青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

優等、県都を目指せ。

2021年06月19日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(タチアオイ、初夏に咲く@内山駅)

集落を見下ろす少し小高い位置にある内山の駅。終点の宇奈月温泉に向かっての最後の交換駅になります。何だかんだここも自分の中では肌馴染みのするロケーションの駅で、地鉄の絵作りには欠かせない存在感があるんですよね。初めて来たのが秋だったんだけど、里の紅葉と背後に迫る黒部の山が雪化粧をしていてねえ。木造の古式蒼然とした駅舎との見事なコラボレーションを見て、この駅の魅力に射抜かれちゃったんだな・・・

駅舎の中は案外広くて、そして誰もいない朝の待合室は、打ちっぱなしのコンクリートがひんやりとして涼しく。開け放たれたホーム側のサッシ扉から入って来る山の空気が爽やかだ。梅雨空を透過して僅かに差し込む朝の光。待合室の長椅子に置かれた座布団が、仮眠しながら夜通し走って来た体を優しく迎えてくれます。

宇奈月温泉に向かって、次第に山深くなっていく黒部線沿線。黒部川の谷を遡って行く地鉄電車、人の住む集落はこの内山から次の音沢あたりまで。宇奈月は黒部川の電源開発に伴って作られた前線基地のような場所なので、温泉街こそあれど住民の数は少なかったりする。そして内山の駅のホームと言えば「白線の内側に入っている」。入って・・・いる?・・・入っていて=わかる。入っていろ=まあわかる。入っている=わからん。ってなるよな(笑)。

そんな内山の駅の雰囲気と佇まいを愛でていると、宇奈月温泉行の17480形が上がって来た。スカートを履いた地鉄第二次導入の田都車(K編成)ですが、なんだか前面幕が壊れているらしく運転台にクリアファイルに入れた行き先表示を出していた。そういう時のために電鉄富山の駅に行先表示用の丸看が置いてあるんじゃねーのか・・・と思ってしまうのだが、元東急車にヘッドマークステーなど付いている訳もなく。数々の改造工事を担った稲荷町の匠たちであれば、ヘッドマークステーなど苦も無く取り付けてしまうと思われるが。

ここで待っていたのは、電鉄富山行きの急行列車。特急がアルペンの片道運用のみと大減便になった今春のダイヤ改正ですが、愛称なしの急行列車は上り朝2便下り夕2便→朝1便夕2便と微減に留まりました。今や貴重となった地鉄の優等運用。内山交換ではどっちが先入れになるか分からんかったのだけど、宇奈月行きに先に入られてしまったので並び写真しか撮れんかった。願わくばこの運用に純正雷鳥カラーの60形をぶち込んでいただきたかったのであるが、この日は60形でもカボチャであった。それでも凛々しい前パン側を構内踏切から安全に切り取れるのが内山のいいところ。

まあね、急行がカボチャの60になるのは、さっき愛本で登ってったのがこの車両だったんで知ってたんだけど・・・正直、コロナ禍ダイヤで運用数減ってる中でロングの東急4編成は常時フル稼働ですのでね。相対的に60形とのエンカウント率が減る中で、カボチャだろうとなんだろうと文句言えないかなって思いはあるのですよね。どうせなら、緑と黄色の間に赤いラインを引いた平成初期の地鉄カラーリングとかも見てみたいな(笑)。

実際の急行運転区間は、新魚津~寺田までと僅かな区間のみで、新魚津までと寺田から先は各駅停車。単線での列車交換や上市でのスイッチバックもあり、途中駅を通過する事による速達効果はほぼありません。それでも山峡の小駅から、優等列車は県都富山を目指します。

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愛を閉じ込めた部屋で。

2021年06月17日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(見上げれば、昭和のセクシー@愛本駅)

何とも古式ゆかしい昭和的な女性の後ろ姿、ボリュームのある尻と生足がどうにもセクシーな広告看板。ワシントン靴店。銀座に本店のあるあのワシントン靴店?と思ったのですが、富山の総曲輪にも昔っから同じ名前の会社があって、現在でも「Parade」というブランドで北陸の靴販売店として一定のシェアを占めているらしい。黒部川の谷が狭まる愛本の駅で、図らずもこういう地場のローカルチェーンの知見を得て、自分の小ネタの引き出しにまたモノが増えた(笑)。

