tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

売れてます!『奈良にうまいものあり!』/奈良新聞「明風清音」第103回

2024年05月22日 | 明風清音(奈良新聞)
毎月1~2回、奈良新聞「明風清音」欄に寄稿している。先週(2024.5.16)掲載されたのは〈奈良の「食」を一冊に〉、『奈良にうまいものあり!――伝えたい郷土の味100話――』(なららbooks)の紹介である。

おかげさまでこの本は、よく売れているそうで、協力した私としても、とてもうれしく思っている。これまで、こんなにまとまって「奈良の食」を紹介した本はなかったので、そこが歓迎されたのだろう。では、全文を紹介する。



奈良の「食」を一冊に
今年4月、NPO法人「奈良の食文化研究会」は、『奈良にうまいものあり!――伝えたい郷土の味100話――』(なら文化交流機構刊 本体1,500円)を出版した。

同会は1999(平成11)年6月から会員が交代で月1回、本紙に「出会い大和の味」を連載し、はや四半世紀が過ぎた(現在の連載タイトルは「新 大和の食模様」)。



これら過去の連載記事を取捨選択して大きく手を入れ、また新たな書き下ろしを加え、「奈良のうまいもの」の全貌を紹介しているのが本書だ。私も少しお手伝いさせていただいた。以下、内容をかいつまんで紹介する。

▼奈良の食文化研究会とは
本書の帯には〈もう「奈良にうまいものなし」とは言わせない! 奈良の食文化の魅力をたっぷりと紹介〉とあり、並々ならぬ意気込みが感じられる。



同会は1996(平成8)年5月、伝統的な郷土料理などを発掘して、「奈良にうまいものなし」という誤解を払拭することを目的として設立された。

「食」に興味のある人、こだわりのある人、奈良を愛する人が結集。2019(平成31)年2月には、本紙など全国の地方紙と共同通信が主催する「第9回地域再生大賞」で優秀賞を受賞した。



▼奈良の「食情報」を網羅
本書は郷土料理、菓子、食材、加工品、飲料、社寺の食事の6章から成る。文章は簡潔平明で、写真も多く掲載されている。

巻頭グラビアでは、主要な「奈良のうまいもの」がカラー写真で紹介され、巻末には「食のお役立ち情報」として、道の駅や奈良の食を扱うアンテナショップなどが掲載されている。奈良の食情報が網羅された一冊だ。



▼悠久の歴史の中に息づく
奈良は「日本の食文化発祥の地」と言われる。飛鳥・奈良時代に大陸から伝わった食文化に加え、平安遷都後は、主に社寺がその文化を継承・発展させてきた。

渡来した小麦粉製品である索餅(さくべい=麦縄)は、わが国初の粉もんとして、奈良県産手延べそうめんに受け継がれている。県特産の吉野本葛は、今も和菓子や日本料理に欠かせない食材であると同時に、葛根は薬にもなる。



▼はじまりはいつも奈良
本書には奈良県が発祥地とされる食べ物がたくさん紹介されている。牛乳・乳製品、醤(ひしお=しょうゆのルーツ)、豆腐、茶粥・茶飯、柿の葉すし、奈良漬、うどん、清酒、まんじゅうなど数多く、まさに「はじまりはいつも奈良」だ。

また、奈良の地名を冠した食べ物も、たくさん登場する。大和橘(たちばな)、御所柿(ごしょがき)、大和スイカ、大和茶、三輪そうめん、飛鳥鍋、三笠(=まんじゅう)など。



▼コラム6本を書き下ろし
各章に付されたコラムも、充実している。〈谷崎潤一郎の「吉野愛」〉(第1章)では、短編小説『吉野葛』のずくし(熟柿)や、随筆『陰翳(いんえい)礼賛』のサケの柿の葉すしが紹介されている。

〈鮭の脂と塩気とがいい塩梅に飯に滲(し)み込んで、鮭は却(かえ)って生身のように柔らかくなっている具合が何とも云(い)えない〉。

〈かしわのすき焼き〉(第3章)では、牛肉のすき焼き、豚肉のすき焼きに対し、奈良県下では昔から、かしわ(鶏肉)のすき焼きが食べられてきたことを紹介している。

〈精進料理から生まれた「おかず」〉(第6章)では、日常的に食べられているおかず(お惣菜)は、中世に中国から伝わった精進料理(宋の僧院風料理)にそのルーツがあるとする。「味のついただしで煮込む」という画期的な調理技術は、精進料理によって日本にもたらされ、定着したのだそうだ。

