(阿武隈渓谷の秘境駅@兜駅)
阿武隈急行は、福島盆地から阿武隈川に沿って宮城平野へ向かう路線ですが、その福島盆地から宮城平野の間には、奥羽山脈の南端にある蔵王連峰と阿武隈山地の山が迫り出した隘路があります。東北本線では、藤田から貝田にかけての国見越えに当たる部分になりますが、阿武隈急行はここを阿武隈川が刻む渓谷とともに進んで行きます。官営鉄道が白石回りになったのは、この阿武隈渓谷沿いの隘路を切り開くだけの土木技術がなかったから・・・という説が有力ですが、阿武隈急行は富野から丸森にかけての渓谷の区間を、高架橋と断続的なトンネルで交わしていきます。この区間は県境の山間部ということで差し当たって目立つ集落や街もなく、各駅間の間隔も非常に長くなるのですが、そんな場所にあるのがこの兜駅。渓谷を望む片面ホームが高台にあるだけの、いわゆる秘境駅になりましょうか。
駅前の道を山手へ進むと2~3分でこんな感じ。見た限りの中では人家は一つも見えず、既に花の終わってしまった桃畑は青々とした葉を繁らせていました。若葉の季節から青葉の季節へ。阿武隈山地の見事な新緑というほかはありません。それにしても、この桃畑は果樹園として機能しているのだろうか。畑に降りて行く農道も普請されたような跡がなく、下草の生い茂りようからも何となく世話をする人がいなくなってしまったのかな、というような雰囲気があります。農業従事者の中核を担ってきた団塊の世代の高齢化による棄農は、福島に限らず全国的な問題ですけども、そういう里山の放棄された農地や果樹園を狙って、野生動物が里に降りて来るという悪循環もありますよね。獣害が増加しているのは、決して地球温暖化により山の生態系が変わったということだけではなく、人が入って作物の世話をする場所が減り、野生動物が警戒をすることなく大手を振って簡単に食糧を手に入れる環境を提供してしまっていることにも理由があります。
そう言えば、兜駅に入る細い路地道には、「クマ出没注意!」の看板があった。一応何かがあっても嫌なので、三脚を立ててアングルを決めた後はクルマの中で過ごす。この日の阿武隈路、朝から抜けるような青空で、陽射しが痛いほどであった。幸いにしてクマの出没はなく、列車の通過時刻を迎える。ここらへん、日本の鉄道のダイヤの正確さがありがたい。山を渡る風の音と、鳥のさえずりだけしか聞こえない阿武隈渓谷は、緑の満漢全席、といった趣。静寂を破るモーターの音が聞こえて刹那、高架橋を駆け抜けて行くAT8100系の姿を収めました。