青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

真夏の近江熱風録 デキ高払いは200円編

2013年07月24日 21時22分48秒 | 近江鉄道

(匠の技@700系妻面)

いろいろと西武から電車を持って来ては、あれこれと手を加えカスタマイズする近江の匠の技。車両の連結面を見てふと気付いたのが、近江鉄道の車両は車体の角を不自然に掻き取っている。よく見れば大半の大型車両がそうなので、これは車両の大型化に伴いカーブした未整備のホームと車両が干渉しないように取られた対策なんではと思われる。よく大根の煮物とか作る時、お互いが鍋の中で当たって崩れないように角を取ったりする「面取り」と言うテクニックがありますが、あれに近い。「こんなデカいクルマ、ホームに当たりそうで怖くてかなわんわ~」「じゃー当たらんよ~にボデーの端のとこ切っとこか~」みたいな会話が聞こえて来そうです(笑)。

  

多賀大社前からガチャコン226に乗車し、高宮で本線の米原行きにお乗り替え。お、今度は近江鉄道700系がやって来ました。近江鉄道開業100周年を記念し、「んじゃあイベント用にJRで言えばジョイフルトレインみたいなの、行っとく?」と彦根工場の匠が言ったか言わないか、タネは西武の新401系を使ってトンテンカンとこしらえた車両であります。腰の部分をくの字に折り、加えて裾を前に寄せた前面にはワイドな三面ガラス。側面は埋め込み型の大きな一枚ガラスの窓が並び、水色と赤のラインを裾に巻きますが…よくもまあ無表情な西武の401をここまで作り替えたもんだと感心することしきり(笑)。車内は近江鉄道唯一のクロスシート(転換型)で、転換クロスはJR185系の更新工事の際に取り外されたものを流用しているそうな。転クロにしては座った時のバランスがよく、シートピッチがゆったりしていて悪くないっすね。

   

さて、改めて彦根に戻って参りました。
彦根には彦根電車区と彦根工場がありまして、文字通り近江鉄道の中核を為す駅。ホームに隣接した留置線周りは、何年か前に彦根駅周辺の再開発をきっかけに資料館を併設した「近江鉄道ミュージアム」 として再整備されました。惜しむらくはその開館日が4月~11月の間だけで、かつ基本的には月に1回とかなり限られていること。今日はその開館日なんですけど、最終的に今日の近江行きを決めたのはこのミュージアムの開館日だったからと言っても過言ではありません。改札口を抜けてミュージアムのある東口広場へ繋がる跨線橋から眺めれば、かつて貨物輸送華やかなりし頃に活躍していた貴重な旧型電機たちが所狭しと並んでいる圧巻の光景。中に入るには入場料200円を別途徴収されますが、個人的にはもうちっと入場料上げてもいいから、せめて土日は開館してもいいんじゃないかな~って思う。

  

展示車両の中でまず目立つのは、近江に4両が導入されたED14型。ED141~144の4両すべてが展示されておりますが、主に多賀(今の多賀大社前ね)にあったキリンビールの工場と住友系のセメント工場に、ビールの原料やらセメント用の石灰石やらを運んでいたらしい。ヤマの向こうの三岐同様、滋賀の名峰伊吹山も石灰石の採掘が盛んなところでしたからねえ。

  

このED14はまだ国産で大型の電気機関車を作る技術に乏しかった大正14年、幹線向けに当時の鉄道省が輸入したもの。内部に入ってみると、コントローラには「GENERAL ELECTRIC」の文字が入っていて、米国GE社製である事が分かります。今や原発企業としての名前の方が有名になってしまったGEですが、当時からアメリカの主要な重電メーカーでもありました。東海道線の東京~国府津間で働いた後、中央東線や仙山線など山岳系路線に転属した経緯からみても結構パワフルなカマだったらしく、そのために近江では本線筋で重量オーバーになってしまう橋があって、運用は米原から多賀の間に限定されていたとの話。キャブに乗って中を見てみましたが、うーん、正直カマの機械的な仕組みなぞ何にも分からなくても、昔の機械らしい脂濡れしたメカニカルな風合いは感じ取れる。それにしても真夏の機関車の運転台の何と暑いこと(笑)。熱中症なんて言葉のなかった時代、夏のカマ乗務はクソ重労働だったろうなあと思う。

  

