青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

会津路よ さらばの春へ あと僅か。

2022年01月16日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(会津へ@日光市横川)

今回のドライブ、最終目的地は会津若松の鶴ヶ城。という事で夜中に家を出て来たのだけど、午前2時に叩き起こしてクルマに乗せた息子も、最初のうちははしゃいでいたが次第に眠くなって来たのか、隣で寝息を立て始めた。朝の会津西街道を山王峠へ向かって男鹿川の谷を詰める。鬼怒川から川治の温泉街を抜けるといよいよ道の脇の雪は深く、五十里ダムの堤体に取り付いて登り切ってからは、僅かな集落を除けばほぼ人跡未踏の雪の森林帯を走る。路面は除雪されていてドライなので、走るのにそう苦労することはないのだけど、会津に入ってからは流石に路面にも雪が目立ち始めた。

国道121号に沿って走る野岩鉄道は、会津高原尾瀬口駅から会津鉄道に変わります。すっかり雪景色の南会津、会津高原と会津田島の間にある会津荒海駅にクルマを寄せます。この辺りでちょっくら6050系を撮りたいと思っていたんですよね。寝ていた子供を起こし、防寒具と長靴を履かせてスタンバイ。会津荒海駅は、農産物の直売所が併設された妙にメルヘンチックな建物。各地の第三セクターが国鉄からの転換時にこのような駅舎をやたらと建設したような覚えがあるのだが、ここもその一連の流れのうちなのだろうか。

最近はお名残り撮影の同業者も増えて来た6050系の周辺。会津鉄道線内では中荒井と会津荒海の間にある雪原の真ん中の踏切で撮影するのが流行りみたいですね。但し、子供連れではあまりハードな撮影地に連れて行く訳には行かないので、カメラを構えたのは駅の近くの除雪された踏切。悴む手に息を吹きかけて列車を待っていると、子供連れの親子がこんな場所にいるのが珍しいのか、通りすがりのおばあちゃんから声を掛けられる。除雪用のグレーダーと、雪捨て場へのダンプが行き交う、南会津の冬の朝。

後方から警報音が鳴り、会津荒海の駅に進入して来た305レ。ここで会津田島発の区間快速と交換予定。会津荒海での乗降客はありませんでしたが、お名残り乗車と思しき乗客が一寸ホームに降りて写真を撮っているのが見えた。会津荒海の駅は、会津田島~会津高原尾瀬口間唯一の交換駅。電化区間終点の会津田島駅には電車が入れるホームは1線しかないので、いきおいこの駅で上下の電車が交換するシーンが多くなる。

除雪車両の作業の邪魔にならぬように三脚を出し、カメラのセッティングをして息子にシャッターを任せる。傍らの踏切が鳴って、会津田島発の区間快速・新藤原行きが軽く雪煙を上げながらやって来ました。6050系のうち、野岩鉄道所属になる61103F。寒冷地用の霜取りパンタを上げて走る姿は文句なしにカッコいいですなあ・・・区間快速と言っても、昔の浅草まで行く時代の区間快速(下今市~新栃木間は各駅停車)とは違って、会津線内の会津田島~会津高原尾瀬口間が無停車になるだけ。それでも、長年の東武ユーザーは青幕の「区間快速」の文字を見て、2+2+2の6連で北関東の平野を走り抜けた6050系の姿を既に懐かしく思うのかもしれないですね。

オトナアングルの手持ち広角側は、軒に降り積もる会津の雪を入れて、やや情景っぽくまとめてみました。思えば、野岩線開通後に走り始めた東武鉄道の快速列車(区間快速を含む)は、都心から会津まで優等料金なしでの直通という破格待遇。加えて、2扉のボックスシートの程度のいい車両が、分割併合をしながら東武・野岩・会津の3社に乗り入れていたという、あたかも国鉄全盛時の多層建て急行列車のような稀有な存在でした。1986年、国鉄時代からの悲願を引き継ぐ形で、首都圏から会津の新しい扉を開いた野岩・会津の両三セクですが、沿線の過疎化、そしてコロナ禍による利用者の大幅減により、開業40年を前にして、大きな岐路に立たされているのは間違いないようです。

3月改正の後は、電車での普通列車運行が廃止される会津高原~会津田島間。ここで6050系列が交換する光景も、あと2ヶ月程度という事になります。6050系が走らない分は、会津鉄道がDCで運行して補完するそうですが、そうなると、この区間を走る電車は4往復のリバティだけって事になる。そのために電化設備を維持するというのも、随分オーバースペックな話だ。

-5℃の空気の中、区間快速がバチバチバチ・・・!と激しくアークを引いて滑り込む、会津荒海の朝。
会津路よ さらばの春へ あと僅か。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日出ずるや 女峰赤薙 紅染めて。

2022年01月14日 17時00分00秒 | 東武鉄道

(赤焼けた空の下を@上今市駅)

