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コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

藤原仲麻呂を語る講演会(奈良ロータリークラブ主催)/県立図書情報館で4月2日(日)開催!(2017 Topic)

2017年03月19日 | お知らせ
こんな講演会がある。テーマは「天平のエリート官僚 藤原仲麻呂とは」。奈良県立図書情報館で14:00~16:30。講師は西山明彦(みょうげん 唐招提寺長老)さんと馬場基(はじめ 奈良文化財研究所 主任研究員)さん。入場は無料だが申し込みが必要である(定員150人・先着順)。

締め切りは明日(3/20)に迫っているが、まだ残席があるようだ。申し込みはこちらのチラシ兼申込書に記入してFAXを送るか、以下のアドレスにメールで申し込む(住所、氏名、年齢、連絡先電話番号、参加者数と参加者氏名を記入)。
oubo.nararc@gmail.com

藤原仲麻呂(恵美押勝)とは何者か。『日本大百科全書』に岸俊男がこんな説明文を書いておられる。

奈良時代の政治家。不比等の孫、武智麻呂(むちまろ)の次男。聡明にして学才があり、また算道に精通した。

内舎人(うどねり)、大学少允(しょうじょう)を経て、734年(天平6)ようやく従五位下となったが、父の急死を契機に急速に官位が昇進。民部卿、参議、兼近江守(おうみのかみ)、式部卿などを経て、749年(天平勝宝1)聖武天皇の孝謙天皇(阿倍内親王)への譲位とともに大納言。

また光明皇后の皇后宮職(しき)を拡充した紫微中台(しびちゅうだい)の長官となり、しだいに権勢を強化した。ついで聖武上皇が没し、その遺詔により立太子した道祖(ふなど)王が廃されるや、かねて亡男真従(まつぐ)の妻粟田諸姉(あわたのもろえ)を娶(めあわ)せて自邸田村第に住まわせていた大炊(おおい)王(父は舎人親王)を皇太子にたて、外戚となる。

これらに反対して橘奈良麻呂が反乱を起こそうとするが、未然に鎮圧。その功として恵美押勝と称し、功封3000戸、功田100町、鋳銭・挙稲の権限および恵美家印を許され、以後は独裁専制の道を歩み、正一位太師(太政大臣)に至る。しかし光明皇太后が死し、保良宮(ほらのみや)滞在中に淳仁=仲麻呂と孝謙=道鏡の対立が激化、やがて764年(天平宝字8)に藤原仲麻呂の乱を起こすが、ついに湖西に敗死する。

中国模倣が施策の特徴であるが、養老律令の施行、開基勝宝・太平元宝・万年通宝を新鋳、天皇漢風諡号(しごう)の撰進、武智麻呂伝の編纂などを行う。[岸 俊男]


仲麻呂の邸宅は「田村第(だい/てい)」「田村宮」と呼ばれ、推定場所は、こちらに出ている。ちょうど図書情報館のま北にあたる。

春爛漫の4月2日、佐保川の桜見物をかねて県立図書情報館に、ぜひ足をお運びください!

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