青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

老貨車コタキの物語

2020年09月01日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(満身創痍@タキ1900)

三岐のセメント輸送を支える貨車であるタキ1900。高度経済成長期から、日本の国土全体で旺盛となったセメント需要を支えるため、全国津々浦々のサイロへセメントを届けて来ました。東京オリンピックの年である1964年から製造が開始され、全盛時には約1700両余を数えたセメント貨車の一大スタンダードでしたが、度重なるセメント企業の合併と貨物の合理化で、今やここ東藤原が最後の砦。車体に浮き出た錆と、こびりついたセメント粉の染みは長年の輸送に従事した古強者の刀傷か。満身創痍のその体に、セメント輸送の行く末を見る。

全盛期は、秩父・小野田・日本セメント・日立・三菱マテリアル・住友・デンカ・明星etc・・・とセメント輸送に鉄道貨物を使っていた企業はあまたありましたが、現在所有するのは秩父・小野田・日セメの合併企業である太平洋セメントのみ。関東なんかだと隅田川の貨物駅とか、秩父方面から出荷されたセメントが集まって来る八王子の駅の側線なんかに、この派手さのかけらもない武骨な黒い貨車がゴロゴロとしていたものです。いかにも貨車らしいベッテンドルフ式の台車もまた味わい深いですが、一昔前の貨車だからそんなにスピードも出せませんで、制限75km/hとか付いてるんじゃなかったっけかな。本来であればスピードの出せない旧態依然とした貨車など旅客列車のスピードアップの障害にしかならないので、目の敵にされがち。ただ、JRの走行区間が短い(富田~四日市間)のと、そこまでダイヤが密でもない関西本線なので、何とかなっちゃってる感じでしょうか。

このタキ1900、確か秩父鉄道がセメントの貨車輸送をやめた時に(平成20年くらいだったかな)、武州原谷の側線で大量に放置されていたのを見た事があります。話によると、その中でも程度のいいヤツは三岐に送られたらしいのですが(グループ会社だからね)、さすがに最近は老朽化が目立つ個体が多く、交番検査で川崎の検査場に送り込まれても、検査が通らない事もあるようです。正直、後継のセメント輸送用の貨車の開発が急務だと思われるのですが、そもそもそこまでの設備投資をするのか?というね。そこがクリアされない限り、タキ1900の残存機数と寿命が即ちセメント輸送の寿命となるのではないかと思われます。40t×16両と一発で640tのセメントを輸送出来る効率は無視出来ませんが、東海環状道も大安まで伸びて来ているとなれば、トラック転換というシナリオは迫っているのではないかと・・・だから今回、三岐に撮りに来たってのはあるよね。

よくよく見ると、タンクの側面の「太平洋セメント」の銘板の位置が貨車ごとに違ったり、タンクの支柱があったりなかったり、さすがに1700両も作られた大所帯だけに製造時期ごとの違いがあったりするようです。ちなみに、現在のタキ1900、両数としてはどんくらい残ってるんですかねえ・・・。

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古豪の肖像

2020年08月30日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(刻まれた年輪@ED452)

三岐鉄道における貨物輸送の重責を担うのが、電気機関車ED45。このED45シリーズは451~459の9両が在籍していますが、何とも雰囲気の良い茶色にイエローベースの帯をキリリと締め、オレンジに塗られた銘板とナンバープレートが車体に施されています。茶色ベースに黄色の帯は何となくカステラ的なカラーリングですが、銘板のオレンジでで三岐カラーをあしらったという事なのかな。三岐鉄道の社紋ってのは、よく見るとひらがなの「き」が三つ丸く合わさったようなデザインになっているのですが、「3つの『き』」=「三岐」っつうダジャレ的なモノになっているんですね(笑)。

ED45はいかにも私鉄らしい40トン級の電機。三岐ではこの機関車を重連総括で運用する事を基本としており、連結されてニコイチで稼働します。オデコの2灯シールドは、兄弟分(?)の秩父のデキによく似たブタ鼻スタイル。デッキに付いた尾灯がカニの目のように赤く縁取られていて、ここが愛嬌かなと。秩父のデキは暑いと前の貫通路を開けて風を通したりしていますが、三岐のデキは貫通路の窓が開閉出来るようになっていて、通風対策もバッチリです。

藤原岳の雄大な姿を見晴るかす東藤原駅のホーム。タキを積み込み線に押し込んで、暫し待機中のデキがホームに据え付けられています。機関士氏と操車係の皆さんが詰所に引き上げた後は、デキの心地よいコンプレッサーの音だけが静かにホームに響いていました。この時間は普通電車も1時間に1本の間隔のため、自分の他に誰もいないホームで古豪の姿を余すことなく堪能。夏の日差しに煌めくデキの黄金のナンバープレートに、歴戦の輝きを見る。

