青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

春三岐、桜花録。

2023年04月22日 15時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(北勢・春の日。@保々駅)

ちょっと懐かしめのエビ茶色の電車。西武線沿線のアラフィフの世代以上には懐かしいカラーリングでしょうか。いわゆる一昔前、西武電車が今のライオンズブルーとかレモンイエローになる前の「赤電」カラー。本家の西武鉄道でも、新101系のリバイバル赤電なんかがおりますけど、やっぱ赤電カラーは701系あたりの「西武顔」にこそ、という感じがあります。旅客車両の全部が西武OBの三岐鉄道ならではの、赤電カラーのリバイバル。春の光に包まれた保々の駅、西藤原行に子供たちが見送りの挨拶をすれば、警笛一斉。北勢の春の日にこだまして。

保々の駅から北側、北勢の田園地帯を流れる朝明川の流れに沿って、きれいな桜並木が続いています。地元の老人会の面々か、桜の下では花見の宴。川沿いの桜並木と言えば、この前に訪れた埼玉の大落古利根川は雨の日だったんですけど、この暖かな春の日にほころぶ満開の桜をみると、やっぱ天気はいい方がいいに決まっている訳で。今シーズン、やっといい天気の下で満開の桜を見れたような気がする。

ほどなくツリカケのくぐもったモーター音を響かせて、先ほど赤電を保々の駅でやり過ごしたフライアッシュ貨物がやって来ました。東藤原と碧南港を結ぶフライアッシュ貨物、14両で知多半島の碧南を出て、稲沢経由で富田へ運ばれ一晩を過ごし、翌朝便で10両、この午前便で4両を東藤原へ運んで行きます。日本でここでしか使われないホキ1000形、白く大きな異形の体躯が魅力的。東藤原からは碧南火力発電所の煤塵吸着に使われる石灰を運び、碧南からは発電所で出た石炭の焼却灰を持ち帰りセメントの材料として加工するという、昨今やたらと推奨される循環型社会を象徴するような貨物列車です。

朝明川の満開の桜並木。春の訪れに田園地帯でも田植えの下準備に余念がないようで、冬の間に生えた田んぼの下草刈りと、トラクターを使っての田起こしが行われていました。線路の向こうに蒼く連なる鈴鹿山脈の山並みがとても清々しい、北勢の春景です。

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未来へ続く 星降るヤード

2020年09月14日 23時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(宇宙基地への誘い@東藤原駅)

「知ってた? あれ、夜になると、 宇宙船の発射台になるんだぜ・・・」
三角形の異形の山の麓。居並ぶ白い貨車は、さながら宇宙カプセルのよう。セメントキルンからスペースシャトルが飛び立ちそうな、夜の東藤原。星の瞬く夏空の下で、煌々と輝く水銀灯が構内を照らします。

 

昼は機関車のホイッスルや貨車の軋む音、操車の係員の無線の声が賑やかに響いていた東藤原の駅。上下本線と5本の側線が並ぶヤードには、今日の貨物輸送を終えて星空の下に静かにたたずむ貨車たちがいます。日本全国で駅からの貨物取り扱いがなくなって、草ぼうぼうの側線が残されたり、売却されてマンションが建ったりと姿を変える中、現役で活躍するヤードは貴重です。また明日は朝早くからセメント出荷の貨物列車が仕立てられ、茶色の電気機関車に牽かれて山を降りて行くのでしょう・・・

おそらく最終のセメント返空便をホッパーに押し込んだデキが、暗闇の中を引き上げて来ました。これにて今日の営業は終了でしょうか。それこそ鉱山であれば、かつての北海道の夕張炭田や空知炭田、九州の筑豊炭田などでは24時間操業にて夜も昼もない出荷が行われていましたし、全盛時の奥多摩(奥多摩工業)なんかも石灰石は24時間出荷をやっていたように思いますけれども、現状四日市までの出荷しかない東藤原からのセメント輸送は4往復~5往復程度で足りてしまうのでしょう。

熱波の中で撮影した三岐鉄道は、日本最後のセメント貨物の牙城。文字通り身を削り日本の高度成長を支えた藤原岳の麓で営まれる、プリミティブな貨物輸送の姿。平成の中期ごろまでは日本中で見られた当たり前が、セメント貨物の衰退によって「ここにしかない」というオンリーワンのものになってしまいました。三岐のセメント輸送も孤高の車扱貨物として未だ健在ぶりを見せ付けてはいるものの、その前途は・・・?ですよねえ。何分にもお早めに、という感じがいたしましたですね。

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二つの富田の物語

2020年09月12日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(夕暮れは杏色@保々駅)

村下孝蔵的な空の下、近鉄富田行きの電車が滑り込んで来た保々の駅。駅前にクルマを止め、少し乗り鉄も愉しんでみようかとホームに立ってみました。西武701系の3ドアロングシートは、末期の多摩湖線や多摩川線のイメージ。西武球場へ通うのに何度も乗車した記憶のある車両ですが、ひょっとしたら幼き日の自分が乗った車両とかも、三岐に移籍していたりするのでしょうか・・・

近鉄富田で折り返し待ちの三岐電車。近鉄富田では、三岐鉄道は一番外側のホームを近鉄から間借りして使っていて、そんなホームに西武701系が止まっていたりすると、高架線になる前の武蔵境的な雰囲気もあったり・・・この絶妙な「間借り感」が地方私鉄らしさだったりもします。元々は石灰石・セメント輸送を目的に作られた路線ですから、全国への貨車の継走のために国鉄の富田駅に接続するのは当然の成り行きでありましたが、当時の国鉄関西本線は圧倒的に列車本数が少なく、乗客の増えてきた昭和40年代に利便性を考えて本数の多い近鉄名古屋線に接続する連絡線(近鉄富田連絡新線)を建設したのが始まり。

現在は貨物列車はJR富田へ、旅客列車は近鉄富田へアクセスする三岐鉄道。かつては、非電化の関西本線へ乗り入れるために、キハ81・82という国鉄キハ08系まがい(?)の気動車まで用意して、富田から四日市への直通運転を行っていたそうです。今なら四日市までは、近鉄富田から急行に乗り換えて10分程度でしょうか。黙々と折り返し作業を進める運転士氏。ワンマン運転の中で、幾度となく繰り返されたルーティンワーク。西武の車両らしい銀鉄板が、蛍光灯の薄灯りに輝きます。

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夕映えの 空は茜の 丹生川で

2020年09月09日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(南濃の輪中に湧く@海津温泉)

午後を養老鉄道の沿線で過ごした後は、海津市にある海津温泉へ。濃尾平野に湧く天然温泉としては、長島温泉や蟹江温泉なんかが有名ですが、ここ海津温泉も地下800mから汲み上げた天然温泉です。茶褐色で、塩分と鉄分が強いなかなか濃厚な温泉です。大昔の海水が地中深く封じ込められた化石海水系かな。現在でも0m地帯ですし、太古の昔はこの辺りも海の底であった可能性は高いのでしょうね。この手の施設はソーシャルディスタンス対策で大変なのでしょうが、猛暑の平日の午後という事で客入りは疎らでした。火照りの出そうな塩分の強い温泉はそこそこに、ダラダラと水風呂で過ごしてしまった私。最近リニューアルされたようで、きれいでしたね。

すっかりと日差しも西に傾いた夕方、丹生川の田園地帯に戻って来ました。太陽はもうすぐ鈴鹿山脈の山の端に掛かりそうな頃合い。日中のあの殺人的な暑さも幾分か和らいで、遠くでは夕方の作業に精を出す農家の人が、一枚一枚の田んぼを丁寧に見て回っていました。空の雰囲気の変化を愉しみながら、色付きを増した穂波にカメラを向けます。

田んぼの真ん中の踏切の鐘が鳴り、今日この日の最後の光を浴びて、三岐リバイバルが駆け抜けて行きます。青緑の車体も、この時ばかりは黄金色。三岐線がこの塗装で走っていた何十年も前から変わらないであろう丹生川の圃場の風景。猛暑に耐えて、今年も良い実りを迎えていただきたいものです。

太陽は山の向こうに消え、北勢の田園地帯に夕暮れが迫って来ました。セメント5便の時間なので、ミルクロード俯瞰に登ってみます。道路までは上がらずに斜面の中段から。果たして5便まで運転されるかどうか分からなかったのですが、さすがにお盆も明けたせいか荷動きも活発のようです。夕映えの空に藤原岳の稜線もくっきりと浮かぶ中、ED45の重連がいつものようにセメント貨物を牽引して行きます。コタキのボディが、空を反射して赤く染まりました。

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藤原岳を仰ぎ見て

2020年09月05日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(小野田時代の残滓@東禅寺界隈)

藤原岳の石灰石採掘は、昭和初期に小野田セメントによって始められたものですが、平成後期の日本のセメント業界の合従連衡によって伝統ある小野田の名前は消滅してしまいました。それでも、東藤原の駅を囲む東禅寺の集落には、かつての小野田王国だった時代の残滓が見受けられました。「小野田のポルトランドセメント」を標榜する看板ですが、商標の龍の絵柄の緻密な事と言ったら。

ホキの入れ替えを終え、パンタを下げて一休みの老優・ED453。側線に留置された炭カル/フライアッシュ用のホキ1000については、この日は動くことはありませんでした。奥に聳えるのは藤原工場のセメントキルンの煙突。セメントは、石灰石の粉末に粘土、ケイ素、酸化鉄原料などを混ぜ込んで、キルンと言う窯で焼成して生成されるのですが、セメントを焼く燃料は石炭やコークスが使われている事が多いそうです。太平洋セメントの熊谷工場では、燃料の石炭を川崎の三井埠頭から鉄道で運び込んでましたけど、ついぞ3月に石炭輸送も廃止になってしまいました。CO2規制で、大手企業は石炭燃料を大っぴらに使いにくくなっているという背景もあるのでしょうが、貨物輸送の多様性の面からは残念なことでした。

鳥居の向こうに藤原岳を仰ぐ、伊勢治田は賀毛神社の参道。三岐の貨物を撮影しようとすると、どうしても田園地帯を伸びやかに行く貨物列車の姿ばかりを追い掛けてしまいがち。そうなると、後で見返してみた時に、どこで撮影しても同じような印象しか残らなくなるんですよねえ。そんな中で、線路際に鳥居の立つこの参道は、アイテムが少ない三岐鉄道沿線では貴重な存在。セメントの粉にまみれ、白く煤けたような武骨なタキ16車を引き連れて山を降りて行くED重連。夏空と赤い鳥居と藤原岳を入れ込んで。

三岐線内での貨物運行は、秩父鉄道をイメージすると結構スジが立っているというか、保々か伊勢治田で僅かに停車をする以外は一気に富田~東藤原間を運行するものがほとんど。秩父は途中の駅で副本線に入って交換を待ったり退避したりと時間が掛かりますが、三岐ではなかなか追っ掛けは厳しいですね。普通列車との交換も、交換駅には基本的に安全側線が配置されているので、有効長の長い駅構内の配線を使って双方の列車が同時進入する事が可能。貨物列車は安全側線手前にある出発信号機の手前まで徐行で接近し、進行信号の現示を確認しながら停止せずに通過して行きます。

位置を移動して、伊勢治田で上り貨物と交換して来た下りのセメント返空便を。アウトカーブからギュッと詰めて撮れる構図は貴重です。この構図だと、さっきの賀毛神社の参道の鳥居の中からタキを牽き出しているように見えなくもないですね(笑)。

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