寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山市南蔵王町1丁目の綱木(つなぎ)バス停

2013年03月01日 | 郷土史
伊木産業(南蔵王町1丁目14-2)前に綱木バス停はある。蔵王(旧市村)の「つなぎ」という地名を知った時には正直「変わってるな」と思ったが、由緒を調べることなく地元を2度も離れた。

土屋食料品店(同1丁目14-3 昔は米を搗いていたという)辺りから県道は下りとなる。福山楽器センターの先を右折し、つなぎ保育園(同1丁目12-30 現在工事中)に到着した。

南蔵王町1丁目のつなぎ保育園

もやい石 五区 綱木
 1619(元和5年),大和郡山の城主から備後・備中九郡十万石の領主に封ぜられ水野日向守勝成は,備後神辺城に入るべくまず鞆に着き,次いで深津湾に船を進めて市村綱木に船を着け,ここから上陸して神辺に向かったといわれている。もやいとは船と船をつなぎ合わせることをいうが,このもやい石のあったところが港があったことを物語るものである。
 なお市村(蔵王)沖が干拓されたのは,水野美作守勝重(後の勝俊)が国元総奉行,神谷治部,小場兵左衛門に宛てた1643(寛永20年)正月の書状によって始められたもので,引野高崎より西の深津浜にわたり堤防が築かれ完成を見た。「もやい石」そのものは大正の初めごろ迄は存在したがその後動かされたもので,現在の石とは異なるものである。

『蔵王(市村)史跡めぐり / 蔵王郷土史研究会(平成8年10月)』

もやい石(二代目)

保育園入り口と石鳥居の間にある縦長の岩が「もやい石(二代目)」。水野勝成公が福山に入られた時には深津嶋山は市村とつながり半島のような形になっていたのだろう。旧坪生往還(上井手川沿いの道路)より南(現在の南蔵王町)の平地は江戸時代の干拓によってできたもので保育園周辺は元々海だったことになる。

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おつゆ麩とシマフリルの卵とじ

2013年03月01日 | 家飯
おつゆ麩はカット焼麩のこと。我が家では味噌汁の具として時々使うが、子どもの頃にはすき焼きに入れていたことを思い出した。

甘辛い煮汁をよく吸った麩は結構旨かったのである。そこでぬるま湯で戻した麩を割下でさっと煮て卵でとじたらより美味しくなるはずと考えた。玉ねぎのかわりに予め下ゆでしておいたシマフリルとキャベツを加えた。

おつゆ麩とシマフリルの卵とじ

予想通りの味(合格)だった。次は丼仕立てにしてみよう。余談になるが、麩の欠けて小さくなった物の有効利用として女性料理研究家(奥薗さんだったか?)が(粉末にして)大根おろしに加えることを提案していた。水気を吸っておろしになじむので麩が入っているとは誰も思わない。これはいい(笑)

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