山小屋風の愛本駅。宇奈月へ向かう県道から細い脇道に逸れた奥にあって、正直場所は気付きにくいかもしれない。そもそも黒部線エリアの駅はどこも集落の細い路地を入った場所にあるので、駅の位置が分かりづらい印象があるな。駅横にある大きな発電所(関西電力新愛本発電所)が目印になるのだけど、そもそもこの駅を利用するのは駅を知っている近隣住民だけなのだろう。以前は交換設備があったのか、森に還り始めたホーム跡が見える。

ホームの待合室の中に、本当だったらホームに掛けられているはずの駅名標が置かれていた。どうしたんだろう。掛け直さないのかな。待合室のベンチに座ってぼんやりと駅名標を眺めていたら、図らずも、この空間が「愛(本駅の駅名標)を閉じ込めた部屋」になっていることに気付く。ふむ、愛を閉じ込めた駅か・・・なんて思えば、無駄にエモーショナルな感情が沸き上がって来る。なら、「(駅名標を掛け)忘れられた愛(本)の駅」なんてのもアリかもしれない。なんだその二時間ドラマ的なタイトル。なんて自分で自分にツッコミを入れながら過ごしてみるのだが、これはそんな相変わらずの全開の妄想を表現したカットです。ちなみに、動かしてみようとしたら、案外愛が重かった。

黒部に愛を閉じ込めて、ひっそりと佇む森の小駅。
その愛の行く末は、誰も知らない。

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若苗瑞々、栃屋の朝。

2021年06月15日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(棚田と山の十重二十重@浦山~栃屋間)

黒部線エリアで好きな撮影地なのが、この栃屋駅前の田園地帯。扇状地に広がる棚田は、畔ではなく石垣で区切られていて、その石垣に沿って地鉄の線路が山へ山へと伸びています。若苗が瑞々しく育つ田園。線路が続く遥か向こうには、黒部峡谷を形成する北アルプスの前山が、右から左、左から右とパイ生地の層を重ねるように連なっていて、一番奥の後立山連峰へ繋がっているのがまたいいんだなあ。何年か前の夏、家族で富山旅行に来た時に見付けた場所なんだけど、そっから気に入ってる場所なんですよね。

黒部川の扇状地も砺波平野の田園風景同様、ポツンポツンと点在する散居の中にあります。早朝のひっそりとした集落の空気をかき消すように踏切の鐘が鳴れば、一番電車は宇奈月温泉5:37発の電鉄富山行き108列車。ちなみに電鉄富山に7:19着と約1時間40分の旅なのだが、新黒部で新幹線に乗り換えると、黒部宇奈月温泉~富山はたったの13分。時代は変わったという事か。

始発電車を待っていた一人のおじいちゃん。軽装だけど、こんな早い時間の始発電車に乗ってどこへ行くのか。黒部の街に働きに出るにはさすがに早い時間である。もしかして、富山の街まで入院している妻を久し振りに見舞いに行くためとか・・・一人で撮影していると、ファインダーの向こう側の世界に対して物凄い妄想が膨らんでしまうのだが自分だけだろうか。まあ想像以上の余計なお世話なので、あまり本気にしては欲しくない心の声だったりするのだけど、一人にて黙する旅は、豊かな妄想との自問自答の繰り返し。

オープニングを飾るは14765F。一発目に引き当てる車両として申し分なし。
だいぶ車輪の厚みが削れているような気がするのだけど、そろそろ検入れの時期が近いかな?

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水無月、富山へ。

2021年06月13日 10時00分00秒 | 富山地方鉄道

(黒部耕土を睥睨し@長屋~新黒部間)

6月は昔っから祝日のない月ですが、そんな月なので年間計画の中で有給を早めに取得しておりました。早めに取得した有給なら、本当だったら入念に時間をかけてプランニングして、北海道とか九州とかそれこそ飛行機予約してガッツリ腰を据えた遠征に行っても良かったんだけど、最近のLCCは国内でも客が集まらないと簡単に欠航しちゃうみたいだし、じゃあ頼みの高速バスはってーと緊急事態宣言下で大量の路線が運休しているし・・・と言う訳で富山に行って来ました。もう最近はあんまり考えなしに富山地鉄。別に何が撮りたいってのが今更ある訳じゃないんだけど、とりあえず行けば何かあるでしょう。と。そう思わせてくれる何かが富山にはあって、そして地鉄にはあります。黒部川の扇状地を走る地鉄の電車、田植え直後の水田にその姿をチラリ写して。

前回(2月)の訪問の際は雪残る立山線を中心に撮影したので、今回は黒部線(電黒~宇奈月)エリアを中心に撮り歩いてみることに。梅雨晴れの蒸れたような空気の朝、どこまでヌケが出るか分からずとりあえず登ってみた宮野運動公園俯瞰。UV強めの水無月の朝、ハーフNDフィルターが欲しくなるような厳しい条件ではありますが、かぼちゃ京阪がトコトコと宇奈月へ登って行きました。

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七苦離の湯に祈る。

2021年06月09日 17時00分00秒 | 上田電鉄

(いざ信州の鎌倉へ@別所温泉駅)

別所温泉駅にて夜撮。瀟洒なレトロ駅舎に「カネモト味噌・醤油」のレトロな看板。このフォトジェニックな風景、いかにも地方の中小ローカル私鉄の終着駅としてお手本のような設え。よく夏シーズンになると鉄道旅行系のムック本が発行されますけど、別所温泉の駅ってそういう雑誌の見開きを飾りがちな印象があったりする。かくいう私も、初めて青春18きっぷを買った時、日帰り旅行で来たのがここ別所温泉の駅だったなあ。

駅のホームに残る旧式の駅名票と駅長室の看板。別所温泉への日帰り旅行は確か高校一年生の時、新橋のチケットショップでバラ売りの18きっぷを2枚買って、友人と来たんだっけかな。朝一に地元の駅を出て、立川~小淵沢~小諸~上田~別所温泉。帰りは上田~軽井沢~横川~高崎~拝島~立川だった。横軽を通る普通列車の本数が少ないので、軽井沢から高崎まで仕方なく特急に乗った記憶がある。特に何をする訳でもなくひたすら列車に揺られるだけの旅だったのだけど、今思えば在来線の碓氷峠を越えられただけでも贅沢な旅でしたよね。

3月の全通を祝って、地元塩田中学校生から送られた寄せ書き。このような地元の声を地道に拾い上げ後押しにして、復旧にこぎつけた別所線。遅い時間の別所温泉の駅には湯客の姿もなく、静かに佇む駅舎の中で鉄路に寄せた人々の思いをしっかりと受け取りつつ時間を過ごします。個人的には改札横にあった上田のタワレコが出した「UEDA CITY’S LIFELINE!」の意見広告がオシャレでいいなって思いました。いつもの「NO MUSIC NO LIFE!」のノリじゃないのね。

丸窓電車から、東急5000系アオガエル、そしてステンレスの7200系、現在の1000系と変遷してきた上田電鉄の車両たち。時は流れ、行き交う車両は変わっても、駅の雰囲気はあまり変わっていません。古式ゆかしきホームが、今もこうして別所の温泉街の坂下で、湯客を待ち続けています。正直なところ度重なる緊急事態宣言発令で、別所温泉のみならず日本各地の温泉街は商売あがったりなんだろうけど、こんな状態が一年を超えてしまうと、中小零細の旅館や土産物屋は経営体力というよりも経営者のマインドが冷え切ってしまいそうでね。そうなると、「辞められるうちにきれいに辞めたい」みたいな感情が先走ってしまって、コロナ明けたら何も残ってなかった・・・みたいな事になりかねないのが心配ではあります。

別所温泉は別名「七苦離の湯」と言われ、古く枕草子にも記されていた名湯。
疫病の御世を洗い流してくれる事を願って。

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