マスコンハンドルがバッグに包まれて丁寧に置かれていたデキ452の運転台。機関車の運転台なんて、飛行機のコックピットのごとく機器類がひしめき合っているのかと思いきや、思った以上にシンプル。ブレーキ弁1つとマスコン1つで2両の電気機関車を総括制御しているんですね・・・このED452・453はED45シリーズの初期ロットで、1954年(昭和29年)の製造。台車こそ東武の電気機関車の廃車発生品に取り換えられてはいるものの、その他の見てくれは往時のまま。ちなみに御年66歳の電気機関車ですが、今でもバリバリの主力機で、後継機の噂は全く聞こえて来ません。運転台周りだけでなく、床下機器や屋根上の設えも簡単に作られていて、全体的に非常にシンプルな作り。シンプルな作りは裏を返せば保守管理の容易さであって、そこが長生きの要因なのかもしれません。

西藤原からやって来た三岐リバイバルと並ぶED452。現在鉄道貨物を続けている私鉄は、貨物専業や一部の臨海鉄道系を除けば実質ここ三岐鉄道と秩父鉄道しかありません。出自は秩父が秩父セメント系、三岐が小野田セメント系と違いますが、今では同じ太平洋セメントのグループに属し、それぞれが相当車歴を重ねたレトロな電気機関車と決して新しくはない貨車で貨物輸送を続けています。いずれ近い将来、どちらの会社もカマか、貨車か、それともその両方が限界を迎える事は想像に難くないんですけど、親会社として今後も鉄道貨物に設備投資を行うつもりがあるのかどうか。企業として、将来的な鉄道貨物の価値をどう見定めているのか、というのは非常に気になるところです。貨物輸送の存廃の是非なんてものは、荷主かつ親会社である同社の意向次第で決定してしまうものであって、旅客のように反対運動がおこる訳でもありませんからねえ。

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白き炎の中で

2020年08月28日 23時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(灼熱物語@東藤原駅)

山城の付近で撮影した午前のセメント返空便を追って、灼熱の日射し降り注ぐ東藤原駅へ来てみました。何の遮る事のない灼熱の太陽が、レンガ風の瀟洒な駅舎を包みます。そう言えば、以前来た時は木造駅舎にサッシがついたいかにもな田舎っぽい駅で、こんなお洒落な駅舎じゃなかったかと思うんだけど、いつ建て替えられたんですかね。この駅に初めて来たのが確か8年前、そん時は確か東藤原駅構内でのポイントで脱線事故が起こった関係で、事故原因の検証が終了するまで東藤原~西藤原間が運休していたのを思い出したなぁ。

駅では、早速到着したセメント返空便の入れ替え作業が行われていました。8月に梅雨明けしてからというもの、今年の夏の暑さってのは破格のものがありましたけど、この日も桑名が37℃を記録したとんでもなく暑い一日。午前中はまだ夏の青空が見えていたのだけど、昼にかけてのトップライトの時間帯は文字通り白い炎が立つような光の中。眩暈のするような気温の中で撮影を続けていると、手で持っているカメラの温度も熱く燃え上がるよう。そんな中でデッキに立つ操車係とマスコンを握る機関士たちを追うのでありますが、いやはや過酷な現場であります。

特に操車係の方々は、炎天下でも肌の出せない重装備を身に纏っているので大変そうですよねえ。機関車の解放から機回し、タキのホッパへの推進、積み終わりからの引き取り、据え付け、出発仕業と一連の作業を無線を使いながら丁寧に進めて行きます。構内を徒歩で歩きながら進路の構成のためにポイントを切り替える地上作業員の方々も、さすがに暑さで参っていやしないかと。

しかしまあ、操車係の乗る貨車のデッキの向こうの夏空と言ったら。天気が一番良さそうだったから、という事で決めた三岐行きではありましたが、ここまで天気いいと暑さで消耗してしまう。大げさな話でなく、500mlのペットボトルを1時間に1本消費するくらいの水分の欲し方をするような異常な暑さでありました。この暑さの中でも、一瞬の気の緩みが事故につながる職場で働く鉄道員(ぽっぽや)稼業。安全の尊さなど門外漢の私が言うよりもよほど身に染みて理解をされているものと思うけれども、返す返すもどうぞ皆様、ご安全に・・・

 

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北勢支えて80年

2020年08月24日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(藤原岳を仰ぎ見て@東藤原駅)

積み込みを終え、出発線で出発待ちの3712レ。朝のセメント2便です。お盆明けのこの日、セメントはダイヤ通りに動いていましたが、3710レの後に、いつもだったら東藤原へ向かうはずの朝のフライアッシュ(富田→東藤原)は運転がありませんでした。フライアッシュの財源は碧南火力発電所の石炭ガラ(焼却灰)なんですけど、どうもお盆期間中は運転がなかったそうで。お盆だから発電を休んでいるという訳でもなさそうですが、荷扱い業務がお休みだったんですかね。

藤原岳を後にして、3712レがゆるゆると東藤原を発車。東禅寺のひまわり畑の脇を抜けて行きます。基本的に東藤原からの積載のセメント貨は山から降りて行く感じになるので、一回牽き出してからはあとは空制で抑え込んで行く感じですかね。後方に見える太平洋セメント藤原工場のセメントキルンがカッコいいですな。

