恵比須神社より更に東へ歩くと和久原川が流れている。冒頭の画像は神明大橋西詰である。橋の親柱にだるまさんをのせているところが三原らしい。


神明大橋と刻まれた親柱(南側)のそばに「和久原川水刎(館町)」の説明板がある。私は草むらに入っていく際に危うく犬の左お捻りを踏みつけそうになった。
川岸から川中へ向けて三角形に石垣を築き出し、川の流れを弱める役と、流れの方向を変えて、三原城の「東築出」の用地を確保する為に造られた石積と考えられます。
流水の強く当たる所の大石には、それぞれに穴を開け、鉄棒を通して連結してあるそうです。…
今も館町側に残る石積はJR三原駅構内に設置された備後国三原城絵図(慶応年間)にも描かれている(赤線の部分)。私は急遽予定を変更して本町方面を歩いてみることにした(※道中記はいずれまとめるつもりだ)



神明大橋と刻まれた親柱(南側)のそばに「和久原川水刎(館町)」の説明板がある。私は草むらに入っていく際に危うく犬の左お捻りを踏みつけそうになった。
川岸から川中へ向けて三角形に石垣を築き出し、川の流れを弱める役と、流れの方向を変えて、三原城の「東築出」の用地を確保する為に造られた石積と考えられます。
流水の強く当たる所の大石には、それぞれに穴を開け、鉄棒を通して連結してあるそうです。…
今も館町側に残る石積はJR三原駅構内に設置された備後国三原城絵図(慶応年間)にも描かれている(赤線の部分)。私は急遽予定を変更して本町方面を歩いてみることにした(※道中記はいずれまとめるつもりだ)

