寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

滋賀県草津市の東新地跡を通過する(その3)

2012年05月08日 | 
円窓が印象的な日本家屋を過ぎた辺りがごみ置場である。その看板から旧東新地は東元町と呼ばれていることを悟る。通りが不自然に広いのは昔桜並木でもあったのだろうか(実際遊里に桜はつきものだった)

旧東新地のメインストリートに設けられたごみ置場

国道1号線に向かっていると左手に小さな祠があった。東元町(東新地)出世地蔵・水子地蔵の由緒書にはこう記されていた。

出世地蔵・水子地蔵を祀るお堂

東元町(東新地)出世地蔵・水子地蔵
 今から九十年程前、現在の国道一号線を敷設する工事の際土の中から二体のお地蔵さまが出てこられました。
 「出世地蔵」は当時、歓楽街として繁盛していた東新地の皆さんが祭ったもので、遊女が年季奉公から一日でも早く抜け出せるよう祈願したのが始まりと考えられます。
 また「水子地蔵」は安産や不幸にもこの世に生を授かることができなかった子供の供養を願う人たちが祭ったものです。
 現在は東元町町内会の「守り本尊」として皆に拝められています。

そして由緒書の上には大正13年(1924)8月吉日に東新地・東樓の主が奉納した御籤の額が掲げられていた。正確には籤という字は使われておらず、門(もんがまえ)に亀(かめの旧字体)で、これで「くじ」と読む。お堂の外に打ち付けられた町内会住宅地略図(平成13年4月現在)を参考にすれば東樓は煙草屋の近くにあったことになる。

出世地蔵・水子地蔵の由緒

私は地蔵に手を合わせ願い叶わず旅立った者達の冥福を祈り「自分の思い通りにはならぬのが人生か…」と囁いた。

東新地の出世地蔵・水子地蔵(草津市草津1丁目17番辺り)

私が歩いたルート(追分→東海道→東新地→国道1号):草津宿見どころ食べ処の地図を使用

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現地取材は基本中の基本

2012年05月08日 | 日記
私が現地取材(旅など)を行ってから文章にまとめるまでにかなりの間があることが多い。急ぎ過ぎて間違いを犯すことを避ける目的もあるし、少し冷却期間を置いた方がより現実が見えてくるからだ。

「あったことをない(=隠蔽)」とか「なかったことをあった(=捏造)」と伝えるのは物書き(人間としても)失格だ。つい最近桜が開花していないのに、あたかもきれいに咲いているかのような記事を紙面に載せた間抜けな事件があった。

スピード(=旬の話題)以上に大切にしなければならないのは自分の目で確かめた上で正確に記すことである。基本を忘れたプロ(実際は四流程度)が増えている現実に読み手は呆れ顔だろう(笑)

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