(芒輝く坂道を行く@音沢~宇奈月温泉間)
木漏れ日のカーブの向こうから、14720が宇奈月温泉へ。人ひとりが立つのがやっとのような狭い音沢のホームを出て、芒輝く坂道をモーターを震わせながら登って行きます。音沢から宇奈月温泉までは約4km、宇奈月温泉へ向かう県道が地鉄と並行して走っておりますが、音沢を出るとかなり山は深まり人家の数もグッと減ります。実際に駅間の撮影地で待っていると、ガサガサと森の中からサルの群れが飛び出して来て、黒部川の河原のほうに消えて行った。以前にこの付近ではカモシカも見た事がありますが、さすがにクマは出ないだろうな・・・と若干ビビる(笑)。
地鉄本線を宇奈月まで追い込んで撮影すると、いつも最後は温泉街手前のポプラ(コンビニね)で休憩することが多い。温泉街を降りて行く14760形のエリア特急くろべ。宇奈月温泉の駅周辺は少しゴチャゴチャとしていて構図を作りにくいので、あんまり温泉街の中まで入って行かないのであるが、慌ただしく取って返さずにゆっくりと宇奈月温泉の総湯にでも浸かり、温泉街をブラリとしながらスナップでも楽しむ余裕が必要なのかもしれない。宇奈月温泉は、アルミ精錬に必要な電力を黒部川の電源開発に求めた東洋アルミナムが開発した温泉地ですが、温泉自体は宇奈月に湧いている訳ではなく、5km程度谷を遡った黒薙で湧いているものを送湯管にて引き入れているものです。
東洋アルミナムは、高岡出身の科学者である高峰譲吉博士が創設した会社でした。高峰博士と言えば数々の発見で現在の第一三共製薬の創始者となった人物ですが、東洋アルミナムの設立を通じ現在の富山県のアルミ産業の端緒を開いた功績も特筆されるものです。黒部鉄道は東洋アルミナムによって設立された後、日本電力に譲渡され富山電鐵と合併するに至りますが、日本の電力需給を賄うための黒部川の電源開発は戦前からの国家のエネルギー政策の一つであり、戦前から戦後にかけても黒四ダムの建設のための資材運搬など、日本の電力需給を構築するための補給路として三日市~宇奈月間は重要な役割を担いました。
宇奈月の街は、今や新幹線も開通してすっかり観光客相手の温泉街という雰囲気。しかしながらよく見るとあちらこちらに関西電力関連の施設が多く、黒部開発の前線基地としての役割と、開発に従事する労働者の保養地としての役割は消えてはおらず、今もエネルギーの街としての側面を残しています。