ、また本邦電気学の始祖と言われ、他に陶器の製法、源内焼きを編み出すほどの活躍ぶり。それら学識は江戸から長崎に留学して欧洲文明をいち早く身につけたことから生まれたのであった。
昭和初期のこと、源内生祠のある土地を、溝川家が大阪に転宅するために酒井郵便局長の所有となり、ついで株本岩夫書店の所有となった。………医王寺下の山畠の一隅に在る源内生祠は、夏草の茂る中に埋もれることもあるが、時に奇特な人の奉仕により概ねその周辺は清掃されている。
源内の指導に依り、約百五十年に亘り代々、栄えたと伝えられる溝川家も、大正の末期に大阪方面に転出された…
(註)源内生祠=丸い石を三つ積み重ね「地神、荒神、平賀源内神」‥‥と溝川家の人々に唱えさせたという。
その左側の石標の正面は「南無妙法蓮華経平賀源内神儀」とあり、右側に「宝暦一四年甲申三月七日」左側に慶応四戌辰七月二十八日溝川栄助同茂助同利三郎立之」と刻んである。
『鞆今昔物語 / 表精(昭和四九年)』


平賀源内生祠を後にして仁王門前に到着した時には完全に息が上がっていた。医王寺の山号は桃林山である。奉納された大わらじを見て門を潜る。

