国の重要文化財である宗光寺山門は三原観光の際にぜひ見ておきたい建築物の一つだ。西国街道から山門までの緩やかな傾斜の坂道を上って行くと時の権力者が威信をかけて建立した寺院であることがよく分かる。
小早川隆景公が本郷の新高山城に建てた匡真寺(きょうしんじ)を三原城築城の後にこの地に移したといわれ、曹洞宗に改宗したのは福島正則公の時代になってからである。
国重要文化財
宗光寺山門 一宇
昭和二十八年十一月十四日指定
宗光寺山門は小早川隆景の居城であった豊田郡本郷町の新高山城の城門で、隆景によって当寺に移築されたものと伝えられている。四足門の切妻造り、本瓦ぶきで、桃山文化の趣きを伝えるすぐれた蟇股の彫刻類、木割りの未確立のとき建てられているなど、桃山時代の特色をもつ建造物である。
中世に沼田荘の運営にあたっていた小早川氏は、毛利元就の三男隆景を養子に迎え、瀬戸内海の水軍を手中に収め、毛利氏の一翼をになって中国統一に乗り出したが、本郷の地は海岸より離れているので、水陸交通の要にあたる三原の地に三原城を築城した。
三原市教育委員会
参道脇には文化財を火災から守るための放水銃や消火ホース格納箱が設置されている。今年1月23日に住職立ち会いのもと三原市消防本部職員が消防設備類の点検を行う模様が新聞に載っていたのを私は目にしていた。日頃からの点検と訓練がいざという時(初期消火)に役立つことは言うまでもない。
小早川隆景公が本郷の新高山城に建てた匡真寺(きょうしんじ)を三原城築城の後にこの地に移したといわれ、曹洞宗に改宗したのは福島正則公の時代になってからである。
国重要文化財
宗光寺山門 一宇
昭和二十八年十一月十四日指定
宗光寺山門は小早川隆景の居城であった豊田郡本郷町の新高山城の城門で、隆景によって当寺に移築されたものと伝えられている。四足門の切妻造り、本瓦ぶきで、桃山文化の趣きを伝えるすぐれた蟇股の彫刻類、木割りの未確立のとき建てられているなど、桃山時代の特色をもつ建造物である。
中世に沼田荘の運営にあたっていた小早川氏は、毛利元就の三男隆景を養子に迎え、瀬戸内海の水軍を手中に収め、毛利氏の一翼をになって中国統一に乗り出したが、本郷の地は海岸より離れているので、水陸交通の要にあたる三原の地に三原城を築城した。
三原市教育委員会
参道脇には文化財を火災から守るための放水銃や消火ホース格納箱が設置されている。今年1月23日に住職立ち会いのもと三原市消防本部職員が消防設備類の点検を行う模様が新聞に載っていたのを私は目にしていた。日頃からの点検と訓練がいざという時(初期消火)に役立つことは言うまでもない。