寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山市伏見町の三菱東京UFJ銀行そばに建つ福山医学黎明の地碑

2013年03月22日 | 郷土史
三菱東京UFJ銀行福山支店横の植え込みに福山医学黎明の地碑がある。同仁館という藩立の医学校・病院があった場所は毎年公示地価の上位にランキングする。

福山医学黎明の地碑

 「同仁館」創設と運営…福山藩は明治二年九月城下の西町字築切の西側にあった藩士青木勘右衛門の邸宅を買入れ、藩立の医学校兼病院を設けた(現、福山市伏見町四-二八~三八付近)。これは洋方医学の教育機関であるとともに、広く一般庶民をも診療する近代的医療機関であった。
 「同仁館」と名づけられたこの施設の設立にもっとも尽力したのは、誠之館洋学世話取・教授寺地強平であり、これを助けたのが、寺地の弟子五十川基および小林義直の二人である。…
 医学校には、病院長寺地をはじめ八人の洋方医官が、教授・助教として医学生の教育にあたった。生徒数は、入校(寄宿)七人、通学二九人、合計三六人であった。…
 診療活動 病院は藩営であったため、診療代は無料、薬代は原価、貧窮者は施薬であった。しかも身分にかかわらぬ平等の治療であったから、福山地方の患者は、重症軽症を問わずここに集って治療を受け、病室の設備もあったから入院の患者があったという。また患家の需めに応じて往診も行われていた。

 かくして、福山地方の医療の中心として、病院は非常に隆盛となったが、廃藩置県で福山藩が福山県となり、さらに明治四年一一月、深津県が成立すると、翌一二月には、同仁館は廃止されて、書籍や器械は誠之館本校へ移され、医師は四散して開業医にもどった。

『誠之館百三十年史 上巻(昭和六十三年)』


13年県内公示地価 景気持ち直し下落幅縮小

 備後の商業地で最高価格となった福山市伏見町の「三菱東京UFJ銀行福山支店」付近

『平成25年3月22日(金)山陽新聞』

備後の商業地の公示地価1位が福山市伏見町4-38の56万9千円(-6.9)、2位が同市三之丸町7-21の22万円(-6.4)、3位が尾道市土堂1-8-20の20万7千円(-5.9)、4位が三原市城町1-8-2の19万4千円(-4.4)、5位が福山市笠岡町1-3の18万円(-4.8)、※枠内は変動率。

外野(売文乞食共)が何と書こうが地価が示すように福山市中心部は非常に住みやすい所なのだ。ここには変化する街を眺める楽しさがある。後ろ向きの発想は衰退する運命の町だけが持ち続ければいい。

福山市伏見町4-38の三菱東京UFJ銀行福山支店

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三原市本町3丁目14・虫籠窓を配した家

2013年03月22日 | 
宗光寺参道と西国街道が合流する所にヤッサ饅頭本舗本店がある。三原城下は空襲を受けていないので古い建物が数多く残る。

ヤッサ饅頭本舗本店

三原市本町の地図

ヤッサ饅頭本舗から街道を東へ少しへ戻ると可愛らしい造りの本町交番が見える。本町交番の斜向かいに位置する町家(本町3丁目14-29、14-30)には虫籠窓がある。堅格子の部分が取り除かれて現在に至っているようだ。

三原警察署本町交番
 
本町食堂隣の装飾テントに書かれた「㈲小川久商店」の文字、ここは昔猟銃を扱っていた店で観光客が足を止めて撮影していくと地元の人が語っていた。

本町交番斜向かいの虫籠窓の家(本町3丁目14-29・14-30)

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