日の出直前の赤焼けた空の下、上今市の駅に入線する903レ。これも現在では貴重な6050系の4連運用。早朝5時前に新栃木の車両区を出庫し、新鹿沼に回送。新鹿沼→栃木→東武日光→新栃木と走ってすぐ入庫してしまう朝のショート運用。確か6050系のリバイバルを初めて撮影しに来た時に、この運用に入られてろくすっぽ撮影が出来なかったという苦い記憶があるなあ・・・あれは二年前の秋だっけ。リバイバルには振られましたけど、あの日は野岩線内の紅葉が素晴らしくて溜飲が下がった。それもまたいい思い出。結果的にはなるけど、6050系の写真は秋~冬にかけてのものが多い。四季をしっかり撮れなかったのは不徳の極み。もう時間は帰って来ないのだけど。

男体女峰を仰ぎ見て、日光地区らしい杉並木の道を登って行く903レ。秋冬だとあまり太陽が出ている時間を走らないのが難点。903レは、新鹿沼発の始発電車から流れて来る運用ですが、前日は南栗橋から新鹿沼行きの最終列車を務めています。翌日の新鹿沼発のために滞泊すればいいものを、いちいち新栃木の検車区へ戻る行路を取るのだけど、おそらく新鹿沼には乗務員の方々が休息するような場所はないのでしょうね。

JRの日光駅を跨ぐ跨線橋から、折り返して来る910レを。ちょうど昇り始めた朝陽に、日光連山が真っ赤に染まります。左に女峰、右に赤薙が紅に染まる朝のドラマティックタイム・・・ 二荒颪の吹く中を、北のターミナルを出発して行く6050系4連。構内のポイントを渡る音も心地良く。吹きっ晒しの古レールで組んだ頼りなげな跨線橋からの壮大な風景は、寒さを忘れる眺めでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつだって 別れ話は 突然に。

2022年01月12日 17時00分00秒 | 東武鉄道

(何気ない風景の中で@新高徳駅)

東武6050系。言わずと知れた、現代における私鉄急行型の代表的な車両で、浅草口からの日光・会津方面への快速用車両として長年活躍して来ました。特急リバティの運行開始により会津快速から撤退して以降は、南栗橋以遠の急行や野岩線方面のローカル運用が主戦場とはなったものの、まだまだ元気に活躍をしてくれるものと信じておりました。2ドアの間に並んだ端正な窓配置、折り畳みテーブルの付いたボックスシートに、くずかごとトイレ付きの車両は居住性も良く、個人的に凄く好きなクルマ。それだけに、折に触れ撮ったり乗ったりもして愛でては来たんですが、ここに来て日比谷線乗り入れの20000系を改造した20400系が大量に投入されたことで、活躍の場を大きく減らしています。僅かに残った優等運用のうち、朝6時に新藤原を出る区間急行(150レ)を新高徳の駅で。冷え込んだ冬の朝、赤幕を光らせながら部活に出掛ける高校生の待つホームに滑り込みます。

去年の夏以降、急激に淘汰が進む6050系。車体こそ新造されてはいますが、半数が旧6000系から部品を流用したという足回りの古さがネック。もう半数は増備のために完全に新造されたグループではあるんですが、ひっくるめてデビューから35年以上経過し、色々と老朽化しているというのは確かなんでしょう。館林で改造された20400系が1本また1本と運用を開始する都度、ジリジリと数を減らす6050系の先行きを案じてはいたのですが・・・12月某日、東武鉄道より「2022年3月以降は南栗橋以北の列車をワンマン化し、日光鬼怒川地区の運転体系を大幅に見直す」との発表。同時に野岩鉄道からも、17往復/日の運行をなんと10往復まで削るという衝撃の大減便の報。そしてトドメは、会津鉄道から同日のダイヤ改正プレスの中に「東武鉄道のワンマン運転の開始に伴う、会津田島~会津高原尾瀬口間の6050系電車運転取り止め」のお知らせがありましてね。これ、6050系、ヤバくね?ってなったんですよ。

上記の情報を総合すると、

1.6050系はワンマン運転に対応出来る装備がない(改造工事をしている雰囲気もない)
2.よって、3月以降の南栗橋以北の列車は、20400系その他へ変更となりそう
3.野岩鉄道線17往復/日→10往復/日へ。但し、リバティ4往復は維持
4.3より、減便されるのはおそらく朝晩の普通列車運用
5.会津鉄道からの撤退。田島~尾瀬口間はDC対応。AIZUマウントエクプレス2往復→1往復へ

という事で、どうやら2022年3月以降、6050系の働き口はほぼなくなってしまう、という事になります。可能性として残るのは、野岩線内のリバティとAMEを除いた5往復の普通列車運用(1往復は鬼怒川温泉乗り入れ)ですが、この3月のダイヤ見直しで、少なくとも東武鉄道と会津鉄道からは6050系の撤退がほぼ決定的な事案となってしまいました。

うあー、早い。いつかこんな日が来るかと思ってたけど、予想以上に早い別れが目の前に突き付けられた。東武の上層部で計画はあったんだろうけど、コロナによってそれが加速度的に進んでしまったという事なのか。僅かに線内運用のために野岩鉄道持ちの3編成(61101~61103Fの3本)は残るかもしれないが、あと2ヶ月かよ・・・という事で、今回は6050系の事実上の引退を絡めて会津行きを決めたというのもある。「引退が決まってから慌てて動く葬式鉄は、冬のカットしか残せない」というのはけだし名言ではありますが、それでも「自分の好きなもの」をワンカットでも残したいってのは人情でございます。南無三宝の思いで、赤幕の区間急行を見送る夜明け前の新高徳なのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全部雪のせいだ。

2022年01月10日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(雪を纏いて聳え立つ@会津・鶴ヶ城)

広島行きはキャンセルしたものの、何ともモヤモヤ感が残ったままの三連休。年末に新調したスタッドレスの試走がしたかったこともあり、連休の中日は0泊2日で会津まで息子とドライブして来ました。安芸の宮島から雪の会津へ。何という変わり身の早さかと自分でも笑ってしまうのだけど、息子が楽しみにしてた広島行きを取り上げられて結構ガッカリしてたんで、何がしかの代案を出したかった、ってのはあったんだよなあ。新幹線ではなくクルマなのでソーシャルディスタンスは確保されるし、基本的にマスクを付けて、黙撮・黙食・黙観・黙浴の黙尽くし。くれぐれも人混みには近付かず、食事も食べたら長居は無用・・・という道中。まあそもそも冬の会津、そこまで人が居なかった。雪降ってたし、寒いですしね。それにしても雪を纏った鶴ヶ城の美しい事。これには連れて行った城好きの息子も納得の立ち姿である。

会津へは、下今市から会津西街道(国道121号線)を延々と北上するルート。都内を抜けるのに外環と首都高を使ったくらいで、往復800kmは基本的にはまったり下道で。鬼怒川を超えた辺りからの雪景色、路面状況は乾雪路から圧雪路まで様々。野岩線や会津鉄道の時間を見ながら、撮れるタイミングではカメラを向けたりとノープランの旅路。あ、そうそう、肝心のスタッドレスですけどね、正直なところ導入したのはヨコハマの特価品だったんで、会津若松の市街地の圧雪路面みたいなシビアコンディションではやはり値段なりの性能で辛かった。日中に表面が溶け出すスケートリンクな路面だから、何履いていても滑るっちゃ滑るのだけど・・・前の車が急にロードサイドのドラックストアに入ろうとブレーキを踏んだのに反応してギュッと踏んだら、ズルズルズルっと行ってしまい肝を冷やす場面もありましたしね・・・。結論から言えば、雪道は車間距離を開ける、フットブレーキよりEB優先、発進は踏み込まずクリープで、という基本原則を再認識した形となりました。スタッドレスは魔法の杖ではないんですよ。当たり前の事ですが。

たった一日で、一冬分の雪を摂取して来たような気分になった雪の会津路。立ち寄った会津鉄道・芦ノ牧温泉駅。降りしきる雪を衝き、南会津の街道筋を結んで走る気動車の姿。色々あったが、やっぱり雪はいいですよね。雪と戯れた後に食べるアツアツの会津ラーメンとソースカツ丼、食後は温泉で親子ともども大満足。全てを雪のせいにして、ガス代+食事代+湯銭にて、広島の仇を会津で討つ形になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物憂げな三連休

2022年01月08日 10時00分00秒 | 長野電鉄

(凍てつく夜@平成23年・信濃竹原駅)

正月明けの三連休。実は、子供と広島に行く予定でした。年末までに、新幹線もホテルも全部予約済みだったんですが、その広島で正月明けから新しい変異株が大規模に拡大しているという情報。家族と話し合った結果、子供連れでなかなかそこまでのリスクは取れないという判断で泣く泣くキャンセルとなってしまいました。たいしたキャンセル代はかからなかった不幸中の幸いだったのだけど、楽しみを消された親子の心の傷の方がどちらかというと大きい年明け。思えば、年末年始から感染拡大で出鼻がくじかれるというのは去年と同じ負けパターンで、日本人日本政府学習してねえなあ的な感もある。結局海外の流行が年末年始の邦人帰国ラッシュで持ち込まれ、そして今回は米軍絡みが完全に抜け穴でしたね。これで日米同盟を云々するほど青臭さはないが、岩国とか沖縄が真っ先に感染爆発している事からもそれは明らかなんで、何らかの強い措置が為されることを望みます(神奈川県も米軍施設が多いのでね)。

という訳で、暫くは過去の写真をHDDから掘り出す作業が続きそう。新年1月と言えば、長野電鉄では例年1000系ゆけむりが検査入りする時期で、その時だけ代走でかつての特急車両であった2000系が終日の特急運用に戻って来るというイベントがあったんですよ。って事で1月の厳寒期に信州を訪れた際、屋根からツララの下がる夜、信濃竹原でD編成を撮影したひとコマ。確か残ってたA・D編成のうち、NEXの導入によって茶色のA編成が3月で引退すると聞いて、最後のイベントでも撮りに行くか!なんて思っていたんだよね。そんなさなかに東日本大震災が発生して、それどころではなくなってしまったのを覚えているのだけど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする