(日本で一番暑い夏@太宰府駅)
太宰府駅を正面口から。天満宮を模した雰囲気のある駅舎である。現駅舎は2019年にリニューアルされたもので、それまでは赤瓦屋根の渋い大柄な駅舎が建っていたようだ。ここまで来たらちゃんと天満宮にお参りに行かないとね・・・ということで駅のコインロッカーに重い荷物を預けて参道へ向かう。それにしても朝から鬼のように暑い。今年の夏、よく「太宰府」という地名を気象情報でも耳にする機会が多かったと思うのだけど、2024年の今年、太宰府市は「35度を超える猛暑日」の日本記録を更新し続けていて、何と9月15日の時点で延べ57回を記録しております。まさに今年は「日本で一番暑い」街だったのでありますが、熊谷とか舘林とか多治見じゃなくて急に大宰府が「暑さ」でクローズアップされたのは何故なのだろうか。一説によると、背振山地と三郡山地(福岡平野と筑豊地方を隔てる山地)に囲まれたすり鉢状の地形のせいだとか、アメダスの観測点が変わったせいだとかいろいろ言われていますが、真相は定かではありません。9月になってもまだまだ暑い日本列島ですから、別に記録はここで終わりということでもないようなので、どこまで記録が伸びてしまうのか・・・一年の約6分の1が猛暑日ってのも異常な話だ。
陽炎揺らめく天満宮の参道。石畳に猛烈な夏の陽射しが照り付けて、閃光のように跳ね返ってくる。まだお土産屋さんは何も開いていない時間ではあったが、それが逆に慎としていて神秘的でもある。この日も普通に最高気温が36℃を超える猛暑日だったようで、暑いのは知ってたから朝8時くらいに参拝に行ったんだけど、それでも既に30℃超えてたんじゃないかな・・・と。額から流れ出る汗をタオルで止めて参道を歩く。朝もはよから打ち水に勤しむ太宰府の民。あまりにも熱心過ぎて私の姿が見えていなかったのか、水を引っ掛けられそうになったのはご愛敬だ。
太宰府天満宮。藤原時平により菅原道真公が奸計にかけられ、京の都から遠く九州の大宰府に流された挙句、彼の地で客死してしまった道真公の無念を祀った・・・というのが一般的なイメージでしょうか。幼き頃から漢詩を嗜み、学問を究め、時の権力者すら畏怖したというその頭脳の明晰さで時の権力者に仕えた道真公は、没後に学問の神様として「天神様」の称号を受け、この太宰府を総本山に全国へと信仰を広めました。ちなみに、私は太宰府天満宮というと、さだまさしの「飛梅(とびうめ)」という曲を思い出してしまうんですよね。その曲の冒頭、「心字池に架かる三つの赤い橋は 一つ目が過去で 二つ目が今・・・」というくだりがあるのだが、鳥居をくぐってその心字池にかかる一つ目の橋を見たら、「ああ!これがさだまさしの『飛梅』の!」となって、その歌詞が頭の中で強烈にフラッシュバックしたのでありました。
太宰府天満宮の本殿。本殿・・・?とちょっと進んで横に回ってみると、何のことはない、現在太宰府天満宮は2027年(令和9年)に行われる式年大祭のために、去年の5月から約3年に亘る本殿の大改修工事を実施しているのだそうだ。お参りできるのは手前の仮設の神殿までで、正面から見た時に足場とネットが組まれた本殿の姿を隠すように屋根の上に不自然な植栽が載せられていると言う訳だ。本殿の工事は124年ぶりだというのだから相当な大工事なのだが、意外に私はこの手の「改修工事中」に付き合わされることの多いタイプで、何年か前に伊勢神宮に行った際は「式年遷宮」だとかで本殿が見れなかったし、3年前に道後温泉も行ったときは本館が大規模工事中で入浴できなかったし、去年の夏は出雲で国鉄の旧・大社駅が大規模修繕中で姿すら見れなかった。重要文化財ものの建築物の大規模修繕ってのは年単位で時間がかかるのも珍しくはないので、別に私だけがそういう訳でもないのかもしれんが、なんか多いよね。調べてないだけ、と言われればそれまでなんだけどさ。なんか締まらないなあ・・・
若干拍子抜けしたような感じから気を取り直して参拝を済ませ、学問の神様ですから子供たちの学業のご利益を賜りたくお札なんかを授け、お守りをいただく。梅の花があしらわれた紙包みを恭しく仕舞って、心字池に架かる三つの橋を渡って参道を戻る。太宰府のみならず、天満宮・天神様と言ったら「梅の花」であるのだが、これは、菅原道真公が生涯に亘り梅の花を愛した故事にちなむ。道真公が太宰府に流される際、自宅の庭の梅に向かって詠んだ「東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なきとて 春な忘れそ」の句はあまりにも有名ですよね。ようは「東の風(春風)が吹いたら、主人の私がいなくてもちゃんと花を咲かせて、その香りを(太宰府まで)届けておくれ」という別離の歌なのだが、梅の花は道真公を慕って京の都から一晩で飛んできて、太宰府に花を咲かせた・・・というのがその後に伝わる「飛梅」の伝説。さだまさしの「飛梅」という歌は、男女の別れ間際のすれ違いや心情の機微というものを太宰府と道真公のエピソードになぞらえて綴った切ない春の失恋ソングで、「あなたがもしも遠くへ行ってしまったら 私も一夜で飛んで行くと言った」という一節に、飛梅伝説のエピソードが織り込まれている。グレープを解散してソロとなったさだまさしの初期の名曲である。
駅までの帰り道、行きには開いていなかった梅ヶ枝餅のお店が開いていて、声をかけると一つ持ち帰りで焼いてくれた。さだまさしの「飛梅」では、「きみ(女)が一つ、ぼくが半分」を食べた梅ヶ枝餅。普通は逆だろう?と思うのだけど、そこらへんに二人の間に吹くすきま風というか、「ぼく」の方が関係が終わりに近いことに気付いていて、食べるものも喉を通らない感じが表現されていて繊細である。かくいう私は一緒に食べる相手もいないので、一人で一つ梅ヶ枝餅を頬張る女性側の立場でかぶりつくと、香ばしい焼き立ての餅の中から熱い餡子が飛び出てきて手も口の中も一緒に大火傷しそうになった。いやもうホント、熱いのは気温だけで十分だわ・・・
二日市へ戻る太宰府線の車内で冷房に当たって、やっと人心地着いた気になって振り返るのは暑くて熱い太宰府の夏、いずれにしても夏。