tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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お水取りの神名帳/1番が蔵王権現という理由がやっと分かった!

2017年03月09日 | 奈良にこだわる
写真集 南無観 東大寺お水取りの光陰
今駒清則
奈良新聞社

ちょうど今はお水取り(東大寺二月堂修二会)の期間中である。この期間中、練行衆(れんぎょうしゅう)によって「神名帳」(じんみょうちょう=東大寺修二会神名帳)が読み上げられ、法会の場に全国の神々をお招きする。

まず「例に依って大菩薩、大明神等、勧請し奉らん」と読み、「金峯大菩薩、八幡三所の大菩薩…」と大菩薩号を持つ神々が勧請される。この「金峯大菩薩」は、吉野山の蔵王権現のことである。吉野山の蔵王権現は、大和の国を代表するトップの神さまということなのか。

続く「八幡三所大菩薩」は東大寺の鎮守神で、手向山八幡宮(二月堂の南側にあり大仏建立時の守護神を祀る)にも鎮座する。東大寺の大仏造立とは深い関わりのある神さまなのである。すると、吉野山の蔵王権現は、手向山の八幡神よりも東大寺と「より深い」関わりがあるということになる。ほぼ境内地にある手向山の八幡神より、遠く離れた吉野山の金峯大菩薩が、なぜトップなのか?

これは私にとって、長年のナゾだった。金峯山寺蔵王堂で特別開帳された蔵王権現像を拝観して「うーむ、この迫力だからトップに選ばれたのだなぁ」と思ったこともあったが、このお像は桃山時代のもの。神名帳の読み上げは少なくとも12世紀前半には行われていたというから、時代が合わない。何か他に理由があるのではないか。

この長年の疑問が一挙に氷解する時が来た。快著・宮坂敏和著『吉野 その歴史と伝承』(名著出版)に載っていたのだ(「第1章古代吉野への魅力」の「第3節吉野水分の神と金峯の神」)。『東大寺要録』巻第2に出ていたという話だ。金峯山(吉野川河岸から山上ヶ岳までの一連の山並みの総称)はその名の通り、もともと「金脈が存在する山」とされていた。

大仏造立にはメッキのため、大量の金が必要だ。本書によると《聖武天皇が大仏鋳造のため金峯山に金を求めたところ、蔵王権現からここの金は弥勒出世のとき延べ敷くためのものだからと断られ、その代わり近江の国で祈願すべきことを教示され、やがて陸奥国から砂金算出の報があったと記されている》。この砂金によって大仏造立がスタートする。つまり、吉野山の蔵王権現(金峯大菩薩)のお告げがきっかけとなって、大仏を作れることになったのである。東大寺にとっては大恩人(神)というわけだ。それなら神名帳のトップに立つ資格は十分だ。

芋づる式に、吉野のことを調べていて東大寺のことが分かった。勝間和代なら「セレンディピティ」(偶察力)と呼ぶところか。それにしても、こんな偶然の発見があるから、読書はやめられない。 


コメント (6)
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