立木神社表鳥居前から東海道に出て南へ向かう。歩いている時はあまり意識しなかったのであるが、道は僅かに蛇行を続ける。グーグルマップなどを拡大して見ると、それがよく分かる。わざと道を曲げて見通しを悪くしているのだ。
小腹の空いた旅人は福助堂(草津4丁目2‐24)という和菓子屋に入った。そして「うぐいすもちを下さい」と言って右手のひとさし指を立てた。温和な表情の主人は小さな紙袋に菓子を入れてくれたのだが、一刻も早く食べたかった。
それで「店の中で食べさせてもらってもえーですか」と聞いてみた。おっちゃんは少し驚いたような表情を一瞬浮かべたが、すぐに頷いてくれた。
福助堂のうぐいすもちは粒あんをもちで包みうぐいす粉(=青きな粉)を塗したものだろう。もちの両端をつまんでうぐいすに見立てた菓子は可愛らしい。またうぐいすの暗緑茶色の羽(※)を青きな粉で表現する所に日本の美がある。
きな粉のほろ苦さによって舌の上でもちが上品な甘さになるよう緻密な計算がなされている。1個70円の庶民的価格には脱帽である。やはり近畿圏は和菓子のレベルが高い。中国地方で対抗できるのは城下町の松江くらいしか思い浮かばなかった。
店を出てほどなくして(新)草津川に架かる矢倉橋の袂に到着した。宮川の南にあった黒門はこの辺りに移転したことが記録に残っている。門は宿場入り口の見張り所として機能していたのである。
※追記
実際のうぐいすの羽は薄茶色に近い。ゆえに江戸時代のうぐいすもちには普通のきな粉を使用していたという。青きな粉の出現は昭和に入ってからの話で、それが主流となるのは敗戦後である。時代の要望に合わせて見た目(明るさが食欲をそそる)を重視したということか。
現在のうぐいすもちは緑の鮮やかな偽うぐいす(めじろ)の羽の色に近い。私を含めてめじろをうぐいすと思って(=勘違いして)いた人は多い。実際、テレビでさえもこの間違いを犯している。
和菓子の世界では原料や味が少しずつ変わることは決して珍しいことではない。あのうばがもちも誕生当初と現在とでは形も大きさも異なっている(経営者もである)のだから。
小腹の空いた旅人は福助堂(草津4丁目2‐24)という和菓子屋に入った。そして「うぐいすもちを下さい」と言って右手のひとさし指を立てた。温和な表情の主人は小さな紙袋に菓子を入れてくれたのだが、一刻も早く食べたかった。
それで「店の中で食べさせてもらってもえーですか」と聞いてみた。おっちゃんは少し驚いたような表情を一瞬浮かべたが、すぐに頷いてくれた。
福助堂のうぐいすもちは粒あんをもちで包みうぐいす粉(=青きな粉)を塗したものだろう。もちの両端をつまんでうぐいすに見立てた菓子は可愛らしい。またうぐいすの暗緑茶色の羽(※)を青きな粉で表現する所に日本の美がある。
きな粉のほろ苦さによって舌の上でもちが上品な甘さになるよう緻密な計算がなされている。1個70円の庶民的価格には脱帽である。やはり近畿圏は和菓子のレベルが高い。中国地方で対抗できるのは城下町の松江くらいしか思い浮かばなかった。
店を出てほどなくして(新)草津川に架かる矢倉橋の袂に到着した。宮川の南にあった黒門はこの辺りに移転したことが記録に残っている。門は宿場入り口の見張り所として機能していたのである。
※追記
実際のうぐいすの羽は薄茶色に近い。ゆえに江戸時代のうぐいすもちには普通のきな粉を使用していたという。青きな粉の出現は昭和に入ってからの話で、それが主流となるのは敗戦後である。時代の要望に合わせて見た目(明るさが食欲をそそる)を重視したということか。
現在のうぐいすもちは緑の鮮やかな偽うぐいす(めじろ)の羽の色に近い。私を含めてめじろをうぐいすと思って(=勘違いして)いた人は多い。実際、テレビでさえもこの間違いを犯している。
和菓子の世界では原料や味が少しずつ変わることは決して珍しいことではない。あのうばがもちも誕生当初と現在とでは形も大きさも異なっている(経営者もである)のだから。