草津市木川町の団地を通り抜けていると、ついに冷たいものが天から落ちてきた。私は「こりゃいかんわ」と言って早足になった。
木川村きのかわむら
北山田村の東に位置し、北端を草津川が西流する。村名は草津川の異称木川にちなむとされ、本郷と出屋敷・新田の三集落からなる。中世には木川庄として推移
『滋賀県の地名 日本歴史地名大系25(平凡社)』
出屋敷とか新田(しんでん)とは荒地を開拓したという意味である。天井川に隣接する新田地区は過去何度も台風水害を被っている。私は大正6年(1917)創建といわれる明治神社に参拝した。
広い道路を横断して東へ急ぐ。雨は更に激しく降り出した。帽子を被っているのがせめてもの救いである。びしょ濡れになって真宗大谷派・喜龍山笠堂寺に至る。
もともとこの寺は北村(現橋岡町)にあったが、大正の初め頃に新田地区に移築されている。
木川村きのかわむら
北山田村の東に位置し、北端を草津川が西流する。村名は草津川の異称木川にちなむとされ、本郷と出屋敷・新田の三集落からなる。中世には木川庄として推移
『滋賀県の地名 日本歴史地名大系25(平凡社)』
出屋敷とか新田(しんでん)とは荒地を開拓したという意味である。天井川に隣接する新田地区は過去何度も台風水害を被っている。私は大正6年(1917)創建といわれる明治神社に参拝した。
広い道路を横断して東へ急ぐ。雨は更に激しく降り出した。帽子を被っているのがせめてもの救いである。びしょ濡れになって真宗大谷派・喜龍山笠堂寺に至る。
もともとこの寺は北村(現橋岡町)にあったが、大正の初め頃に新田地区に移築されている。