青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

四国民鉄旅遍路。

2021年11月06日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(青空の 玉藻城下に 水清し@高松城・玉藻公園)

9月に富山に行ってから、チビチビとここのブログでネタを卸してはおりましたが、そろそろ棚卸しするネタもなくなって参りました。そして、世の中のコロナの状況・・・まあ、世界ではまだ蔓延しておる国や地域もあるようですが、なぜか日本に関してはワクチンが効いたのか神の思し召しか、急速に感染状況が改善してたのもありましてね。そうなるってえと、そろそろ品物が捌けた私のHDDに新しいネタを仕込みたいところ。文化の日の休日に有給休暇を合わせ、香川・愛媛の四国二県に馳せ参じ、レトロ電車がとうとう引退を迎えることでんと、未訪問だった伊予鉄の沿線を放浪して参りました。天気は二日間ともまずまず上々、青空の高松市街、玉藻公園から眺めるお堀の水と瀬戸内の海の美しさよ。

そして愛媛は松山。伊予鉄電車の高浜線、終点の高浜駅にある高浜港から、瀬戸内に浮かぶ小島と夕陽の美しいコラボレーションを。今回は、ことでんと伊予鉄の比率でいえば3:7くらいで伊予鉄に力点を置いたんですが、まあ楽しめましたよね。電車と路面電車の両方が楽しめるってのは地鉄と同じなんだけど、完全に魅力では鉄道線に軍配が上がる地鉄に対して、路面電車と鉄道線の魅力がともに拮抗しているのが伊予鉄だなと。また、路線数も距離もそこそこあるんだけど、市内線も郊外電車もほぼ15分以内で列車が来るというフリークエンシーが保たれていて、非常に回りやすいのが何よりも助かりましたよね。

なかなか松山ってのは行けない場所だから、2dayのフリーパスを購入してみっちり乗り撮りして来たんですが、お釣りが出るくらいはネタが仕込めたのではないかと思います(笑)。またチビチビと、大吟醸を舐めるようにネタを卸して参りますので、ご贔屓のほどをよろしくお願い申し上げます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あゝ、伝統のアイボリー

2020年04月21日 11時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(羽床富士を眺めて@滝宮~羽床間 令和2年1月)

新しい鉄道絡みの写真は供給が絶たれているので、それまでは過去に撮り溜めた中から漏れてしまったカットを脈絡なく垂れ流すスタイルでお送りして行こうと思いますが、これは先日のことでん遠征で撮影した羽床の堤山バック。元京王5000系が、現地では1100系として活躍しています。京王帝都からは1996年に引退した5000系ですが、京王相模原線の線内各停や、府中の競馬場線の折り返しの常連として馴染み深く、個人的には元京急1000形より思い入れのあるクルマですね・・・

こちらは、多摩動物公園の駅前にある「京王れーるランド」に静態保存されている京王5000系5723号。動物公園行きの行先幕はライオンのイラストが入っていましたが、競馬正門前行きは馬の蹄鉄がイラストで入っておりましたねえ。G1の前売りを買って、午前中のレースを暇つぶしに眺めていた土曜開催の府中。馬券を昼で切り上げ、府中競馬正門前のだだっ広いホームには客を降ろした東府中行きの8連が待っていました。昼頃ではまだ競馬場から帰る客は少なくて、駅の隣の飲み屋から漂う煮込みと肉豆腐の匂いの中を発車したガラガラの5000系は、物憂げに長い車体を揺らしながら競馬客を迎えに東府中へ向かって行きましたが、あれはもう25年以上前の話になるのか・・・

京急1000形には熱狂的なファンが付き、スカーレットの京急カラーが讃岐路に見事に蘇りました。富士急行や一畑電鉄では既にリバイバル塗装が実現していますが、アイボリーを讃岐路に蘇らせたりする企画があったら、僅かながらでも協力出来たらなあなんて思いますねえ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

讃岐路に 夢を繋げて ことことと

2020年03月12日 22時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(片原町の夜は更けて@片原町駅)

レンタカーを返し、宿で荷物を片付けて、カメラ一つで身軽に飛び出した夜の高松・片原町。どこか気の利いた店で少し一人で酒でも・・・などと思ったのだけど、どうにも腹が減って大した店探しもせずに路地裏のラーメン屋に飛び込む。讃岐うどんのいりこのダシにやや飽きた舌に、味噌バターコーンラーメンと餃子が沁みる。軽く頼んだ一杯の生ビール、別に豪華な物を食べなくても感じられる、旅先の愉悦である。

高松市の中心部に、文字通り中心をなす中央商店街と、西へ伸びる兵庫町商店街、そして東に走るのが片原町商店街。高松三越を中心に、大小の小売店が立ち並びます。土曜日の夜の人通り、どこも地方都市の夜はシャッター街で寂しい・・・というのが通説のようになっているけれども、それでも高松の夜はそれなりに酔客の大きな声などが響いていて活気があった。さすがに人口40万都市の高松市の中心街ではあります。