「奈良の食」の魅力を凝縮したこの一冊、ぜひお買い求めください。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箸墓は卑弥呼の墓、邪馬台は「ヤマト」と読む/奈良新聞「明風清音」第102回

2024年05月03日 | 明風清音(奈良新聞)
毎月1~2回、奈良新聞「明風清音」欄に寄稿している。先月(2024.4.18)掲載されたのは、「箸墓は卑弥呼の墓か」。世間ではますます「邪馬台国=纒向説」に支持が集まっているので、気持ちとしては「箸墓は、やはり卑弥呼の墓だった」である。

考古学の重鎮が支持してくれているし、全く別の観点から「邪馬台はヤマトと発音する」という研究者も出て来ている。これは誠に愉快な展開である。では、以下に全文を紹介する。

箸墓は卑弥呼の墓か
最近になって、邪馬台国に関するいろんな論考を目にする。一つは春成秀爾氏の「箸墓古墳築造の意義」(雄山閣刊『何が歴史を動かしたのか 第3巻古墳・モニュメントと歴史考古学』所収)、もう一つは桃崎有一郎氏の「画期的新説 邪馬台はヤマトである」(『月刊文藝春秋』2024年3月号所収)である。いずれも邪馬台国纒向(まきむく)説(畿内説)に立つ。以下、これらの論点を紹介する。

▼箸墓は卑弥呼生前から築造
春成秀爾氏は国立歴史民俗博物館名誉教授で、考古学の重鎮だ。「真の考古学は実証の上に立つ推理の学であるべき」と主張する。
炭素14年代の測定結果によると、箸墓古墳の築造開始は226~250年にさかのぼる可能性がある。氏は箸墓は寿墓(寿陵)で、卑弥呼の生前から約10年かけて4段目までが築造され、247年の卑弥呼の没後、後円部の5段目が築かれ、そこに卑弥呼が埋葬されたと推理する。
 
5段目からは吉備(岡山)由来の宮山系特殊器台や都月系円筒埴輪(はにわ)が出土しており、被葬者の卑弥呼は、吉備につながる人物ではないかと推測。吉備から〈「倭国乱」後に大和に来た推定10歳前後の幼い姉弟が国を治めることはできない。おそらく彼らの父も同行して後見役を務め、その父が亡くなった後、男弟が卑弥呼を補佐することになったのであろう〉。

▼「鬼道」は龍女の祖先祭祀
吉備では人頭龍身文様のある土器が出土するし、女性の顔の表現をもつ弧帯石も出る。〈弧帯石は、備中の先祖が龍と女が交わって生まれた龍女であることを象徴的に表現した「神体」であって(中略)龍女の系譜は卑弥呼に引き継がれた〉。

『魏志』倭人伝には、卑弥呼は鬼道を用いて人々を治めたとある。〈「鬼道」の内容は龍女の祖先祭祀であって、祭祀において龍女を演じることによって自らが王であることの正当性を証明しつづけ王権の安定を図っていた、と私は推定する〉。〈箸墓古墳の形態は、吉備の龍のイメージを高度に抽象化して立体化したもので、その起源は円筒埴輪と同様に吉備に求められるのではないだろうか〉。

▼邪馬台は「ヤマト」と読む
次に、歴史学者・桃崎有一郎氏の説を紹介する。『魏志』倭人伝が書かれた3世紀、中国では「邪馬台(臺)」は「ヤマドゥ(ヤマダ)」のように発音されていたという、つまり「ヤマト」である。〈後代の地名で「邪馬台」と完全に発音が一致するのは、日本全体や奈良地方を指す「ヤマト」しかない。ならば、「邪馬台」という地名の場所は、その「ヤマト」との関係から探る以外にない〉。

古代中国には、〈統一王朝を樹立する直前に領していた諸侯国の国名を、統一王朝の国号にする〉という国号ルールがあった。諸侯国の「秦国」が中国を統一すると、統一王朝の国号は「秦」となり、諸侯国の「漢国」が統一すると国号は「漢」となる。

卑弥呼の時代には、中国の諸侯国のように、邪馬台(ヤマト)国、奴(な)国、伊都国など数十の国があった。統一王朝ができると、国号が卑弥呼の出身国「邪馬台(ヤマト)」となり、それが「倭(ヤマト)」と表記されるようになった。つまり中国式の「諸侯国から統一王朝へ」というルールにあてはめられたのである。

▼邪馬台=倭=纒向地域
 しかも狭義の「ヤマト」(大和郷)は、三輪山の北東の巻向(まきむく)山やその山麓の旧纒向村(桜井市北部)である。 〈すると、最近の考古学が、その纒向地域にある纒向遺跡とその付近の箸墓古墳を、それぞれ邪馬台国の故地と卑弥呼の墓の最も有望な故地だろうと推測していることは、改めて重大な意味を持つことになる〉。

うーむ、これは奈良県民には愉快な展開になってきたぞ。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60歳代からの「見た目の壁」を乗り越えよう!

2024年03月26日 | 明風清音(奈良新聞)
昨年(2023年10月8日)、谷村新司さんがお亡くなりになった。そのあと各チャンネルが追悼番組を放送していたので、よく見ていた。谷村さんは私より5歳上(1948年=昭和23年生まれ)なのだが、ずいぶん老けて見えた、こんなおじいさんだったのか…。

それが歴然としたのが、加山雄三さん(1937年=昭和12年生まれ)と共演していた番組だった。11歳上の加山さんの方が、よほど若く見えた。肌の色艶とか声の張りとか…。

そのあと、書店で見つけたのが和田秀樹著『60代からの見た目の壁』だった。帯には〈人は中身よりまず「外見」〉〈60代からは「見た目が10割」〉〈60代以降で一気に広がる見た目格差を埋めて 10歳若く見える方法〉。

「うーん。シニア世代には、外見って大事なのだな」と思って本書を買い、一気に読んだ。その内容を紹介したのが、奈良新聞「明風清音」(2024.3.21 付)〈シニアは見た目が10割〉だ。以下、全文を紹介する。

シニアは見た目が10割
私は満70歳だが、周囲を見回すと、どうやら人は60歳代から外見が大きく変化するようだ。何となくそのように感じているとき、和田秀樹著『60代からの見た目の壁』(エクスナレッジ刊)を読んだ。かつて『人は見た目が9割』(新潮新書)というベストセラーがあったが、本書によれば、60歳代以上は見た目が「10割」なのだそうだ。

版元の紹介文には、〈見た目は寿命の長さにも影響する/粗食は見た目年齢を上げ、健康も損なう/65歳過ぎたら「健康至上主義」と決別せよ/知性こそ見た目を引き立てる妙薬〉〈どうせあと数十年しか生きられないのだから、おしゃれして、お化粧して、人生をいっぱい楽しまないと損!その意欲こそが、見た目年齢の壁を打ち破る秘訣なのです〉。本書の要点を、以下に紹介する。

▼男性は「スーツ」で若見え
見た目を若くするには、おしゃれをすることが大切だそうだ。退職して〈スーツをやめて、外出するときも、ポロシャツとかセーターを着て歩くようになると、人から見られているという緊張感がなくなるのか、表情もだらしなくなり、老け込んで見える男性が多いように思います。年をとって一番老けて見えないかっこうは、男性なら断然スーツだと私は考えています〉。

▼「ファッション」にお金を
〈男性の場合、若い頃はどんなに汚いかっこうをしていても、モテるやつはモテるものです。ボロボロのジーンズをはいていても、かっこいいやつはかっこいい。だけど、年をとるとそうはいかなくなるのです。逆に、それなりの年齢になったと自覚できれば、ファッションをはじめ、外から補っていくようにしないと、見た目のかっこよさは維持できません。だから、人は年をとるとよいものを持とうとするのです〉。

▼見た目が若返る食べもの
「高齢者は粗食にしたほうが健康に良い」という俗説があるが、これは間違いで、見た目年齢が老けている人は、たんぱく質が足りていないのだそうだ。

〈粗食とは、朝はごはんにみそ汁、納豆、漬けもの。昼はそばかうどん、夏ならそうめん。夜は焼き魚と野菜の煮物、冬なら鍋もの、といったイメージです。(中略)今例にあげたメニューは、たんぱく質が圧倒的に不足しています〉。

本書では〈肉を食べないと身長が伸びない〉〈肉を食べないとがんのリスクが上がる〉〈たんぱく質が足りないとシワが増える〉などと指摘されている。

▼「知性」は顔ににじみ出る
〈見た目が若く見える要素の1つに、私は「知性」があると思っています。知性は顔ににじみ出ると言いますが、知性のある顔つきは、若く見えるというよりも、見た目を引き立てる大事な要素といったほうがいいかも知れません。ではどういう会話をする人が知的に見えるのかというと、「人生経験が長いからこそ知っていること」を話せるかどうかということになるでしょう〉。

▼意欲が見た目をよくする
〈一番大事なことは、「若くありたい」という意欲を捨てないこと。(中略)意欲をつかさどる脳の前頭葉は、40代くらいから少しずつ萎縮していきます。意欲は外見にもっとも影響を与えるので、意欲を失わないような生活を心がける必要があるというわけです。そして、前頭葉の老化を防いで、意欲が低下しないようにするには、見た目をよくすることが大事です。

(中略)見た目というと、つい若くしないといけないように思ってしまいますが、60歳を過ぎたら、自己演出が必要だということ。自分をどんなふうに見せたら一番かっこよく見えるのか、そういう演出をしたほうがよいということです〉。

「見た目が10割」と言われると自信をなくすが、要は「いつも見られている」ということを意識せよ、ということなのだ。それなら、実行できそうだ。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレビドラマで回顧する「平成」という時代/奈良新聞「明風清音」第100回

2024年03月05日 | 明風清音(奈良新聞)
奈良新聞「明風清音」欄に、毎月1~2回、寄稿している。前回(2024.2.29付)寄稿したのは、〈「平成」をドラマで回顧〉だった。私は自分でも驚くほど、テレビドラマをよく見る。世相がよく反映されているので、見ていて楽しいのだ。

今なら『不適切にもほどがある!』(TBS系)は、傑作だと感心しながら見ている。NHKの朝ドラ『ブギウギ』も、出色のできばえである。平成の時代は、どんなテレビドラマがあったのか、以下に紹介する。

「平成」をドラマで回顧
私はめったに映画館には足を運ばないが、テレビドラマはよく視聴する。多忙だった現役のサラリーマン時代にも、話題のドラマはビデオに録画して、欠かさず見ていた。

影山貴彦著『テレビドラマでわかる平成社会風俗史』(実業之日本社刊)の「はじめに」を読んで、膝を打った。そこには〈テレビドラマは時代を映す鏡だ。旬のキャスト、当時の世相、流行のファッションや流行の言葉、そして時には社会を揺るがせた事件なども盛り込まれている〉。

本書に登場するドラマ名を見ていて、これは平成の社会史であり自分史でもあるな、と思った。何しろ70年の人生の約半分は平成の時代だったのだ。本書への登場順に、印象に残ったドラマを紹介する。

▼トレンディドラマの盛衰
バブル経済は昭和61(1986)年に始まり、平成3(1991)年に終わった。平成は、その真っ最中にスタートした。トレンディドラマの元祖とされる『男女7人夏物語』(TBS系)は、昭和61年に始まった。〈バブル景気が花開き始めた頃のトレンドを散りばめ、群像劇の新たな可能性を提示した〉。

バブル終息の平成3年のドラマが『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)だ。〈毎週月曜の21時には、このドラマを観たいがために街から人が消える、ともいわれるほどの大ヒットとなった。(中略)しかし、派手なブランド品は出ないし、ハッピーエンドとは受け取れないエンディングだった。原作で描かれたストーリーに準じているとはいえ、バブル全盛期なら、ここまでウェットにならなかったと推測できる〉。

▼「昭和回顧」でヒット
昭和の価値観を持ち込んでヒットしたドラマがある。平成27(2015)年の『下町ロケット』(TBS系)だ。〈時代設定こそ平成だが、人とのかかわり、仕事の仕方、信じる者は報われるなど、その価値観は明らかに昭和。これこそ平成後期のヒットドラマのキーワードの一つだ〉。

▼『半沢直樹』は時代劇か
平成の民放連続ドラマで、42・2%という最高視聴率を記録したのが平成25(2013)年の『半沢直樹』(TBS系)だ。〈もちろん『半沢直樹』は現代劇だが、ストーリーの構成は『水戸黄門』と『必殺仕事人』を受け継いだ時代劇だと私は思っている。主人公が銀行でのし上がっていく姿を描いているが、その骨子は「仇討ち」〉。

本書には登場しないが、平成26(2014)年の『三匹のおっさん』(テレビ東京系)も、勧善懲悪をコンセプトにした時代劇だったと言える。

▼職業ドラマにスポット
一般的にあまりなじみのない職業や、一見地味に見える仕事にもスポットが当たった。平成13(2001)年の『HERO』(フジテレビ系)は〈容疑者が逮捕されたあと、検察官が起訴しないと裁判にまで至らないが、その検察官の職務が実際どのようなものなのかを、木村拓哉演じる久利生(くりう)公平の破天荒な個性を活かし、仕事の内容を見せることに成功している。

(中略)平成28年に放送された『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』(日本テレビ系)では、大手出版社を舞台に、作家や編集者ではなく、本作りには欠かせない校閲部という裏方の仕事を表に引っ張り出し、興味深い内容で描写した〉。

▼老人ホームの印象変えた
平成29(2017)年の昼帯ドラマ『やすらぎの郷(さと)』(テレビ朝日系)は、「大人が観るドラマが少ない」と倉本聰が企画・脚本、主演は石坂浩二だった。〈多くのシニアに、老人ホームのネガティブなイメージを希望に変えた〉。

ドラマは世に連れ、世はドラマに連れ。これからも、テレビドラマを追っかけます!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年齢による違いが消えた!「消齢化(しょうれいか)」社会の到来/奈良新聞「明風清音」第99回

2024年02月24日 | 明風清音(奈良新聞)
毎月1~2回、奈良新聞「明風清音」欄に寄稿している。早くも、次回で100本目となる。先週(2024.2.15)掲載されたのは〈「消齢化」社会の到来〉、博報堂生活総合研究所の『消齢化社会』(集英社インターナショナル刊)を紹介した。
※トップ写真は、フリー素材サイト「ぱくたそ」から拝借した

年齢による違いがなくなり、いわば「年齢別マーケティング」の通用しない時代になった、という話で、私は大いに興味をそそられた。以下に全文を紹介する。

「消齢化」社会の到来
興味深い本を読んだ。博報堂生活総合研究所著『消齢化(しょうれいか)社会~年齢による違いが消えていく!生き方、社会、ビジネスの未来予測~』(集英社インターナショナル刊)だ。

同研究所は〈博報堂が「生活者発想」を具現化するために、1981年に設立されました。人間を、単なる消費者としてではなく「生活する主体」という意味で捉え、その意識と行動を研究しています〉(同研究所の公式サイト)。

本書によると、生活者の意識や好み、価値観などについて、年齢による違いが小さくなっているのだそうだ。例えば「ハンバーグが好き」「木の床が好き」「超能力を信じる」などの設問の回答に、年代(20~60歳代)による差は小さく、しかも年々、その差が縮まっているという。

本書カバーの帯に「下の5人の年齢、分かりますか?」として5人の男性の服装の写真(顔なし)が紹介されていたが、私には全く区別がつかなかった。

私にも、こんな経験がある。私は満70歳で、長男は40歳。ある時、墓参りで久々に顔を合わせたところ、どちらもユニクロのスウェットパーカーにデニムのジーンズ姿だった。

消齢化は「家庭生活よりも仕事を第一に考える方だ」「夫婦はどんなことがあっても離婚しない方がよいと思う」というような人生観・価値観にも及んでいるという。

私の父は大正生まれだった。先の大戦では、訓練中に戦争が終わったので戦場には行っていないが、頭の構造は戦前のものだった。だから価値観も嗜好も、私とは全く違っていた。

私の4~6歳上の人たちは、団塊の世代だ。学生運動にのめり込んだ人も多いし、会社でも、なりふり構わずよく働いていた。だから体を壊した人も多い。これらの人たちとも、価値観の違いを感じていた。

しかし今の20~60歳代は、戦争も学生運動も経験していない。逆に「失われた30年」をともに経験していて、考え方に断絶がない。だからデモグラ(デモグラフィック=人口動態変数)が有効に働かない。言い換えると「年齢別マーケティングは通用しない」。そういえば、今の若者は昭和歌謡を好むと聞く。

では未来に向けて、どのように消齢化に向き合うか。本書の最終章に「発想転換のための8つのヒント」が示されている。私の言葉でその8つを説明すると、次のようになる。

1.少子化・高齢化を悲観的に見るのではなく「近い価値観を持つ大人たちがたくさんいる社会」と前向きにとらえる。
2.生活者の「年齢」という概念をなくし、いわば「年齢ニュートラル」な発想をする。
3.「高齢」の文字を「消齢」に置き換える。高齢化マーケティングではなく消齢化マーケティングと考え、発想に縛りをかけない。
4.「デモグラ」を疑い、年代を広く捉えて「同じ」を探す。

5.年齢の先入観にとらわれない。若者と高齢者を区別するのではなく、どちらも「消齢者」ととらえる。
6. 消齢化は「同質化」ではない。年齢以外の要素で意識や好みが多様化していることもあるので、それを見落とさない。
7.年齢による差がなくなっているが、それ以外にジェンダーレス化(いわば「消性化」)や、地域による違いがなくなる「消域化」しているものがないか、目配りを欠かさない。つまり次の「消〇化」を予測する。
8.年齢に代わる新たなモノサシを探す。所得レベルとか学歴、居住地、有職・無職など。

「高齢化社会」ではなく「消齢化社会」と考えると、何だか希望が湧いてくるから不思議だ。さて、今日もハンバーグを食べようか。
(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする