私はバス停前で足を止め「これだよ」と大声を上げた。順勝寺山門は三原観光のおすすめスポットである。西国街道沿いに新旧の建物が違和感なく並んでいるが三原の「いぶし銀的魅力」だろう。
三原市重要文化財
順勝寺山門
昭和五十四年四月二十一日指定
所在 三原市 西町
三原場内にあった御作事奉行所門を、明治十年(一八一七)に順勝寺に移したものである。
築城当時の建築物が、当時の状況を保存して現存するものは非常に少なく貴重な遺構で、永禄から天正年間(一五五八~九二)の作と推定される。
構造形式
四脚門、切妻造り、本瓦葺き、
梁間二・三七メートル、桁行六・〇メートル、
軒高三・二メートル
三原市教育委員会
![順勝寺山門の説明板と作事門と刻まれた石碑](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/9a/c85949db37ca25b871e9917ed3ec63b3.jpg)
![作事門と刻まれた石碑(裏面)](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/3f/d3d9de1f0082d7604cb784d3680d5cf1.jpg)
「三原市重要文化財 作事門」と刻まれた石柱の裏には補修寄附者の名がある。この奥延哲朗という人は煮豆製造メーカー「奥延食品(三原市皆実2丁目)」の創業者でまたびっくりした。私は中門の方へ向かった。
![順勝寺中門](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/57/c1e261d117d3f3d3c3e5bf8bd7691663.jpg)
三原市重要文化財
順勝寺山門
昭和五十四年四月二十一日指定
所在 三原市 西町
三原場内にあった御作事奉行所門を、明治十年(一八一七)に順勝寺に移したものである。
築城当時の建築物が、当時の状況を保存して現存するものは非常に少なく貴重な遺構で、永禄から天正年間(一五五八~九二)の作と推定される。
構造形式
四脚門、切妻造り、本瓦葺き、
梁間二・三七メートル、桁行六・〇メートル、
軒高三・二メートル
三原市教育委員会
![順勝寺山門の説明板と作事門と刻まれた石碑](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/9a/c85949db37ca25b871e9917ed3ec63b3.jpg)
![作事門と刻まれた石碑(裏面)](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/3f/d3d9de1f0082d7604cb784d3680d5cf1.jpg)
「三原市重要文化財 作事門」と刻まれた石柱の裏には補修寄附者の名がある。この奥延哲朗という人は煮豆製造メーカー「奥延食品(三原市皆実2丁目)」の創業者でまたびっくりした。私は中門の方へ向かった。
![順勝寺中門](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/57/c1e261d117d3f3d3c3e5bf8bd7691663.jpg)
![にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ](http://diary.blogmura.com/hitorigoto/img/hitorigoto80_15.gif)