左側からED31、ロコ1101の凸型電機。特筆すべきは真ん中に位置するロコ1101型で、現在のJR阪和線の前身である阪和鉄道の電気機関車。昭和5年、東洋電機製造製。横から見ればセンターキャブの車体も、正面から見れば運転席の前面に視界確保のためランボードを寄せた非対称の変わった形をしておりますね。ハコ乗り風と言うか(笑)。

  

ED31は戦時買収された伊那電気鉄道(飯田線)の機関車で、ブリルの台車が渋い。運転台に上がれるので中に入ってみたらやったら運転台の窓が小さく視界が非常に狭い。こんなんで本線走ったら運転士の人は怖くてしょうがなかったんではなかろうかと…「通票・信号・進路 先ず確実な打合から」の標語、大事なことなので運転台に置いておきました。

 

このミュージアムは彦根駅の留置線の一角に作られているのですが、レールが明確に本線と区切られている訳でもなく、西武から貰って来た新101系もそのまま留置兼展示対象となっております(笑)。さすがにこれは何らかの改造を施した上で営業運転に入るのだろうけど、スカートなしの車両の奥に近江の魔改造マスクがちらりと見えたりして、オペを待つ新101系の心境やいかに(笑)。
他の見学者さんの漏れ聞く話によれば、今年の2月に西武から持って来た編成だそうでなるほど西武時代のステッカーもそのまま。本家は武蔵境とか萩山のあたりで鈴木その子の如く白塗りされちゃってますから、黄色塗装のまんまというのも貴重なのかもしれませんねえ。先にデビューした900系は藍色に塗られてしまったけれど、移籍してからそんなに時間も経ってないせいか退色もなく、リバイバルブームに乗って2本目はあえてこのままで走らせたりすれば小平市民とか東村山市民とか感涙モノでしょうw


日干しになっている新101系がオペされるであろう彦根工場を跨線橋から遠景してみる。新鋭900系は朝のお勤めを終えてお休み、朝一番で乗った検診編成(笑)もお休みに入っちゃってますねえ。至って普通の地方私鉄の車庫の風景ですが、ここに蓄積された匠の技こそ近江の真骨頂、鉄道電車の虎の穴なのであります。

次回へ続く。
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真夏の近江熱風録 キング・オブ・ガチャコン編

2013年07月21日 09時15分18秒 | 近江鉄道

(キング・オブ・ガチャコン@近江鉄道226型)

さて、ひとしきり高宮駅で「ローカル私鉄の駅が持ついい雰囲気」を堪能した後は、折り返しの多賀線電車でまずは終点の多賀大社前へ。多賀線の折り返し運用に入っているのは前項でも触れました近江鉄道220型電車226号。西武グループらしくライオンズカラーをまとったコンパクトな17m車両で、流動の少ない線区や時間帯を効率的に埋めてくれる、痒いところに手が届く小回りの効いたナイスガイであります。

 

ちなみに高宮からこの電車に乗ったのはアタクシ一人だけでございまして…(笑)。小回りが利くと言ってもこれではちょいと寂しいか。多賀線は終点まで2.5km足らずの盲腸線ですが、その中間駅の名前は「スクリーン」。知らずに来たらちょっと衝撃的な名前である。せめて「前」くらい付けても良かったんじゃねーのかとw。別にこの駅で降りても映画館がある訳ではなく、これも先ほどの「フジテック前」と同様、プリント基板製作を主業とする大日本スクリーン彦根事業所に隣接して開設された駅でもあります。しかし英単語だけで完結してしまう駅名って日本で他にあるんかいな。あ、ハウステンボスとかスペースワールドみたいなのは除外ね。

  

多賀大社前駅。地元自治体のコミュニティセンターと併設された形の駅舎で、見てくれはそこそこ立派な建物。駅には臨時改札口もある3面2線のホームは、やはり正月の初詣等の多客対応などを意識して作られているものと思われます。多賀大社の門前町をそぞろ歩きながら思うに、多賀と言えば私的には多賀大社より名神高速道路の多賀SAの方が有名なんですけどねえ。その昔から東名の足柄上りと多賀下りにだけはレストイン(宿泊休憩施設)があって、高速道路地図パンフでベッドのマークが付いているSAって相当珍しいものでしたからね。ちなみに多賀大社前駅から多賀SAまでは900mくらいで、歩いても行けるみたいですよ。看板立ってましたから。

