青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

Twitter気分で

2010年02月08日 23時33分52秒 | 日常
保釈されたオザーの秘書・石川某が合田さん@世界の競馬に見えて仕方がないのだが。
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新しいもの 変わらないこと

2010年02月07日 09時30分49秒 | 日常

(画像:新装村山橋を行く@柳原~村山間)

元日比谷線3500系が新装なった村山橋を行く。
村山橋と言うのは長野電鉄が千曲川を渡る橋の事ですが、特徴的なのは上記の画像のように道路・鉄道の併用橋となっている事です。左側の道は国道406号線。かつては長野電鉄が大正時代に千曲川の架橋に際し、大工事への金銭面負担から長野県に出資を求め、県道長野須坂線と共同で架けられた橋でもあります。ついこないだまでその開業当初からの橋をそのまま使ってましたんで、交通渋滞の元凶になっていたらしいのですが。長野市から須坂市方面へ抜けるメインストリートですからねえ。

(在りし日の…@柳原~村山間)

これが旧村山橋。4~5年前に撮ったんじゃなかったかな。橋の欄干の「ヘドロ」ってのが気になりますがw
最近自分は橋マニアみたいなところがありまして、時代を感じさせる無骨なトラスの組み方とかには凄く趣を感じます。
大正時代に架橋されたせいで規格が小さく、大型ダンプとかだとすれ違いにすら苦労したらしい。
鉄道線との仕切りもガードレール一本で歩道もないし、ハンドル操作を間違って列車に突っ込んだ車とか出なかったのかね。

(連続トラスの旧鉄橋@柳原~村山間)

これも在りし日の村山橋を走る2000系C編成特急。
今の塗装と若干カラーリングが違いますね。そう思うと結構長野電鉄を撮ってるんだなあ自分。今はこの角度から撮ったら壁に阻まれちゃって列車見えませんけどね。連続するトラスの鉄骨とリベットがいい感じです。全長で800m近くある橋梁ですから、当時としては難工事だったのでしょうねえ。中流域でもそれだけの河原の広さを持っていると言う事ですが、さすがに日本第一の長さを誇る信濃川水系だけはあります。

(変わる橋、変わらない車両@柳原~村山間)

先代の村山橋から新しい橋に変わり、道路は拡幅され車の通行量は増加しました。
冷や飯を食う立場の鉄道路線ですが、大きく水を開けられた感のある鉄道と車は、千曲川の水の上で再び共存の道を選んだ訳ですね。
新しいものが出来ても、変わらない村山橋。
霞む戸隠をバックに、新鉄橋を湯田中行2000系特急が駆け抜けます。

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夜間瀬川界隈

2010年02月06日 12時00分00秒 | 日常

(画像:街へ出よう@上条駅)

長野電鉄の駅は、須坂まではそれなりに乗客もいる感じですが、須坂から先は小布施と信州中野くらいであとはこんな感じのローカル駅になる。特に信州中野から湯田中にかけてはそのローカル色は一層強まり、日中は一時間に一本程度の列車を待つだけの静かな空間は、雰囲気としては好ましいストラクチャーですねえ。
湯田中から坂を下りて来た朝の長野行B特急が上条駅へ到着。
マルーンカラーのA編成は、りんごカラーのD編成と違ってこっちは小布施の栗まんじゅうと言った感じでしょうか。
街へ出る周辺住民であろう乗客が待っていました。

(画像:筋雲流る 高社山@夜間瀬川橋梁)

マルーンカラーA編成が夜間瀬川橋梁を渡る。
山の上から筋雲が湧き立ち、列車のサイドに朝日が射す。
長野電鉄の撮影地で、一番有名なのはこの高社山バックの夜間瀬川橋梁。長野盆地からは色々な山が眺められるが、姨捨の駅から見て一番奥に見えるのがこの高社山。山の名前としてはそんなに有名ではないんでしょうが、長野盆地の北側に突き出た独立峰なんで頂上からの景観は素晴らしいみたいですね。山の中腹まではりんご畑が埋め尽くしております。上に登ったら俯瞰撮影とか出来そうですが。