ことでんの片原町駅は、片原町商店街の東の端にあって、「マルヨシセンター」というスーパーが併設されています。このスーパー、高松を中心とした瀬戸内地区に展開する小売店のようですが、開店時刻は8:00~23:00とことでんの終電間際まで開いていて、地方のスーパーにしては営業時間が長い。あまりコンビニエンスストアが目立たない地区だけに、頑張っているのかもしれません。ホームは相対式の2面2線、複線区間の駅であり、また琴平線・長尾線とも築港直通の電車が入って来るため、ひっきりなしに構内踏切が鳴っては電車が行き交います。

ホーム上の人の乗り降り、そして夜8時を過ぎて徐々に少なくなっていく人通り。大きなアーケードの切れ目にあるのが片原町の踏切で電車を待つ。踏切脇の飲み屋からポツリ、ポツリとおあいそをしたお客さんが出て来ては、片原町の駅へ向かって行く。電車が通る以外の時間は店へ入る訳でもなく、カメラも触らず所在なげに佇む私を、居酒屋の女将さんが不思議そうな顔で見ていた。

「IruCa」対応の自動改札が設置されてはいながら、片原町の駅では電車が着くたびに駅員さんが詰所から出て来て「〇〇分築港行き電車参りま~す」「長尾行き電車参りま~す 踏切渡って2番線お回り下さ~い」などと声掛けを行っている。おそらくギリギリに駆け込み乗車をするような客がいた場合、下り電車の場合構内踏切の直前横断が懸念されるからではないかと思われる。ホームには接近放送がなく、電車の接近が分かりづらいからなのかもしれないが、何となく昔っからこうだったんだろうな、という人の声の力の温かみか。

片原町から、琴平線の電車に乗って築港駅に戻る。時刻は午後10時を回ったとはいえ、それなりのお客さんが乗っているのは頼もしい。二日間沿線を回ってみて思うのは、各線の末端区間はともかく、高松市内中心部から10km圏内程度のエリアでは、ことでんのフリークエンシーの強さを感じます。仏生山までの複線化完成で、日中の増発とスピードアップが図られれば、クルマ社会となった高松経済圏の域内移動のシェアを少しでも切り崩すことが可能なのではないか・・・と水銀灯に照らされた石垣を眺めて考えてみたり。

夜も更けて、高松駅前の空気もきっぱりと冷え込んで来た。間近で見るサンポートのタワーの灯りが眩しい。30Fには無料展望台もあるんだそうだが、今回は訪れる機会に恵まれませんでした。駅前のミニストップで寝酒を買って、ばあちゃんの待ってるホテルに戻ろう。

瓦町の駅に貼られていた、写真家のレスリー・キー氏が撮ったことでんの一枚に、とても目を奪われた。滝宮駅のレトロな駅舎と、駅前の自転車置き場の鉄柵に乗っかって明日を夢見る子供たち。「同じ一日なんてない。ドキドキしながら、ちょっと遠くへ。」というキャッチコピーが、高松の旅を終えて一ヶ月が経って、より真に迫って来るような気がする。あっという間に全世界に広まってしまった新型ウィルスによって、不要不急の旅が諫められる風潮になってしまった現在。ちょっと遠くを目指すことも憚られる状況で、果たして子供たちは明日を夢見る事が出来るのであろうか。冒険する自由の危機が、すぐそこに迫っているような気がしてなりません。

ことでんの心臓部である仏生山の駅で、改札口の隣で待っていることちゃんファミリー。ことでんも、春のイベント・・・特に23号の引退を間近に控えて、月一回のレトロ電車の運行や3月の電車まつりの中止、そして個人催行の電車の貸し切り運行なども軒並み中止に追い込まれてしまいました。それでも、開催の中止を伝えるTwitterのメッセージに「あきらめたら、じえんど」というスタンプを添えて来たことちゃんは、したたかに春を待っています。

約一ヶ月に亘ってお送りして来たことでんシリーズも、ここで一応の大団円という事で・・・
いつかまた再び、玉藻のお堀端で。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茜空 千鳥魚食む 春日川

2020年03月10日 21時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(夕日に向かって@八栗~古高松間)

高松は、東京に比べると朝が遅い分夕方が若干長い。それでも、房前の鼻からレンタカーで走って行くと、どんどんと太陽は西に傾いていく。18時にはレンタカーを返却する段取りになっているので、志度線の線路に沿いながら高松市内へ。八栗駅から古高松の駅にかけては、バックに八栗山を従えながら夕日に向かって走る志度線600形。低い低い夕陽が車体の隅々までを照らします。

潟元の下り坂を、夕陽を背にして降りて来る志度行き。太陽は雲間に沈み、残照が空を焼いて非常にいい雰囲気になって来た。日の沈む30分前から日の入り後の1時間くらいまでが一番のシャッター数の稼ぎ時と言うか、ドラマティックな空の表情と合わせると、鉄道車両もいつもに増して魅力的に見えて来る時間帯です。踏切でカメラ持って構えていたら、通りすがりのばあちゃんに「何か珍しい電車でも来るんですか?」という撮り鉄あるあるな反応をされてしまったのだが、「ゆ、夕焼けがきれいなんで!」みたいなロマンチスト的発言をしてしまった。別に珍しい電車が来なくてもいい。地方私鉄は、普段の姿が一番いいんだから。