鈴鹿山脈の山ふところから、四日市の港の先にある太平洋セメントの出荷センターまでのセメント輸送を担う三岐の貨物列車。以前はセメントの他にも藤原工場で使われる燃料や骨材(セメントに混ぜる土砂の類)の輸送などもありバラエティがあったそうですが、今は完成したセメントの輸送と、知多半島の碧南火力発電所との間で行われる脱硫用の炭酸カルシウム&フライアッシュ(焼却灰)の輸送のみとなっています。同じ太平洋セメントのグループ会社である秩父鉄道はセメントの原料である石灰石(鉱石)の輸送ですが、三岐は完成品としてのセメント輸送であるところが異なります。

朝の1便で下って行った列車が、返空で四日市から戻って来たようです。三岐の電気機関車は、富田側のパンタを1基ずつ上げたスタイルで走るのが一般的で、後パンになる返空列車は穏やかな雰囲気の印象になります。お盆を過ぎて色付きを増す山城の田園地帯を、ツリカケの音を重々しく響かせて走って行く三岐のセメント貨物。2台の茶色の電気機関車が16両のタキ車を引き連ねる姿は、黒い幌馬車の隊列のようです。

実り間近の青田と、重々しい瓦屋根を葺いた旧家の脇を抜けて。藤原岳における石灰石採掘は、昭和の初めからもう80年以上も続けられて来た北勢地区の伝統産業ですが、その輸送の中核を担うべく昭和6年に敷設されたのが三岐鉄道でもあります。今日もその設立の目的に忠実に、地味ながらも確実な輸送を続ける姿に惹かれてしまいますよね・・・個人的に秩父鉄道や三岐鉄道の貨物列車に惹かれてしまうのは、古風な私鉄の40t級のD型電機が飾り気のない貨車を引いて活躍している姿もそうですが、セメント輸送やその原料輸送など「純然たる地場産業の中核」として、鉄道貨物輸送が有機的に機能しているという事実に惹かれてしまうというのもあるんです。ようは「鉄道が地元の産業を支えて、生き生きとしている姿」が見られる嬉しさなんだなあ。分かりますかねこの感覚。

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もうひとつのリバイバル

2020年08月22日 17時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(東禅寺のひまわり畑を行く@旧三岐リバイバルカラー)

三岐鉄道では、西武鉄道時代のリバイバルカラーともう一つ、往時の三岐鉄道のカラーリングを復活させた三岐クラシックスとでもいうべき塗装が西武401系に施されています。いつもの三岐のカラーリングってのは、元気なビタミンカラーのオレンジとイエローのツートンなんですけど、この青緑と山吹色?のような塗装と言うのはいつまで使われてたもんなんでしょうかねえ。さすがに自分が物心ついた頃から現行の色だったんで、相当に昔の話だと思うのですけど。

夏草生い茂る伊勢治田で交換待ちの旧三岐カラー。それにしても、今の時代からしたら「どうしてこの色を使おうと思ったのか」と問い詰めたくなるような、いい意味での昭和的ダサさ全開のカラーリングですよねえ(褒めてます)。自分が生きている時代ではないけれど、京成の青電とか、昭和40年代の相鉄電車とか、確かにあの頃の電車ってこうだったよね、と思わせるような青緑。タバコの吸い殻とか紙屑とかが散乱しまくってる小汚ねえ新三河島の高架線とか、厚木行きのセメント貨物が受け渡し線に転がってる西横浜とかが超絶に似合いそう・・・

現行色の旧西武401系(三岐101系)と交換。色味の違いが際立ちます。ちなみに、三岐で走ってる電車ではこの元西武401系が一番好き。三岐には2連3本の計6両が譲渡されていますが、正面ペッタンコな三枚窓は国鉄101系っぽいシンプルで飽きの来ない国電顔。シンプルながらも西武由来の銀鉄板がペタッと張られていて、そこが自己主張って感じがしてまたいいんだなあ。ちなみにこの旧三岐カラーは、往時の雰囲気を忠実に再現するためなのか、銀鉄板が外されて運転台の下に行先板のサボ差しを復活させているあたりが芸が細かい。治田の駅から部活に向かうのであろう真っ黒に日焼けした高校生、いかにもな夏休みの風景です。

大安~三里間の宇賀川を渡る旧三岐カラー。宇賀川上流の宇賀渓は、この時期キャンプや川遊びの好適地ですが、ここのところの日照り続きで川の水もちょろちょろになってしまっているのが残念。サイド狙いで旧三岐カラーを収めにかかったのですが、なんか光線の角度によって色味がかなり違うように見えてイメージ通りの色を出すのが難しい・・・ちなみに、三岐の電車の中でこの旧西武401系(101系)だけが2連。コロナ禍の中では3連は輸送力過剰とも思える状況ですので、出番が多くなるかもしれませんね。

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