私は関町から道伝いに東へ歩いた。天ぷら建築の現「しまなみ信用金庫」は戦前山陽銀行鞆支店だった。

関町の北側を石井町と言ったそうだが、石井浜の近くに坂本龍馬が隠れ住んだ廻船問屋・桝屋清右衛門宅(桑田家住宅)がある。江戸期この建物の裏側(東)は浜と海だったのが昭和初期には渡船場が出来ている。石碑が建つ前(虫籠窓のある方)の通りが旧道だ。
関町
鞆城山の東を鞆城北の丸趾は江戸期には御屋舗と呼ばれ藩主水野家の屋舗であったが,町奉行所並に附属建物として使用されたので別扱いであった。
この町は正平四年(1349)足利直冬が大可島に中国探題を置き,ここに大関所を設けたので,関町という。又,南朝興国元年(1340)鞆いくさ(太平記に載る)の時,ここに関所を設けたとも古文献にある。
『鞆の地名あれこれ』


関町の北側を石井町と言ったそうだが、石井浜の近くに坂本龍馬が隠れ住んだ廻船問屋・桝屋清右衛門宅(桑田家住宅)がある。江戸期この建物の裏側(東)は浜と海だったのが昭和初期には渡船場が出来ている。石碑が建つ前(虫籠窓のある方)の通りが旧道だ。
関町
鞆城山の東を鞆城北の丸趾は江戸期には御屋舗と呼ばれ藩主水野家の屋舗であったが,町奉行所並に附属建物として使用されたので別扱いであった。
この町は正平四年(1349)足利直冬が大可島に中国探題を置き,ここに大関所を設けたので,関町という。又,南朝興国元年(1340)鞆いくさ(太平記に載る)の時,ここに関所を設けたとも古文献にある。
『鞆の地名あれこれ』

