寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山港内港の埋立地に建設された福山市立大学

2013年03月20日 | 郷土史
備後国・福山藩主・水野勝成公には先見の明があった。神辺の山城を捨て未開の地である福山に平城を築き、城下町を整備すると共に干拓事業を推進し小作農を減らした。明治政府には散々冷や飯を食わされた福山が復活の兆しを見せ始めるのは陸軍の誘致に成功してからである。経済効果はてき面であったが、米軍の無差別爆撃によって市街地はほぼ壊滅、一からのスタートを余儀なくされた。

敗戦後入江がどんどん埋められ国道2号線などの太い道路も完成し福山はより暮らしやすい街として蘇った。日本鋼管(現JFEスチール)が来て団地が造成され、山陽新幹線の開通を境に農地が住宅地となり繁華街が次第に分散していった。今では駐車料金無料のスーパーや複合型ショッピングモールが車で来た客で溢れている(車社会確立前の商店街の賑わいを女々しく懐かしむのは老化の表れだ)。

福山市中心部(及び郊外)は「懐古主義者が巣くう鰻の寝床のような田舎町(水運の衰退によって没落した典型例=過去の栄光から抜け出せずに朽ち果てる悲しき運命)」など眼中になく時代の変化に対応して変貌を遂げてきた。それ故我々は広大な平地で文化的な生活を満喫できるのである。

福山港内港周辺の地図(昭和30年代)

多くの人たちの利便性を重視して市立大学が福山港内港の埋立地(港町2丁目)に建設され平成23年4月に開学したことはまことに喜ばしい(県内の山奥に建つ四年制単科大学が定員確保の危機感を持ったのは当然だろう)。優秀な学生の皆さんには「福山には新しい物と同じ位古い物がたくさん残っていること」に気付いて欲しい。城下から少し足を延ばせば史跡(国宝の明王院本堂・五重塔など)だらけなのだから。些細な事例(メディアが流す偏った情報)に縛られず歴史を自由にかつ丹念に調べて視野を広くすることが重要である。

広島県道260号松ヶ端交差点から福山市立大学を望む

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春の恵み・ふきのとうのアクを抜く

2013年03月20日 | 食材
ふきのとうを初収穫した。山菜は食べる前にアクを(適度)に抜く必要がある。水洗いして汚れを落としたら熱湯で2分程度茹で冷水に取る。

ふきのとうのアク抜き(水に30分晒す)

水に晒せば晒すほど苦みや渋みが少なくなるが、山菜の持ち味を消してしまったのでは意味はない。大人の味が好みならば30分も浸けておけば十分だ。水気を絞って下処理は完了。

アクを適度に抜いたふきのとう

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