(この冬の津軽の雪@弘前駅前)
朝6時の弘前バスターミナルから、雪の街を歩いて弘前駅へ出る。駅前通りのバスターミナルに続く歩道には、年末年始から降った大雪が積み上げられていた。私が津軽にお邪魔する一週間前から比較的暖かかったらしく、これでもだいぶ溶けてしまったらしいのだが、うず高く積もった雪の歩道を歩くと、中途半端に溶け気味の雪は足元で緩んで結構歩きづらい。このくらいの気温だと、昼間に溶けて夜の寒さで凍ってを繰り返してミラーバーンやブラックアイスバーンになってしまうから大変だろうな。一応今回の津軽行も二日間レンタカーを借りているのだが、レンタカー屋が開くのが朝8時なので少し時間がある。それまで、朝の弘南線にでも揺られて来ようということで。
弘南鉄道の弘南線は、弘前駅の城東口という「あんまり栄えていない方」から出発する。大苦戦の続く大鰐線と比べ、弘南線は途中に平川市、終点に黒石市というともに人口3万人程度の中小自治体を抱え、域内流動や通勤通学の足として、利用動向には厳しさはあるものの健闘を続けています。やっぱり弘前駅までやって来てJRに接続する弘南線と、旧市街のど真ん中の中央弘前駅で終わってしまう大鰐線ではだいぶ利便性が違うものです。元々弘南線と大鰐線は別の会社で(大鰐線は戦後に発足した弘前電気鉄道によって建設)、大鰐線も弘前駅乗り入れを目論んで建設をする計画があったんですよね。既に弘前市内に市街地が形成されていたことや、利用が伸び悩んだことによる経営難で弘前駅乗り入れを果たせなかったことが、結局致命傷になってしまった。
弘前駅の改札で「大黒様フリーきっぷ(1,000円)」を購入して弘南線に乗り込んでみる。朝は始発から9時前まで30分ヘッド、そこから先は夕方まで日中1時間ヘッド。以前は1時間ヘッドになる時間帯は昼の12時~13時台だけだったと思うのだけど、現在は10時~15時台に拡大されてしまっている。そしてたまたまなのかどうなのか分からないんだけど、弘南線で動いてるのが食パン顔の中間車改造のヤツばっかりだったんですよね。原形顔は弘前駅で雪の中に放置プレイだったり平賀の車庫で編成を切り離されたりで動いていなかった。弘南の東急7000も、そろそろどの車両も還暦を迎えるということで、ボディはステンレスですから腐食はしないんでしょうが重要機器類などはどうなんでしょうねえ。そろそろ次を考える時期なのか、それとも何年か後に大鰐線で使っている車両が余剰となることが確定しているので、そこから使える部品を抜き取って延命させていくのか。
この日の弘前、朝方は冷え込みこそさほどでないものの、いかにも雪国らしいどんよりとした曇り空だった。ある意味地吹雪吹くようなハードな津軽の寒さ・・・というような雰囲気ではなく、体感的には春の入口という感じがあった。積もった雪が緩むのか、地表を覆うように靄がかかって幻想的である。日曜日の朝の黒石行きの電車、弘前の駅を出るころは人影もまばらだったけども、それでも平賀の駅からは大きなスノーブーツを履いた野球部の生徒が何人か乗って来て、車内にいた先輩に元気な挨拶をしていた。ちらっと見えた定期券、「【学】平賀-黒石」とあって、黒石の高校の野球部の子供たちのようだ。冬場の練習はグラウンドも使えないだろうしおそらく筋トレばかりで大変だろうなと思う。
夜行高速バスで取れなかった分の睡眠を、弘南電車の古ぼけてはいるけれども柔らかいシ-トで取り戻す朝。ふと車内の天井を見ると、いつもの東横百貨店や109の吊り革の向こうに、地元の模型屋さんの中吊り広告が目に入った。今の都会の電車には中吊り広告なんてものは既に過去の遺物化して、最新の車両にはトレインビジョンが備え付けられ、様々な企業広告や沿線情報が流されている。タレントの動きや派手なCGで与えられるコマーシャルが当たり前になる中で、こういう味わいのある紙の広告って少なくなりましたよねえ。「男の寄り道 つくるたのしさ・できたよろこび」かあ。「男の寄り道」みたいなしょっぱなのツカミ文句からして、こう直観に訴えかけてくるようなセリフだ。いわゆるジェンダー的な観点からどうなのか・・・みたいに思う人がいる時代ですけれども、「男の寄り道」は「女の寄り道」を排除する言葉ではない。言葉狩りが過ぎる世の中の「気にし過ぎ」なんだよな。
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