(青い彗星、博多の片隅に眠る@貝塚交通公園)
西鉄新宮まで貝塚線を乗り通した後、折り返しの電車に乗って貝塚駅まで戻って来た。どこへ行っても暑いので、自動販売機の飲み物では飽き足らずコンビニで買った大型のペットボトル(2リットルの水)を持ち歩いていた。貝塚駅前の公園のベンチで荷物を降ろして休憩。貝塚駅前の公園は「交通公園」という立て付けになっていて、ゴーカート乗り場があったり4発機の実機が置かれていたりするのだが、猛暑の芝生の広場をテクテクと国道3号線方面に進んで行くと、昔懐かしいブルートレインの客車・・・ナハネフ22がキューロクの蒸気機関車とともに保存されています。現役時代は「あさかぜ・はやぶさ」等の九州ブルトレに使用され、晩年は門司港~西鹿児島間の九州島内を走る夜行急行「かいもん」の寝台車として使用されていたのだそうです。屋根掛けの保存でもないのにやけにきれいで、保存状態は非常によさげに見える。正直ただの市営公園でこんな保存状態なの、バックにどこぞの保存団体でもついてるのかしら?なんて思ったのだが、調べると何年か前に有志によるクラウドファンディングがおこなわれ、再塗装と大規模な補修が施されたのだとか。
ナハネフ22の内装。さすがに、国鉄20系客車ってのは全廃されたのが平成ヒトケタなので、利用することは出来なかったですよね。「急行かいもん」も時刻表の中の列車、というイメージで。九州の島内夜行急行と言えば、鹿児島線が「急行かいもん」で、日豊本線が「急行日南」。どちらも門司港発の西鹿児島行き客レ急行でしたが、終点まで急行列車で走るかいもんと異なり、日南は南宮崎から普通列車になってしまうので、えらい時間がかかる列車だった。それにしても、自分が乗ったことのある寝台特急ってどのくらいあるのだろう?いわゆる「ブルートレイン」に限れば、九州方面がさくら・あさかぜ・はやぶさ、信越・東北・北海道方面が北陸・あけぼの・エルムくらいのものだろうか。同世代の人に比べれば大したことのない経験であるけども、今の世代の鉄道ファンが逆立ちしても体験できないことではあります。ブルトレってぇと14系か24系25形の世代なのですが、このナハネフ22の大きなパノラミックウインドウと最後尾の展望室は、まさしく「走るホテル」と言われた気品あふれる優美さが感じられるもので、こういう「九州の鉄道文化遺産」みたいなものは、門司港の「九州鉄道記念館」にでも行けばより詳しく見られるのだけれど、今回の旅程ではそこまで手が回らんかったでなあ。
午後の日差しを浴びながら、貝塚駅で折り返しを待つ608編成。この編成だけ検査明けで間もないのか、塗装の汚れやくすみもなく非常にきれいな状態であった。貝塚線の貝塚口は、2連という編成の短さもあって、朝のラッシュ時には10分間隔の運行でも相当な混雑となってしまうのだとか。それだけ博多近郊の通勤通学需要は旺盛ということなのだが、廃止された津屋崎方面の乗客減と反比例するように、福岡都市圏も都心回帰が起こっているのだろうか。貝塚駅は既に橋上駅舎になっており、西鉄側ホームの外側に上下とも線路一本分の空きスペースがあって、ここに福岡市営地下鉄のレールを敷設すれば、相互乗り入れ自体は行えるような準備が出来ています。計画は凍結されてはいますが、現在の西鉄ホームを貝塚線内折り返し、地下鉄ホームを相互乗り入れ車両が使う動線を想定していたようです。
夏雲湧く貝塚の街、600形がフロントマスクのお掃除中。西鉄の車両の中でも最古参の600形、その車体形状の変遷については「にしてつWebミュージアム」に詳しい。ちなみにこのアーカイブス、西日本鉄道という企業体がどうやって福岡・筑後の街の中で成長し、確固たる地位を築いていったのか・・・という歴史を詳細に学べる素晴らしい教材になっている。車両を中心とした鉄道事業の歴史だけでなく、沿線風景の変遷を絡めたホテル事業や天神地区の開発、福岡市内の高架化事業、もう一つの中核事業である西鉄バスの歴代車両や、西鉄クリッパーズからの西鉄ライオンズの歴史まで、西鉄の全てが会社として所有している秘蔵資料や当時のエピソードとともに余すところなく網羅されている。惜しむらくは写真が妙に小さい(複製されることへの対策なのだろうか)ことなんだけど、このWebページを読み込めばきっと西鉄博士になれるだろう。それにしても、西鉄600形の大牟田線デビュー時のスタイルの端正な事!まるで小田急のABFM車とかHE車(小田急2400形)のようではないか。今はどちらかといえば並列の二つ目ライトで柔和な感じのイメージですが、顔を洗いながら「若い頃はイケメンだったんだよ」とでも言いたげな600形。置き換えの前にこの形に戻してくれたら、また福岡飛ぶから、よろしくお願いします(笑)。
朝早く出て来たこともあって、体力の回復のために喫茶店でも入りたかったのだが、ないので冷房の効いた地下鉄で筑前前原まで往復することに。少しウトウトしながら博多の地下を折り返し、貝塚に戻って来た頃には太陽は西に傾いていました。今日の貝塚線の最後に、今一度名島橋のカットを取っておきたく再び橋のたもとへ。粘って見付けた名島側の立ち位置は灌木生い茂るブッシュの中、条件はあまりにもよろしくなかった。クモの巣のネバネバをこそぎ落とし、迫りくるヤブ蚊をペチペチと引っぱたきつつ、夏の斜光線を緩く浴びて多々良川を渡って行く600形を収める。コンクリートアーチの橋脚が水面に揺れて、貝塚線のいい締めの一枚となりました。