つなぎ保育園前から小高い丘に向かって道が南西方向にのびている。これが惣戸(そうど)神社への参道である。


綱木の保育所の脇にもやい石と称する石が建っています。通りがかったお年寄りが「ここへ船を繫いだんだ」と船着き場を信じ込んでいるふうでした。海退現象で、もとは湾奥の港だったことはうなづけます。蛇山(深津高地)の北端で、目標のはっきりした船着き場だったでしょう。陸に上がって丘の上に祠を祀ったことも想像できます。ただし、奈良朝前後と平安初期の海港として機能していたかは確証がありません。
『続深津島山 ‐孝現学序の段‐ / 佐野恒男(平成十年)』
参道が直角に折れ曲がる地点辺りから惣戸神社の社殿が顔を出す。旧市村の人々が「そうどうさん」と呼んで親しんだ特別な神社である。



綱木の保育所の脇にもやい石と称する石が建っています。通りがかったお年寄りが「ここへ船を繫いだんだ」と船着き場を信じ込んでいるふうでした。海退現象で、もとは湾奥の港だったことはうなづけます。蛇山(深津高地)の北端で、目標のはっきりした船着き場だったでしょう。陸に上がって丘の上に祠を祀ったことも想像できます。ただし、奈良朝前後と平安初期の海港として機能していたかは確証がありません。
『続深津島山 ‐孝現学序の段‐ / 佐野恒男(平成十年)』
参道が直角に折れ曲がる地点辺りから惣戸神社の社殿が顔を出す。旧市村の人々が「そうどうさん」と呼んで親しんだ特別な神社である。