(画像:紅一点@夜間瀬川橋梁)

冬の信州は、暖冬と言えどもモノクロームの世界の中。その中をりんご編成が走って行くとその鮮やかな赤がひときわ映えるような気がしたので、国道292号線の橋の上からサイド狙いで構図を作る。車輪のキイキイという音が聞こえ、夜間瀬川の鉄橋に列車の姿が現れると…

果たしてイメージ通りの絵になりましたでしょうかね。

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信州のリンゴ☆スター

2010年02月05日 22時31分26秒 | 日常

(昭和30年代の名車@朝陽~附属中学前)

ちょ~っと更新が止まっていたのは、今週が忙しいせいもあったんですがついにヨメさんと子供が帰って来てしまったのですよw
今までは週末親だったのだが、帰って来て三日で「育児」というもののあまりの大変さに恐れおののいている訳ですが…
夜中まで吹き荒れる台風が如く泣き止まぬもので、言ってはいけないがこれに耐えられない人達が虐待とかに走ってしまうのでしょう。そんな事を想像するとちょっと怖い。小さな子供の放つエネルギーなのに、手に負えないくらいまでに激しいのです。

閑話休題。先週末は長野に行ってたんですね。
長野電鉄の生え抜き特急車である2000系が撮りたくなりましてねえ(笑)。
子供が戻って来た今思うと、行っておいてよかったなとw

湯田中への特急運用は、現在小田急から譲渡されたロマンスカー「ゆけむり」で運行されているんですが、「ゆけむり」の1編成が検査入場中と言う事で2月一杯は代走。本来なら朝晩しか走らない2000系の特急運用が日中でも見られると言う按配な訳です。1964年生まれですから昭和39年、東京オリンピックの年に生まれた車両なんですね。

(高井富士をバックに@夜間瀬~上条間)

長野は冬季オリンピックを境に物凄く道路状況が改善整備されたんで、正直長野電鉄も経営としては苦しいとは思うのだけど、この車両が生まれたのは長野電鉄が「志賀高原」と言うドル箱の観光地への主要交通手段だった頃…鉄道のいい時代だった頃のお話です。上野から湯田中まで直通急行「志賀」なんて列車も運転されてましたからねえ。その当時としてはかなり豪華な装備と画期的なシステムを持って誕生した、文字通り長野電鉄の花形車両でした。車歴45年を超えた今でも案外陳腐化してはいないデザインだとは思うんですけどね。

長野を出て、須坂~小布施と走って来た列車は、信州中野から湯田中にかけて夜間瀬川の作り上げた扇状地を登って行きます。
後ろに控える高井富士、雪のリンゴ畑の中を湯田中へ向けてラストスパート。
ちなみにD編成のカラーリングのモチーフは、当然のごとくリンゴ色です(笑)。

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神様が言う事を聞いてくれた日

2010年02月01日 22時43分37秒 | 日常

(画像:ここまでは久し振りじゃね?)

土曜日の私の発言を聞いていたのかどうか知らないが、夕方に雨から変わった雪は思った以上に絶好調。「なんか外が静かだな」なんて思ってたらいつの間にやら外がこんな風になってました。結構普通にみんな車で走ってるがスタッドレス履いてるのかな。自分は先週思い切ってスタッドレスに履き替えてみたのだが、ディーラーの兄ちゃんに「サイプ(溝)は大丈夫だけど年数的に今シーズンいっぱいですかね」みたいな話をされてしまった。あんまり使ってないから勿体ないんだけどねえ。せっかくだから意味なく坂の向こうのコンビニまで行ってみようかしらw

それにしても雪が見たいと一言言ってから二日目でこのオーダーの通りの良さ。
天の神様が言う事を聞いてくれたのかなと思わざるを得ないw
ならばついでに伝えておきたいのですが、今年のお願い事リクエストはこれで打ち止めってのは出来ればやめていただきたい(笑)。

追伸:坂の向こうのコンビニまで行って来た。
坂の下でトラック1台乗用車2台が坂を登れずにスタックしてました。

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