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コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

くがたち(盟神探湯)/明日香村・甘樫坐神社(毎日新聞「ディスカバー!奈良」第9回)

2017年03月10日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が毎週木曜日、毎日新聞奈良版に連載している「ディスカバー!奈良」、今週(3/9付)掲載されたのは「盟神探湯(くがたち)神事/明日香村の甘樫坐(あまかしにいます)神社」、執筆者は同会監事の露木基勝さんである。
※トップ写真は、宮司による神事(明日香村の甘樫坐神社)

ところで、この「盟神探湯」をご存じだろうか。『日本大百科全書』によると、

古代における証拠方法。釜の中に入れた泥を煮沸してその中に小石を置き、被疑者または訴訟当事者にこれを取り出させて、手がただれるかただれないかによって罪の有無や主張の真否を判断する方法。古代は神の支配する社会であるから、罪の有無、当事者の主張の真否を神に証言させようとしたのであり、神は有罪または偽証した者の手をただれさせると考えたのである。

おそらく日本で生まれた慣行であろう。律令(りつりょう)時代には行われなくなったが、法と宗教との密接な関係のふたたびみられる中世、ことに室町時代には、「湯起請(ゆぎしょう)」という名前で復活している。


「なんぼなんでも無茶やろ~」と思うが、これは一種の拷問だったのだ。「いい加減なことをいっていると、熱湯の中に手を入れさせられるぞ!」という戒めとして働いていたものだろう。この「盟神探湯」「湯起請」とよく似た「鉄火起請(てっかきしょう)」なるものが昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」の第12回に登場していた。風俗考証を担当した佐多芳彦氏によると、

鉄火起請というのは、簡単に言えば、争っている二者が神前で焼けた鉄を手でつかんで神意を問うもの。法制度が未熟だった時代の神事のひとつで、究極ともいえる争いの解決法です。焼けた鉄を使うのが鉄火起請、熱湯を使ったものは湯起請(ゆぎしょう)と言います。これと同じことは、熱湯を使って行う「くがたち(盟神探湯、探湯、誓湯)」として昔からありましたが、中世では起請という言い方をします。いずれにせよ、相当に熱いものですから手に火傷を負うのは確実です。判定は傷の軽い方が勝者となります。

なんとも残酷なことが行われていたものである。前置きが長くなった。露木さんの記事全文を以下に紹介する。


劇団「時空」による寸劇(同神社で)

甘樫丘のふもとに鎮座する甘樫坐(あまかしにいます)神社(明日香村)では、毎年4月の第1日曜日に「盟神探湯(くがたち)神事」が行われます。

盟神探湯とは、文字通り「神に盟(ちか)って湯を探る」ことで、熱湯の中に手を入れ「正しき者は火傷(やけど)をせず、偽りし者は火傷あり」という荒っぽい古代の裁判の方法です。「日本書紀」には415年、氏姓(うじかばね)を偽る者が多くなり、氏姓制度の混乱を正すため、甘樫の神前で盟神探湯が行われたと記載されています。

当日は、豊浦・雷(いかづち)両地区の氏子によって、境内にある「立石」の前に釜が据えられ、「盟神探湯神事」が行われます。宮司による神事があり、続いて地元の劇団「時空」により、盟神探湯の様子が寸劇でわかりやすく再現されます。最後に参拝者は笹(ささ)の葉を釜の湯に浸し、うそ・偽りを正し爽やかに暮らせるように祈った後、無病息災のお守りとして持ち帰ります。

メモ:甘樫坐神社へは、近鉄橿原神宮前駅東口から飛鳥駅行きバスに乗車し、甘樫丘下車、徒歩約5分。【奈良まほろばソムリエの会 露木基勝】


釜の湯に浸してお祈りした笹の葉を「無病息災のお守り」として持ち帰るとは、これはまた現代的で優雅な風習である。今年は4月2日(4月の第1日曜日)に営まれる。ぜひ、足をお運びください!

コメント (6)
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