春日川の水面に夕映えの高松の空が映る。どこからともなく飛んできた浜千鳥が一羽、川の干潟に降りて来て、水際で小魚を狙い始めました。鳥たちの夕餉時を横目に、春日川を渡る志度線の小さな車両は、低いガーター橋の鋼製の枠に半分くらい隠れてしまいました。

少し高い位置から、遠く五色台を眺めつつ暮れてゆく高松の街を望む。川の向こうにぽんやりと明るいのが、春日川の駅。ゴルフ場の漆黒の森の向こうに、高松サンポートタワーが青く輝きます。レンタカーの返却時間が迫って来ました。川面に電車の灯りがゆらゆらと揺らめけば、二日間に渡って回って来たことでんの旅も、そろそろフィナーレです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寄する波 音のかそけき 塩屋浜

2020年03月08日 11時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(24時までのシンデレラ@木太東口駅)

木太東口駅のベンチ横に貼ってあった、ことでん0時便のお知らせ。金曜日のみですが、高松築港0:00発の琴平線琴平行きに接続し、瓦町を0:10に出る長尾線と志度線の列車があります。それぞれ終着駅の到着時間は、琴電琴平0:58、長尾0:41、琴電志度0:42。普段の最終が高松築港/瓦町で23:30頃なのでかなりの終車延長。高松中心部の繁華街で、長っちりの呑兵衛がもう一杯くらいゆっくりと呑めてしまうという危険なダイヤ(笑)。そらーシンデレラもかぼちゃの馬車には乗らずにことでん乗って帰るわ!というちょっとクスっとする広告。王子哀れ。

池戸の駅からもう一個くらいどっかで降りようと思ったんだけど、なんか決め手が見つからなくて木太東口で途中下車。乗って来た築港行きが駅を出て行く。瓦町に近付いてきて、だいぶ駅周辺も街っぽくなってきました。が、駅周辺は普通の住宅街過ぎてそのまま駅に戻るハメに(笑)。これならことでんでは珍しい高架駅の水田駅あたりで降りたほうが良かったか。それとももう少し乗ってって花園辺りで高徳本線との立体交差なんぞ見に行ってみたほうが良かったか。

ちょっと駆け足気味の長尾線の旅は、瓦町に到着して終了。長尾線の20分ヘッドの運用は1時間20分で1回転する運用で、日中は4編成で回る感じですね。長尾線のラストライドはすっかりお気に入りになったピカピカエメグリカラーの1303編成。乗り換え通路を走って志度線のホームへ移動します。レンタカーを止めてる房前公園の駐車場が17時に閉まってしまうので、せいぜい1時間前くらいには戻っとかないとなあ。

ホームで待っていたのが624号先頭の2連、1057列車。房前の駅を出た時に乗ってった電車に再び遭遇。瓦町でお買い物をしていた高松マダムや親子連れに混じって、少し日が傾きかけた屋島の山の下を東へ東へ。瓦町では立ち客も出ていた車内は、琴電屋島を過ぎると閑散としてきて、カーブをゴトンゴトンと走る音が聞こえるだけのローカル私鉄らしい雰囲気に落ち着きます。

房前駅、15:54着。ここを出たのが11:54発の電車なんで、ちょうど4時間で房前→志度→長尾→瓦町→房前のぐるり一筆書き東讃の旅が終了致しました。乗降客自分一人の房前の駅でも、出発するには指差確認を怠らない車掌さん。ことでんは未だに全車車掌乗務ってのが素晴らしいですよね。車両の運用数と行路数を考えたら相当の人員が必要と思われるのですが、だいたいの地方私鉄は経費節減のためにワンマン化から進めちゃうからさ。

クルマに乗って移動する前に、今一度景勝の地である房前の鼻を撮影したく、今度は午前中にいた側と逆サイの塩屋側から撮影することに。海鳥休む瀬戸内の夕景、小さな岬を回ってくる小さな小さな電車が、木々の僅かな切れ目から射す淡い夕陽に燦然と輝きます。

房前の鼻の塩屋側の撮影地は、波打ち際の堤防の下の線路脇が少し土盛りされて高くなっています。ここに、以前は「塩屋海水浴場前」という夏場だけの臨時駅があって、琴電も直営の海の家を出すなど集客に努めていたそうです。護岸工事によって砂浜が縮小され、夏の間の臨時駅は昭和45年に姿を消しますが、それまではなかなか賑わった海水浴場だったとか。今は海藻や流木が散らかってはいますが、狭いながらも白砂の浜辺は確かに海水浴場には向いていそうな雰囲気。色とりどりのパラソルが並んだであろう浜辺を行く列車が通り過ぎると、瀬戸内の凪の海から聞こえる微かな波音と、波の間に間に静寂だけが残る冬の塩屋の浜です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする