青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

秩父現役最古参。

2022年11月17日 17時00分00秒 | 秩父鉄道

(秩父を走って二十余年@波久礼駅)

平成初期に自社発注車であった300系・500系などが引退して以降、国鉄101系を譲り受けた1000系が主力を占めて来た秩父鉄道の車両たち。近年になってご多分に漏れず東急からの譲渡車が多数を占めるようになった中、現役で最古参となったのが都営三田線から譲渡された5000形。三田線からやって来たのが平成11年だから、もう秩父で走って20年以上になります。三田線なんか後継の6300形に既に置き換えの車両が出始めているので、時は流れましたよね。

5000形の緑のモケット。ふかふかの抹茶カステラのようなこのモケットに体を預け、暖かな車内で揺れに身を委ねていると、ついウトウトと眠くなってくる。秩父鉄道に譲渡された編成の製造自体は昭和47年(1972年)だということだから、今年で製造50年ということか。それなりに年季を重ね、その風合いも秩父路の四季に馴染み。

幾多の乗客の靴跡、足跡を刻んで。東京都心の官庁街を走っていた車両が、山と盆地とからっ風の中を走ります。床に写る午後の陽だまりに。指ハサミ表示のステッカーとか、最近はあまり見なくなりましたけど、これも都内を走っていた頃のモノか。

最近は、このような地味ながらも味わい深い車両に強く惹かれる。ちなみに都営三田線は、建設当初には高島平から先の大和町(現:和光市)までを東武鉄道が「高島平線」として建設し、東武東上線と相互乗り入れをする計画があった事はマニアには知られている事でしょうか。何でわざわざ東武が高島平まで支線を作るのかというのは、やっぱり都営地下鉄だから県境を越えて和光市の方までは伸ばせなかったって事なのかね。まあそんな事言っても今の都営新宿線は千葉県の本八幡まで繋がってますけども・・・閑話休題。東武高島平線計画は、東上線池袋口の朝の混雑緩和を目的に始まったものらしいのですが、さすがに東武側の「新線まで作って和光市~池袋間の客を他社に流すってのは収益的にどうなのよ?」というのと、高島平回りになる事で都心へのアクセスがかえって遠回りになり、思ったほどの乗客の遷移効果もなさそうという理由で立ち消えになりまして、結局現在の東京メトロ有楽町線との相互乗り入れに落ち着くこととなったそうな。

幻に終わった東武東上線への延伸計画ですが、往時の主力車両であった都営6000形は、秩父鉄道への譲渡という形で図らずも東武東上線の終着駅である寄居に辿り着いたことになります。もし、高島平線計画が機能していれば、高島平から東上線に乗り入れ、寄居から長瀞方面に向かう観光急行みたいなのも運転されていたかもしれませんね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

副本線はかく語りき。

2022年11月15日 17時00分00秒 | 秩父鉄道

(副本線に憩う@波久礼駅)

影森~武川~三ヶ尻間を走る秩父鉄道の鉱石列車。普通の旅客列車やパレオエクスプレス、そして貨物列車同士の行き違いなどで、道中で割と長い停車時間を持ちながら走っています。波久礼駅の副本線で、上下列車の交換を待つ7304レ。秩父鉄道のスジ屋さんって、単線で旅客と貨物を上手にバランスよく退避/交換させてスジを引かなきゃいけないのは結構大変なんじゃないかなあって思ったり。まあ、昔なんて今と比べ物にならないくらい貨物の本数も多くて、それこそ影森と原谷だけじゃなく秩父に第二工場とかもあったし、寄居からの八高線への貨物継走とかねえ。旅客も寄居からの東武東上線乗り入れ、秋の行楽シーズンは熊谷からの国鉄線乗り入れと異常にバリエーションがありましたから、それに比べりゃ簡単な事なのかもしれませんが。

秩父鉄道の駅で貨物を撮影する際は、この波久礼駅のような長い副本線のある駅を狙う事が多い。ホームの外側を通るのでアングルが組みやすいし、貨物列車の長時間退避(いわゆる「バカ停」)がある場合は、お気に入りのカマが入った時はバカ停の駅ならゆっくりと撮影する事も出来ます。徒歩の駅間撮影なんかでも、続行電に乗ればバカ停で抜き返す事も出来るので追っ掛けだって可能。そういう意味では、一発勝負のJRの貨物列車なんかと比べると、ポイントを押さえておけばシャッターチャンスを増やす事も出来るのが秩父貨物の良さじゃないかなと。秩父の貨物は三ヶ尻~影森を2時間~2時間半くらいかけて走るのですが、バカ停ポイントは波久礼・野上・長瀞・和銅黒谷あたりだろうか。親鼻とか樋口もあるね。ここらへんはネットに転がってる時刻表を探していただければ(笑)。

寄居で7304レと交換して来た7105レ。波久礼は関東平野の縁というか、秩父盆地と関東平野を分かつ隘路のとば口にある駅で、平野を渡るからっ風を受けて来た秩父鉄道のレールも、ここからは山の気配が色濃くなる。小さな木造駅の雰囲気も素敵だし、駅の隣にある豚丼のお店「たてがみ」は美味しいし、いい駅なんだよな。波久礼。秩父鉄道に初めて来た時からの、お気に入りの駅です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

増発ダイヤに沸く秩父。

2022年11月13日 10時00分00秒 | 秩父鉄道

(秩父鉄道のヤル気@寄居駅)

「ショッピングもおでかけも 秩父鉄道で行こう!」という力強い横断幕が掛かる寄居駅。この秋、沿線のふかや花園駅前に「ふかや花園プレミアム・アウトレット」という大型商業施設がオープンしまして、秩父鉄道も多客対応のためのダイヤ改正を行いました。具体的には、熊谷~寄居間を中心に折り返し列車を設定して増発の実施を行い、土日は同区間の日中に臨時電車を走らせるなど、アウトレットへのアクセスルートとして鉄道も一枚噛んでやろうという意気込みに満ち満ちたダイヤ改正。

ここんとこ、どこの鉄道会社も「コロナ禍での生活態様の変化」みたいなお題目で減量ダイヤしか提示してこなかったので、今回の秩父鉄道のダイヤ改正には久々に胸のすく思いが致しますね。4番線に入る寄居折り返しの7500系。この日は、アウトレットモールがオープンして最初の週末だったので、寄居駅から電車でふかや花園へ向かう乗客の姿も目立ちました。

寄居折り返しの列車が4番線に入っているので、通常は長瀞・三峰口方面行きが発着する3番線に入線する5000系の熊谷行き。こっち側のホームに熊谷行きとか来ないのでちょっと違和感。寄居の駅も、駅構内こそ広いものの駅南口にあったライフ(スーパーマーケット)は閉店後建物が長い間そのまんまで、商圏としての勢いがない。潰れたスーパーの跡地とかさっさと更地にしちゃって、駐車場作ってそれこそアウトレットモールへのパークアンドライドとかやったらええんやと思わずにいられない。

駅の周りは寂しくとも、寄居は東武・秩父・八高の三線が交わる交通の要衝。かつては秩父の山から産み出された大量のセメント貨物がここで八高線に引き継がれ、関東甲信越の各方面へ出荷されていました。今でも残る貨物の出発線と広いヤード。高麗川の駅の一番南側を固める東武東上線、セイジクリームに塗られた81111Fが、駅員氏の合図でゆっくりと出発して行きました。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の小商い。

2022年11月12日 11時00分00秒 | JR

(首都圏では貴重なキハ@八高線・小川町駅)

9月に秋の富山に行った後、週末は小商い・・・というか盛大な遠征はせず、関東一円を鉄道でウロウロしておりました。週末ごとの「関東甲信越小さな旅」って感じだったのですが、それもこれも子供の部活への送り迎えとかで週末にクルマを拘束されてしまう事が多くなってる事にもよります。家族の変化が趣味にも変化を及ぼすことってありますけど、まあそこらへんは上手に折り合いを付けてという感じ。ガソリンも相変わらず高いので、ここんところはJR東日本の「休日おでかけパス」を使う事が多い。南関東と北関東の半分くらいが乗り放題で2,720円。熱海じゃなくて小田原、高崎じゃなくて神保原、微妙に元を取るのが難しかったりするフリーきっぷ。ぶらっと久し振りに八高線に乗ったり。高麗川から先に乗るのって久し振り。キハ110のカミンズエンジンのサウンドに酔いしれる。

八高線、高麗川以北は本数が少ないが、それが小川町から先はさらに本数が少なくなる。予定もろくに立ててない乗り鉄旅だったので、小川町で一時間の足止め。寄居に行くなら東武東上線という手もあるのだが、それではフリーきっぷを買っている意味がなくなってしまうので我慢。エキチカをブラブラしていると、結構流行ってそうな武蔵野うどんの店があったので早目の昼食。「武州めん」さんで注文した大盛り肉汁うどん、掘っても掘っても強烈なコシのうどんが出て来るし、甘めで醤油のパンチが効いたツユは掘っても掘っても豚バラ肉が出て来るしで完全ノックアウト。付け合わせのきんぴらとホウレンソウのアクセントも良く、美味かった。ごちそうさまでした。

武蔵野うどんで満ち満ちた腹をさすりながらそぞろ歩く小川町の街風景。鍵字に曲がる川越街道に沿ってレトロな家並みが続く。街道沿いのうなぎ屋や割烹料理屋。いずれはゆっくりと鰻でも食べてみたい。「川魚屋や割烹旅館のある街はいい街」という個人的な街のリトマス試験紙というのがあるんだよな。看板の「忠七めし」は「日本五大名飯」にも選ばれた由緒ある料理らしいのだが、米に揉み海苔を掛けて出汁を注いで食べるお茶漬けのようなものらしく・・・レシピだけ聞くとそれってそこまで有名になるようなものなのだろうか?(笑)という感じがするのだが、食べた事のある方はご感想を。

夏が過ぎ、彼岸花が終わり、稲刈りは終わったものの、紅葉が始まっていないという中途半端な季節。鉄路の周りを彩るのはブタクサの黄色であるな。小川町ってキハの来る駅でローカルなイメージだけど、一応東上線で池袋まで一本で行けるからそれこそ団塊世代が持ち家を求めた平成初期まではギリギリで東京の通勤圏内として許される範囲だったのだろうな。八高線の築堤の向こうに見える巨大マンション・ダイアパレス小川はまさにそんな物件。平成元年築、現在の中古価格は800万円くらいのようです。平日朝は東上線の小川町→池袋が1時間20分くらいだから、小田急で同条件だと秦野から新宿までの通勤時間。ウーン、ギリギリ・・・と言えなくもないけど、流石に現在の不動産相場で、東京に通う人はもう少し近い場所に住むと思います(笑)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

持続する 可能性がなきゃ ダメですか。

2022年11月08日 22時00分00秒 | 富山地方鉄道

(秋の夜風に吹かれて@経田駅)

地鉄の駅舎、どこでバルブしようかと考えて、あまり夜に撮影した事のない経田の駅に来てみました。黒部鉄道が線路を伸ばしていた、元石田港駅を移築した現駅舎。富山の鉄道の歴史を紡ぐ静かな語り部とも言える端正な駅舎は、夜の帳の中で静かに来る人を待っています。

地鉄の古い駅舎の雰囲気は、大きな全線の時刻表とその他雑多な掲示物、そしてかつての出札口が板で打ち付けられて塞がれているところが共通しているように思う。今や有人駅が数えるほどとなってしまった地鉄の各駅。設備だけが大事に残されている事がせめてもの救いか。出札口脇に残る「定期券拝見」の青札。この駅がいつから無人化されたのかは定かではないが、勿論、拝見する駅員氏がいた時代のものだろう。

秋の夜、糸を引くように滑り込んで来た60形電鉄富山行き。こんな夜更けに珍しく、近くのお家でパーティーでもあったのだろうか、陽気な酔客のご婦人が二人電車に乗って行った。自分で運転出来ないシチュエーションでもない限り、電車など乗らないのが地方の暮らしという現実は、ご婦人二人が電車が着いて前のドアしか開かない事に慌てていたのを見れば分かる。持続可能性という言葉がもてはやされる時代、それは裏返せば持続可能性の見込めないものは淘汰しますって事ですが、地方私鉄にどこまでの持続可能性があるのやら。一個人としてはそこの可能性を僅かでも増やしたく、線路の脇をのたくるのみなんでありますが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする