寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

備後国安那郡川南村と深津郡千田村との境

2012年11月05日 | 郷土史
丙谷池(丙里池)の横を通り過ぎると緩やかな上り坂である。右手に総合美研社(神辺町川南)が見えるが、この先から千田町大字千田となる。

備後国安那郡川南村と深津郡千田村との境辺り(江戸時代)

少し前までは深安郡と福山市との境であり、江戸時代は安那郡川南村と深津郡千田村との村境でもあった。人と物資が行き交う重要なポイントとして統治者が監視の対象としていたことは容易に想像がつく。

旧深安郡神辺町川南と福山市千田町(右)との境

当時の村境を示すものが山すその窪みと排水溝の上に打ち込まれた三角形のコンクリート製のくさびだ。くさびより左(北側)が神辺町、そして右(南側)が千田町となる。村境を越えた所が湯坂谷という字で、今でもこの坂は湯坂の峠と呼ばれている。

安那郡 川南村
當村と千田の境に湯坂と云所有、福山への往還也。此所、東の方を首立場と云、杉原時代の磔塲なり。

『備陽六郡志』

東側の山林を見上げ角さんのように片手を額の前に上げた。私が福山への往還を「念仏街道」と名付けた理由の一つは過去の歴史を考慮してのことである。

湯坂谷(東方の山中)

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身欠きナゴヤフグ

2012年11月04日 | 食材
ハレの日にはトラフグ、普段はナゴヤフグというように私は買い分ける。ナゴヤフグの語源は猛毒(テトロドトキシン)にあたると身の終わり(美濃尾張)から来ている。

ナゴヤフグはショウサイフグのことでトラフグよりも安価で味もそこそこよい(上質な鶏肉のような味わい)ので昔から庶民に親しまれてきた食材である。我が家では鍋に入れたり煮付けや唐揚げにもする。私は厚引きの造りを自家製ポン酢で食べるのが好きだ。身欠きナゴヤフグ(可食部分)は秋から3月の末まで楽しめる。

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阿部慎之助の決勝打に感動!

2012年11月03日 | 日記
日本シリーズ第6戦、3回が終わった段階では沢村が胴上げ投手になるものと思っていたが、期待は見事に裏切られた。私が再びテレビをつけた時には3対3の同点だった。そして阿部のセンター前ヒットをリアルタイムで見て拳を振り上げた。

巨人の日本一を祝って乾杯中の私はもう明日のこと、つまりイトーヨーカドーの特売が気になり始めている(笑)

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福山市神辺町川南の丙谷池で足を洗ったことのある私

2012年11月03日 | 郷土史
共用墓地を後にして長畑の集落に入る。青色のゴミステーションを通過して南へ急ぐ。

長畑ゴミステーションがある辺り

丙谷池の手前にある海鼠壁の建物(工場跡?)

元工場と思しき海鼠壁の建物に近づいた辺りから薄暗かった念仏街道が一時的に明るくなる。大きな池の手前まで来たという合図だ。

丙谷池(地図の表記は丙里池)

街道左手の丙谷池(地図での表記は丙里池)は水草でびっしりと覆われていた。私はかつてこの池でぬかるみにはまった足を洗ったことがあった。あの時ほど池の存在が有難いと思ったことはない。

丙谷の艮神社への参道

池のほど近く(方角は東)に艮神社が鎮座する。本殿は少し登った山中にあり、横に艮神社大総代・松本卓臣氏の叙勲記念碑が建っている。

丙谷の艮神社

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安芸と備後との違い

2012年11月02日 | 日記
安芸国の大学に入り100万都市の出身者とも仲良くなりこんなことを言われた。

「備後ってこわいよね」

不意に痛いところを突かれた私は「確かに柄は良くないと思う、僻地へ行けば。特に高校教育は問題ありだ。俺が籍だけ置いた学校は最低だったな。結果の平等を追い求めて歪んだ思想を植えつけようとする…どういうわけか知らんが、山のてっぺんに移った学校は陰口をたたかれとるな」と答えた。

友人は備後の中心である福山市の恥部についてよく知っていたので更に踏み込んで意見を述べた。

「特定枠のある学校のことだな。人は違って当たり前なのに何故か同じ歪な型に嵌めようとする。百害あって一利なしだ。お前も酷い目にあったんだな」

「うん。だからもともと好きでもなかった地元が本当に嫌いになったよ。広島に来てせーせーしたわ」

私達は腹の底から笑った。広島市も左巻きが多い土地だったが、学内にコテコテのとう○んはおらず、言論の自由はあったのである。

安芸国には熱い(よく言えば面倒見のよい、悪く言えばお節介を焼く)人が多かった。備後国の冷めぶりとは明らかに違っていた。彼らと付き合い出して備後の最大の欠点は僻みっぽい所だと分析し「評価されない理由を他人の所為にする前に己の非を反省すべき」と感じた。

その後私は関東に移住し備後の特異性と異常性を痛感することになったが、食文化だけは水準以上だと自信を持って言えた。ただし麺と粉モノが弱過ぎる。より美味しい「福山の名を冠した」新食品を生み出せばいいのに前に進もうとしない。湯崎県政になってメディアが福山をボチボチとり上げるようになったのを好機と捉えるべきだ。「感謝の念を忘れず精進すること」が今この街には求められている。

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アオリイカにまつわる思い出

2012年11月02日 | 食材
スミイカやベイカを食べて育った私がアオリイカに出会ったのはかなり遅かった。静岡近辺を旅行した帰りに駅前でアオリイカのゲソやミミが一まとめで数百円という安さで売られていたので即買った。鮮魚コーナーの兄ちゃんにおすすめの食べ方を聞くと「やっぱりバター焼きかな」と言った。

アオリイカのバター焼きは予想以上の味で「生が一番旨いとは決して言い切れない」と思ったのである。だから刺身の類がダメな人が魚介類をこのように炒めて食べるという話は理解できる。バター+ニンニクは生臭みをマスキングするだけでなく食欲をそそる香りを出し濃厚な味わいとなる。

大きなアオリイカの一夜干しを軽く炙って食べるのも好きだ。高価な(生の)ケンサキイカにはつれない私だが、スルメ(乾物)だけは高く評価する。火の通し方(また乾燥具合)によってイカの味が大幅に変わることを知っておいて損はない。

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福山市神辺町川南の首無し地蔵

2012年11月01日 | 郷土史
国道313号を通り横尾(飴が有名な町)を経由して福山城下へ入る方法が今では主流だが、昔は別のルートがあった。常夜灯の背後の道がそれだ。神辺町丁谷(ようろだに)陸橋と常夜灯の間に公衆電話ボックスがあり、その横から細い道が国道より分かれて山すそを走っている。

神辺町丁谷陸橋から旧道(左)と国道313号(右)を望む

墓地の石仏群

これが福山への往還で私は勝手に「念仏街道」と名付けた。往還に入ってすぐ左手に共用墓地が現れ、前列にたくさんの石仏が並んでいる。

山のふもとの旧道沿いに墓地はある

ゴミに埋もれた念仏碑

更に進むと「南無阿…」という文字が刻まれた念仏碑と石段が見える。石段の上り口で三界万霊塔と奇妙な形の(青みがかった)石が異様なオーラを放つ。

共用墓地へ上がる石段脇に建つ三界万霊塔

私は往還を初めて通った時に三界万霊塔の存在を知ったのだが、隣の石が首無し地蔵だとは夢にも思わなかった。確かに間近よりも少し離れた所から見た方が判別しやすいと思う。

葬一
ムカシ淨玄寺ト云寺アリシヲ今ノ光蓮寺ニ移セシアトナリト云六字名號石アリ小石ニテウテハ鳴ルコト鉦ノコトシ

『福山志料』

共用墓地の一部は光蓮寺(前身は浄玄寺)のもので、このような形になったのは明治に入ってからのことだと聞いた。首無し地蔵(青石地蔵)に関する詳細な記述は『神辺風土記 / 菅波堅次』にあった。

青石地蔵
“川南村誌草稿”は次のように記している。

青石地蔵尊
浄玄寺ニ有リ,九州往還ノ内三界萬霊トアル墓ノ西ニ隣ル
水野日向守勝成公,神辺黄葉山ニ入城ノ後,其処ニテ刀ヲ試ミン爲人ヲ切ラレケルが,其者ヲココニ埋メ菩提ヲ弔ヒ玉フト伝フ,是レ其墓ナリ

 此の地蔵は蓮座の下から肩まで40cmあり,仏頭が何時失くなったかは不明である。材質は火山岩質のものであり,相当摩滅して苔等が附着しており青褐色を呈している。…この首無し地蔵に接して“四生平等”の石柱が立ち,何とも奇妙な光景である。話が嘘なら勝成こそ迷惑な話である。

 青石地蔵の話を本当として憶測すれば,前期福島浪人提弥惣の一件の流伝かとも思える。当時の妙立寺,藤井広昌の住居は何れも丁谷にあり,地蔵の位置はその出口にあたる。

試し切りの話は今となっては確かめようもない。しかし、城下町が神辺から福山へ移行する流れを把握する上で貴重な石造物と言える。旧深安郡神辺町の隠れた宝としてこれからも大切に守っていってもらいたい。

首無し地蔵(青石地蔵)

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里芋料理の定番・煮しめ 

2012年11月01日 | 家飯
秋になってから里芋を既に3回は食べた。定番とも言える煮しめは飽きがこない。我が家では薄口醤油を主に使い淡い色合いに仕上げている。

芋の質がよければコテコテの鰹だしは特に必要ない。昆布プラス煮干で十分という気もする。味を含ませた里芋に粉を塗して油で揚げたり、これをあんかけにしても非常に美味しい。

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