私の印象に残っている赤壁の建物は3つある。敦賀市の銭湯、福井市と福知山市の旧色街にあった妓楼(らしきもの)でどれも非常に目立っていた。ここは料亭で別ジャンルとなるが、私が生きている間は決して忘れないであろう。玄関まで引き返して「人と時が織りなす歴史の小路」という一文に目を通した。

人と時が織りなす歴史の小路
江戸時代(天保十二年)、東海道五十三次の草津宿には、本陣二軒、脇本陣二軒さらには旅籠屋七十二軒が軒を連ね、その賑わいは中山道の分岐と相まって活況を呈していた。
中略
これらの本陣とともに、魚虎楼は、旅籠「双葉屋」として営まれ、明治初年に「双葉館魚虎楼」と名を改め、現在まで時の流れを眺め続けてきたのである。この辺りが通称「双葉町」と呼ばれたのも、当楼との関わりの深さの由縁であろう。
時代の移り変りとともに、町並みも変貌を遂げたが、当時の面影を残すものに「筋違い道」がある。当楼玄関前も道筋の交差が若干ずれており、これは城下町の筋違いと同様のもので、見通しを悪くして警備の配慮がなされたものであろう。またこの辺りは寺院が街道筋より一筋裏に有り、全国でも天井川として有名な草津川から眺めると、寺院が一直線に並んでいることがよく判る。これは江戸時代に課税のできる町屋を表通りに並べ、寺院等は「除地」といって課税の対象から外されていたため、裏通りに置かれた名残りである。
このように、この小路には、時の流れととの時々の人々が織りなす「時代」があり、あなたは、「今」その中に佇んでいる。
草津の宿 魚虎楼
巷では創業ウン百年などとアゴを上げて自慢する店が多い中、このように歴史を交えて控えめに自己主張するやり方を初めて見て、一期一会を大切にする料亭のプライドとセンスに感服した。無料でこれだけ勉強させてもらって「ありがたい」と心から思う。

この日、料亭では法事の昼食を出したようである。坊さんや関係者を送り出す美人女将と目が合ったので軽く会釈だけはしておいた。

草津宿見どころ食べ処(草津市観光物産協会作成)には、美しい庭園と座敷の写真が載っている。本陣料理の伝統をこれからも長く伝えていってもらいたい。料亭の前から鐘楼が見えたので寺に寄ってから帰路につくことにした。


人と時が織りなす歴史の小路
江戸時代(天保十二年)、東海道五十三次の草津宿には、本陣二軒、脇本陣二軒さらには旅籠屋七十二軒が軒を連ね、その賑わいは中山道の分岐と相まって活況を呈していた。
中略
これらの本陣とともに、魚虎楼は、旅籠「双葉屋」として営まれ、明治初年に「双葉館魚虎楼」と名を改め、現在まで時の流れを眺め続けてきたのである。この辺りが通称「双葉町」と呼ばれたのも、当楼との関わりの深さの由縁であろう。
時代の移り変りとともに、町並みも変貌を遂げたが、当時の面影を残すものに「筋違い道」がある。当楼玄関前も道筋の交差が若干ずれており、これは城下町の筋違いと同様のもので、見通しを悪くして警備の配慮がなされたものであろう。またこの辺りは寺院が街道筋より一筋裏に有り、全国でも天井川として有名な草津川から眺めると、寺院が一直線に並んでいることがよく判る。これは江戸時代に課税のできる町屋を表通りに並べ、寺院等は「除地」といって課税の対象から外されていたため、裏通りに置かれた名残りである。
このように、この小路には、時の流れととの時々の人々が織りなす「時代」があり、あなたは、「今」その中に佇んでいる。
草津の宿 魚虎楼
巷では創業ウン百年などとアゴを上げて自慢する店が多い中、このように歴史を交えて控えめに自己主張するやり方を初めて見て、一期一会を大切にする料亭のプライドとセンスに感服した。無料でこれだけ勉強させてもらって「ありがたい」と心から思う。

この日、料亭では法事の昼食を出したようである。坊さんや関係者を送り出す美人女将と目が合ったので軽く会釈だけはしておいた。

草津宿見どころ食べ処(草津市観光物産協会作成)には、美しい庭園と座敷の写真が載っている。本陣料理の伝統をこれからも長く伝えていってもらいたい。料亭の前から鐘楼が見えたので寺に寄ってから帰路につくことにした。

