寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山市鞆町後地の寺を巡る(その2)

2011年12月26日 | 
鞆の浦振興事業団が作成した地図では法宣寺を「治病除災の神として武将・加藤清正の像が祀られている / 日蓮宗」と簡単に紹介している。「清正となぜ関係があるのだろうか」と疑問に思った方も多いだろうから『鞆今昔物語 / 表精(昭和四九年)』の詳細な記述を引用させてもらおう。

 お祀りしてある本尊は釈迦牟尼仏である。延文三年(一三五八)に大覚大僧正が創建した寺と言われる。大覚大僧正は、京都の妙願寺の開山で、この寺はその末寺となっている。北朝の後光巌院の綸命(天皇の命令)により三万部の法華経を読誦し、なお四海に普く法華経を布教する旨を蒙ったので、先ず布教の地を三備(備前・備中・備後)に求めようと、延文三年の春に鞆に上陸したのであった。
 鞆の地で現在地をえらんで、貴賎にかかわらず広く大衆を集めて説法し、かたわら天下の安穏を祈った。当時は西日本の法華弘通では最初の道場であったので大法華堂と称えていた。それが天文年間(一五三二 一五五四)に惜しくも火災で消失した。
 寛永の末(一六四三年ごろ)、第一七代に当る人、日宥律師が中興されたのであった。当寺について記録に価するものが三つある。その一つは寛政六年(一七九四)に刻んだ門前の大法華堂の石碑で裏の銘には寺歴の概要を…刻んでいる。
 今一つは境内の一隅に寺には全たく縁故のない清正堂が祀られている。この堂内には加藤清正の自作と言われる木像が安置されてある。
 もと熊本城内にあったが、加藤家没落後に江戸の富士の山後殿に移され、たまたま明治の始め、三条公爵の息、上田御前といわれる人が鞆に流寓して居たころ、斡旋して鞆に運こび当寺に収めた。
 最後の一つは当時の誇る大覚大僧正手植えの松である。樹齢六二〇年以上と言われる大松は「天蓋の松」と名付けられて居り広島県の指定する天然記念物となっている。
 胸高周囲三・九米、樹高五・四米、地上一・六米の位置から二枝に分かれて四方にひろがり樹冠一八〇坪と言われる世にも珍しい松の大木は、鞆を訪れる旅人の目を楽しませている。 文献 沼隈郡誌

天蓋の松(てんがいのまつ)は残念なことに私が大学を卒業した年に枯れたそうである。大松があった場所(大法華堂の手前)にはその歴史を説明するプレートが設置されている。

鞆小学校に続く急な坂道

寺を出て更に南へ向かう。私は鞆小学校へ上がる坂道を一瞥して「この先だな」と呟いた。少し行くと寺町通りから道が枝分かれするところに井戸(手押しポンプ)があり、水神様が祀られていた。こういう物が残っているのが鞆の魅力だ。

鞆町後地の井戸と水神

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福山市鞆町後地の寺を巡る(その1)

2011年12月26日 | 
鞆町後地は寺が密集する地域である。ささやき橋を(西へ)渡った所が鞆で最古の歴史を持つ臨済宗・静観寺で大同元年(806)の建立と伝わる。門前には山中鹿之助の首塚がある。

 …山中鹿之助幸盛は、主家、尼子家再興に一生を捧げ、戦国時代の武士の鑑みとして今も尚、大衆に親しまれている悲運の武将である。その鹿之助は天正六年(一五七八)の七月某日に、備中甲部川(岡山県)の阿井の渡しで、河原の石に腰をかけ渡船を待っていた後から、河村新右衛門という護送の武士に、不意打ちをかけられ、卑怯なり!!と叫んで鹿之助は川の中に飛び込み、刀の柄に手をかけ、ハツタ!!と睨んだ。河村ははその猛威にうたれ岸から辷り落ちた。その隙に福間彦右衛門が後からムンヅと組みついた。
 鹿之助は少しも撓まず、福間の上帯を取って河の中へ投げ込んだ。しかし不意を衝く五、六人の刀槍の襲撃のため傷つきついに首を刎ねられてしまった。これが驍将(勇将)山中鹿之助の最期の場面であった。
 鹿之助の首は首桶に塩漬にされ、安国寺恵瓊が警護の一団を宰領(とりしまる)して将軍足利義昭の流寓るぐう(京都から逃げた仮住居)の館、鞆の仮公所に持参し、毛利輝元、隆景を加えた三人の検視に供えたのであった。
 毛利家に久しく敵対した尼子家の忠臣、山中鹿之助の首はかくして鞆の路傍に梟されること三ケ月、心ある者がそれを気の毒がり、毛利家に願出て路傍に埋め、一個の墓標を立てた。それが今日建ててある自然石であるといわれる。

『鞆今昔物語 / 表精(昭和四九年)』

臨済宗・静観寺門前にある山中鹿之助の首塚

私は墓に手を合わせて通称:寺町通りを南へ進んだ。そして右手に大法華堂の石柱を見つけ日蓮宗・法宣寺の境内に入った。

日蓮宗・法宣寺

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我が家の関東煮(後編)

2011年12月26日 | 食材
下ゆでした牛肺臓の串をまず糖液で10分煮る(弱火)。煮汁の目安は串がひたひたになる状態、落とし蓋を使うと効率が良い。続いて醤油を加えて30分炊き火を止める。このまま冷まして肉に味を浸透させる。シンプルなレシピの関東煮(あっさり味)は日本酒が合う。

肺はフワと言われるようにモチモチの食感で独特の旨味がある。大阪市西成区萩之茶屋の「ホルモンうどん」にはフワがたっぷりと入るし、広島市西区名物の「でんがく」も同様である。安価で美味しくボリュームが出るため昔から使われているものと思われる。

煮汁のレシピ(串10本に対して)
水:5カップ
日本酒:1カップ
砂糖:大さじ3
薄口醤油:大さじ2(後添)
濃口醤油:大さじ2(後添)

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