石畳の路地を歩くのは気持ちがいいものである。明治時代に建てられた林家住宅(豪商)は巨大で見る者を釘付けにしてしまう。路地はこの先でクランクとなる。
そのまま西へ進むと右手に酒屋が見えた。鞆の古図(1650年頃)には小烏神社境内の西方及び善行寺(ぜんぎょうじ)の南に在番小屋が描かれている。酒屋の建つ辺りに獄舎(=牢屋)があったと人伝に聞いていたので私は目を細めてかつての情景を想像した。
◎在番小屋
水野家の代より、阿部家初代の正邦まで福山より在番が設うけられてあった。明円寺の脇に一ケ所、静観寺の前に一ケ所、原に一ケ所あったが、二ケ所は廃止された。尚、御水主かこ長屋が在番小屋の中に一ケ所あった。後藤新八奉行の時まで御水主捨人を置かれたが、御通船の御用、その外御船御用のある場合は、福山御船手が兼務された。
◎牢屋
善行寺のあたりにあった。
『鞆今昔物語 / 表精(昭和四九年))』
そのまま西へ進むと右手に酒屋が見えた。鞆の古図(1650年頃)には小烏神社境内の西方及び善行寺(ぜんぎょうじ)の南に在番小屋が描かれている。酒屋の建つ辺りに獄舎(=牢屋)があったと人伝に聞いていたので私は目を細めてかつての情景を想像した。
◎在番小屋
水野家の代より、阿部家初代の正邦まで福山より在番が設うけられてあった。明円寺の脇に一ケ所、静観寺の前に一ケ所、原に一ケ所あったが、二ケ所は廃止された。尚、御水主かこ長屋が在番小屋の中に一ケ所あった。後藤新八奉行の時まで御水主捨人を置かれたが、御通船の御用、その外御船御用のある場合は、福山御船手が兼務された。
◎牢屋
善行寺のあたりにあった。
『鞆今昔物語 / 表精(昭和四九年))』