  

徒歩10分ちょっとで多賀大社到着。なるほど「お多賀さん」と言われて全国の信仰を集めるだけの立派な神社である。イザナギ・イザナミノミコトがお祭りされており、「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」との言葉もあるとか。なんか境内に柱が乱立していてちょっと景観を損なうのだが、来月初旬に行われる「万灯祭」の準備のためらしい。お賽銭を投げて二礼二拝一礼。病気の平癒と家内安全、そして皆様の趣味活動のますます活発ならん事を祈願させていただきました(笑)。


参拝を終え、駅に戻ると再び226型が入線して参りました。この車両、見掛けはかわいらしくリアルBトレインショーティーって感じの風貌なんですが、走らせると「カァァァァァ~ン!」と言う豪快な吊り掛けサウンドを奏でるそのギャップにクラクラします。台車こそ新しい空気バネ台車(西武系でおなじみの住友のFS台車)を履いているものの、駆動装置が以前から近江鉄道で使われていた旧型車のモーターなので、空気バネでありながら吊り掛け駆動と言うマニアにはたまらない珍車。その他の部品も、側板や付属機器などは廃車からの流用品を借りつつ、前面と運転台だけは新製して彦根の工場でくっつけているので、色んな時代の色んな車両の部品が新造部品と合わさった歴史年表のような車両になっています。まあそれをやってのける彦根工場の改造能力は凄いって事ですか。

  

正面から見ると、この226型は大きなスノープロウを履いていて、それがまたアクセントの一つになってますね。これは、冬場はラッセル車の代わりとして働いたりもするからなんだそうです。冬は米原のあたりも結構雪が降りますからねえ…あと、この小さな体で両運転台って特性を買われて工場内の入れ替えのためにアント代わりとして使われたり、ある時はホキを引いて工臨として走ったりもするそうで、まさに生い立ちから生き様まで何でもアリの何でも屋。やる事なす事全部がガチャガチャしている、まさしくキング・オブ・ガチャコン電車。小柄な体に流用部品をまとい、体の割に大きなパンタを構えているその姿を見ていると、何となく親会社の西武にいたE31型を思い出しますよ。あれはれっきとした機関車だったけどね。

個人的にはこの車両がワムハチみたいな有蓋貨車とタンク車とか引いて、混合列車として走ったら似合うんだろうなあ…と思ったりもします。
そんなイベントやったら、真っ先に近江に駆けつけねばならんだろうなw

次回へ続く。
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真夏の近江熱風録 癒しの駅編

2013年07月21日 04時55分32秒 | 近江鉄道

(田んぼの中に忽然と@フジテック本社)

米原駅を出ると、JR線を右に分けてすぐ、車窓右側に田んぼの中に忽然とタワーのようなものがそびえているのが見えます。これは、日本有数のエレベーターメーカーである株式会社フジテックの本社と、「ビッグウイング」と言う名称の研究センター。タワーはエレベーターの実験棟でして、その最寄り駅として開設されたのが米原駅の次の駅であるフジテック前駅。実際この会社に用事がある人のどんくらいが使っているのかは不明。基本車通勤だろうしねえ。ただ、こんな感じに特定の企業向けに駅を作ると、当然ですがその企業から駅の建設代金がナンボか出たりもするんで、お互いに悪い話ではない。近江鉄道には他にもこの手の駅がいくつかありますが、ネーミングライツ的なモノを与えて駅を作って貰うと言う考え方は、地方私鉄の特徴の一つと言えるかもしれません。


米原を出た電車は、旧中山道沿いにフジテック前、鳥居本と停車し、佐和山トンネルで小さなサミットを越えますと視界が開け、右側の山の上に彦根城を見ながら彦根の街へ降りて行きます。電車区と修理工場を持つ彦根駅は近江鉄道の中心駅でして、運行上も一旦ここで分断される列車も多い様子。とりあえず米原から乗って来た電車はこの彦根で終点にて車庫に回されてしまうので、すぐに接続する貴生川行きに乗り換え。今度も同じ800系の804編成。一旦彦根はスルーしますが、お後のお楽しみもありますのでとりあえずは先を急ぐことに致します。

 

