公民館の付属図書で借りた本の返却日だった。ついでに、国保の今期分を払いにでかけた。
歩きながら、数行目で追うと、もう少し読みたいと思った。
師走とは思えない温かい日だった。
あまりに穏やかな小春日に、公民館の前の墓地公の一角で腰を下ろした。
冬のたたずまいの中、大塚山古墳が静かに広がっていた。
今回借りた本は、司馬遼太郎著『この国のかたち』(4)と(5)、関川夏央著『司遼太郎の「かたち」』、江藤淳著『妻と私』だった。
○ 司馬遼太郎はエッセイ「この国のかたち」で、時代を超えて変わらない不易なもを探りたいと述べていた。
また、この著作の背景には、「人は無人広野に産まれず、そ民族やその国家、社会さらにはその文化のなかにうまれてくるのである。
さらに言えばの歴史の中にうまれてくる。」という感懐があると。
先日の小学校の授業参観で、各教室や廊下に掲げられる“あいづっこ宣言”を見た。
もちろん、その底流には、日新館の教え「什の掟」がある。
什の掟
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言をいふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬものはならぬものです
これは、我が子の時代にはなかったが、孫に聞いたら、毎日朝の会でみんなで唱和しているそうだ。
会津で生まれた子供たちには、会津の新しい道を作っていってほしいと思っている。
人は郷土の歴史の中に生まれてくる。まずは歴史を学びたい。
会津と言うとどうしても維新の頃の歴史が中心となりがちだが、最近はそれ以前の会の深い歴史を学びたいと思っている。
しばらくは進んで郷土のいにしえを訪ねたいと。
○ 『妻と私』変な本を借りてきてしまった。昨年、愛犬を亡くししばらく立ち直れなったことが浮かんだ。
最愛の妻を癌に奪われ、1年を待たずして後を追った江藤氏の慟哭の手記だ。
死とは、妻のこと、人生とは・・・。
彼の遺書に言うように、諒とする気持ちが半分ある。
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心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の藤淳は、
形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。
乞う、諸君よ、これを諒せられよ。 平成十一年七月二十一日 江藤淳
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江藤氏のつらいこころをたどり、今を大切にしなければと思った。