寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

滋賀県草津市草津の和菓子屋・福助堂にて一休み

2012年05月23日 | 
立木神社表鳥居前から東海道に出て南へ向かう。歩いている時はあまり意識しなかったのであるが、道は僅かに蛇行を続ける。グーグルマップなどを拡大して見ると、それがよく分かる。わざと道を曲げて見通しを悪くしているのだ。

福助堂の商品陳列ケースには1個70円の商品がズラリと並んでいた

小腹の空いた旅人は福助堂(草津4丁目2‐24)という和菓子屋に入った。そして「うぐいすもちを下さい」と言って右手のひとさし指を立てた。温和な表情の主人は小さな紙袋に菓子を入れてくれたのだが、一刻も早く食べたかった。

それで「店の中で食べさせてもらってもえーですか」と聞いてみた。おっちゃんは少し驚いたような表情を一瞬浮かべたが、すぐに頷いてくれた。

福助堂のうぐいすもち

福助堂のうぐいすもちは粒あんをもちで包みうぐいす粉(=青きな粉)を塗したものだろう。もちの両端をつまんでうぐいすに見立てた菓子は可愛らしい。またうぐいすの暗緑茶色の羽(※)を青きな粉で表現する所に日本の美がある。

きな粉のほろ苦さによって舌の上でもちが上品な甘さになるよう緻密な計算がなされている。1個70円の庶民的価格には脱帽である。やはり近畿圏は和菓子のレベルが高い。中国地方で対抗できるのは城下町の松江くらいしか思い浮かばなかった。

福助堂全景

店を出てほどなくして(新)草津川に架かる矢倉橋の袂に到着した。宮川の南にあった黒門はこの辺りに移転したことが記録に残っている。門は宿場入り口の見張り所として機能していたのである。

(新)草津川に架かる矢倉橋、草津4丁目から北詰を撮影

※追記
実際のうぐいすの羽は薄茶色に近い。ゆえに江戸時代のうぐいすもちには普通のきな粉を使用していたという。青きな粉の出現は昭和に入ってからの話で、それが主流となるのは敗戦後である。時代の要望に合わせて見た目(明るさが食欲をそそる)を重視したということか。

現在のうぐいすもちは緑の鮮やかな偽うぐいす(めじろ)の羽の色に近い。私を含めてめじろをうぐいすと思って(=勘違いして)いた人は多い。実際、テレビでさえもこの間違いを犯している。

和菓子の世界では原料や味が少しずつ変わることは決して珍しいことではない。あのうばがもちも誕生当初と現在とでは形も大きさも異なっている(経営者もである)のだから。

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天ぷら衣の残りで天かすを作る

2012年05月23日 | 食材
天かすが関東では揚げ玉という呼び方になる。そしてかけそばに揚げ玉が入ると価格がアップするのが面白い。かすの名では金が取りにくいからか(笑)

西日本の人間としてはやはり天かすの方がしっくりくる。本来は天ぷらを揚げる際に分離した衣を(油が悪くならないうちに)回収したものを指すのだから。

私は年に2、3回天ぷら職人として台所に立つが、衣はどうしても余る。前は水で薄めて流しに捨てていた。しかし、よく考えると勿体ない話である。そこで最近では箸の先に衣をつけては天ぷら鍋の上から雨を降らしている。高温で揚げてよく油を切ったカリカリの天かすは添加物を若干含む市販品よりも出来がいい。

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