米原で別れ、彦根で再び寄り添ったJR線を右に見ながらひこね芹川、またまたお別れして彦根口を過ぎると(この彦根口の駅舎がたいそう古くて渋かったなあ)、多賀大社へ向かう多賀線の分岐駅である高宮駅に入って行きます。車窓前面から見ると、左側にググッとカーブしているのが多賀線の線路ですね。多賀線は駅の手前で本線の下りから分岐して急カーブの途中にホームを作っているので、ホームは彦根側から見ると逆ハの字型と言うか、扇形をしております。鶴見線の浅野駅とか、去年行った富山地鉄の寺田駅とかを思い出していただければよろしいかと(笑)。中線を挟んで本線上下の交換設備がありますが、相対したホームの上下列車の停止位置はちょうどお互いの運転席を頂点に突き合わせるような感じで互い違いになっていて、タブレット交換をしていた名残かなんかなのでしょうか。その上下列車の停止位置の間を構内踏切が連絡しており、複雑ながらもなかなか機能的な構造であると言えるんじゃないでしょうかね。よく見るとかさ上げ前のホームの基礎部分はレンガ積みだな…どんだけ歴史があるんだよと問えば、明治31年に開業した駅なんだそうで、なるほどなあと思ったり。


高宮駅に到着した彦根発貴生川行き列車。「忍たま乱太郎」マーク付き。何でもこのアニメ映画とタイアップした企画を近江グループでやっているかららしい。さして興味はない(笑)が、終点の貴生川が甲賀忍者で有名な甲賀市にある事も関係しているのかな、と。あ、駅に到着するときの車内の自動放送が、「次は、た↑かみや、た↑かみやです」とやたら「た」の部分を上げるイントネーションだったのがすごく気になったのだが、地元のイントネーションはこれで正しいそうです。

 

ここから接続待ちをしている多賀線の電車に乗り換えて多賀大社前を目指そうと思ったのだが、広い構内と逆ハの字型のホーム、そして構内踏切の雰囲気が良過ぎるなあ。時刻表を見ると、多賀大社へ向かう電車は30分後にまた高宮駅に戻って来るようなので、まずはこの駅をじっくりと見学してみる事に。多賀線の到着に本線の交換が重なり、多賀線から本線の上り彦根方面に乗り換えたかった家族連れが構内踏切に阻まれているのに気付くと、構内踏切の番をする高宮駅の駅員さんが「乗りますかあ~?」と一声。遮断棒を上げて乗り換え客の誘導をする光景などは実にローカル私鉄らしい、人の心が通った微笑ましさがあります。

 

急カーブした多賀線ホームに停まる車両は、単行専門の220型。高宮~多賀大社前の折り返し運用に充当中。夏の日差しと木造のホーム上屋から落ちる影、多賀線のホームの向こうには留置線が何本かあるようなんですが、夏草に覆われて見る影もなく自然に帰ってしまっているかのようです。ちなみにこの220型ってのはなかなか個性ある魅力的なクルマでして、今回の近江訪問で一番気に入った車両なのですがその魅力は改めて(笑)。

 

上下列車の交換も終わり、多賀線の電車が出て行って、高宮駅に静寂が戻ります。カーッと照りつける日差しの下、缶コーヒーを飲みながらホームの端っこにある喫煙所で一服。ハの字型ホームの根元に広がった小スペースには申し訳程度の植栽とモルタル造りの古い待合室がありますが、その待合室の壁にはアサガオの棚が立て掛けられていて、こういう小物系の雰囲気の出し方がいちいち絶妙に思うのですが…全国のローカル私鉄駅舎ファンの皆様いかがなもんでしょうか(笑)。

  

ああ書く事が尽きないな。ともかくいい雰囲気の駅って言うのは佇んでいるだけでヒーリング効果があると言うか、アタクシにとっては岩盤浴とかマッサージとかアロマテラピーとかそう言うものに近い。そんな癒しのエッセンスにどっぷり浸ってたら構内踏切が鳴って、やって来た上り電車は6月にデビューしたばかりの900系でした。「淡海号」と名付けられた元西武新101系な訳ですが、白いのならこないだ多摩川線で乗って来たばっかだぞ(笑)。ともあれ近江では久々の新車、群青色のボディにピンクのラインとイルカをあしらったデザインは結構強烈なものがあって、思わずオッチャンもカメラを向けてしまうのであります。いずれにしろ西武系列の近江鉄道は昔っから西武の車両が入って来るので、何十年かしたらスマイルトレインとかが走ってるかもしれないねえ。


