寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

滋賀県草津市の料亭・双葉館魚虎楼(後編)

2012年05月18日 | 
私の印象に残っている赤壁の建物は3つある。敦賀市の銭湯福井市福知山市の旧色街にあった妓楼(らしきもの)でどれも非常に目立っていた。ここは料亭で別ジャンルとなるが、私が生きている間は決して忘れないであろう。玄関まで引き返して「人と時が織りなす歴史の小路」という一文に目を通した。

人と時が織りなす歴史の小路(魚虎楼玄関左手に木製看板と共に掲げられている)

人と時が織りなす歴史の小路

 江戸時代(天保十二年)、東海道五十三次の草津宿には、本陣二軒、脇本陣二軒さらには旅籠屋七十二軒が軒を連ね、その賑わいは中山道の分岐と相まって活況を呈していた。
 中略
 これらの本陣とともに、魚虎楼は、旅籠「双葉屋」として営まれ、明治初年に「双葉館魚虎楼」と名を改め、現在まで時の流れを眺め続けてきたのである。この辺りが通称「双葉町」と呼ばれたのも、当楼との関わりの深さの由縁であろう。
 時代の移り変りとともに、町並みも変貌を遂げたが、当時の面影を残すものに「筋違い道」がある。当楼玄関前も道筋の交差が若干ずれており、これは城下町の筋違いと同様のもので、見通しを悪くして警備の配慮がなされたものであろう。またこの辺りは寺院が街道筋より一筋裏に有り、全国でも天井川として有名な草津川から眺めると、寺院が一直線に並んでいることがよく判る。これは江戸時代に課税のできる町屋を表通りに並べ、寺院等は「除地」といって課税の対象から外されていたため、裏通りに置かれた名残りである。
 このように、この小路には、時の流れととの時々の人々が織りなす「時代」があり、あなたは、「今」その中に佇んでいる。

 草津の宿 魚虎楼

巷では創業ウン百年などとアゴを上げて自慢する店が多い中、このように歴史を交えて控えめに自己主張するやり方を初めて見て、一期一会を大切にする料亭のプライドとセンスに感服した。無料でこれだけ勉強させてもらって「ありがたい」と心から思う。

料亭・魚虎楼玄関(女将がお客を送り出しているところ)

この日、料亭では法事の昼食を出したようである。坊さんや関係者を送り出す美人女将と目が合ったので軽く会釈だけはしておいた。

料亭魚虎楼の紹介(草津宿見どころ食べ処より)

草津宿見どころ食べ処(草津市観光物産協会作成)には、美しい庭園と座敷の写真が載っている。本陣料理の伝統をこれからも長く伝えていってもらいたい。料亭の前から鐘楼が見えたので寺に寄ってから帰路につくことにした。

魚虎楼の近くに鐘楼があった

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滋賀県草津市の料亭・双葉館魚虎楼(前編)

2012年05月18日 | 
私は草津市の料亭・魚虎楼(草津2丁目12‐3)玄関前に立ち、この建物が登録有形文化財であることを知った。モニュメントには文化庁の銘があり第25‐0255~0257と番号まで明記されている。

双葉館魚虎楼ふたばかんうおとらろう本館・奥座敷・塀
昭和11年(1936)頃建築

 本館は、2階に80畳敷の大広間をもつ木造2階建の入母屋造桟瓦葺の建物です。通りに面する北側は、竪板張りと赤い内法壁で、料亭らしく仕上げられています。塀も同様の竪板張りと赤い壁で仕上げ、隅切り長方形の窓を開けるなど、上品で洒落た雰囲気が醸し出されています。
 奥座敷は本館の東側の建物で、邸内では本館とともに庭園に面しています。1、2階とも庭園側に縁と庇を巡らせ、大広間は折上格天井とすると、丁寧に仕上げられた建物です。

草津市教育委員会

本陣小路南側に建つ料亭・魚虎楼

文化財として登録されたのは平成20年(2008)3月21日とまだ日は浅い。料亭の名前は魚屋を営んでいた初代・遠藤寅吉氏が料亭に転業した歴史にちなむ。私は赤い壁と塀を見つめて過去の旅先での情景がいくつかよみがえって来た。

料亭・魚虎楼の赤い壁と塀

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甘酸っぱいイチゴをつまむ

2012年05月18日 | 食材
畑のイチゴを水洗いして口に含む。市販品ほどの糖度はないが、すっきりした甘味で酸味とのバランスもよい。イチゴ独特の芳香を楽しみ3粒をじっくりと味わった。

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