さて、そうこうしているうちに多賀線の220型が大カーブに車輪をキイキイ言わしながら高宮に戻って来ましたので、そろそろ行くとしますか。まずは多賀大社前まで、多賀線の完乗を目指します。と言っても、時間的には5~6分だけどなw

次回へ続く。
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真夏の近江熱風録 序章編

2013年07月20日 21時16分35秒 | 近江鉄道

(さあ、旅の扉を開けよう@米原駅)

下の子が生まれてからというもの、めっきり遠征とはご無沙汰となっておりましたが、とうとう嫁さんから一日フリーのお達しが下賜されたため急遽遠征を敢行して参りました(笑)。まあ何度も何度もモーションかけてたから、さすがに嫁さんも観念したのかもしれん。天の岩戸の前で踊り続ける事幾ヶ月、開かない扉はないという事だね。んで、せっかく貰った一日フリーですから有意義に使いたいなと色々考える訳ですが、最初は「土用の丑の日も近いし、浜松でも行ってウナギ&遠州鉄道でもやっつけるか?」な~んて思ったのだが、浜松なんて自分としてはいつだって行ける距離の範囲内。んじゃあもうちょっと足を伸ばすと…三岐鉄道。去年行った。福井&えち鉄行っちゃう?って気にもかなりなったのだが、よくよく考えたらボリューム的に日帰りでは勿体無いでしょうとトーンダウン。福井行くなら新幹線で米原まで行って特急乗り換えだよねぇ~なんて時刻表をパラパラめくりながら考えていたもんだから、米原から出てる地方私鉄もあるじゃないですか。と言う事で、めでたく今回の夏の一日フリーに選ばれたのは湖国は滋賀県、近江鉄道と相成りましてございます!(ドンドンドンパフ~パフ~)
すいません、あまりに久々の遠征なんで興奮しておりますw

朝4時半に目覚まし無用でビシッと起きるこの体。実は今週突然の左脇腹痛に苦しめられ、死ぬ思いでタクシー乗って病院に駆け込んだら「尿管結石ですね」と言われたこの体(笑)。痛み止めが効かず、のたうち回ってたら結構キレイ系の看護婦さんに座薬を詰め込まれたこの体!wつーか初診だからしょうがないのかもしれないけど診療代高かったなあ。ひょっとしたらプレイ料金が課金されてんのか?(何のだよ)って話は逸れたが給料日前のしょぼい所持金とザックにカメラとレンズを詰めて、三脚持っていざ近江。そうそう今回は尿管結石の薬もちゃんと持ってかないとねって事で眠る我が子らを横目にそっと家を出る朝の5時。新横浜からのぞみ1号に飛び乗って、名古屋のホームできしめん食いつつこだまに乗り換えて、米原に着いたのは8時半。あー、新幹線ってホンット速いですねえ…
近江鉄道。ここ米原から、滋賀県の南東部の都市を結ぶ総延長約60kmの地方私鉄。戦時中に滋賀県出身の堤康次郎に買収され現在は西武グループの一員となってはおりますが、私鉄とは言えその歴史は古く、なんと明治29年に設立された伝統の鉄道会社なのですよ。なんでも東海道本線のルートから外れた街の近江商人たちが、「オラが街にも鉄道を!」と言う意気込みで資金を募って敷設されたんだって。今年で設立118年、近江商人の心意気が詰まった電車は、「ガチャコン電車」とか「ガチャ」と言われて親しまれてるんだそうな。

  

北陸への要衝として極めて広大な敷地を持つJR米原駅の東口にへばりつくように近江鉄道の改札があります。改札口で一日フリー乗車券である「1デイ・スマイルチケット」(800円)を購入しホームに上がります。米原駅は近江鉄道の起点とはなっているものの、運行上の基幹駅は隣街の彦根駅なので、米原~彦根は運行本数もやや少なく閑散としたホーム。電車を待っていると、そこに現れたのは近江鉄道の現役最大勢力である800系のトップナンバー801編成。薄いピンクにラッピングされた電車です。その車体に書かれた「毎年検診に行こう!」と言う言葉の重みがことさらに感じられるのだが、いきなりお説教ですか近江鉄道さん(笑)。

米原8:39発彦根行きで、近江鉄道の旅がスタート。
次回へ続く。
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