アップルの創業者のスティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。彼の、数年前のスタンフォード大学の卒業式でのスピーチ全文を読んだ。
そこで、彼自身の人生から、「たまらなく好きなものを見つけなければならない」「自分の心と直感に従う勇気を持て」「毎日を人生最後の日であるかのように生きよ」などを
卒業生に説き、「ハングリーであり続けろ 愚かであり続けろ」と締めくくった。
これらの言葉はいずれも納得できるものだが、「愚か」とはどういうことなのだろう。
ふと、良寛を思い浮かべた。彼は自らを「大愚」と号し、師である国仙和尚も「良や愚の如くして、道うたた寛し」と評している。
良寛は道元の説く「ただ我が心を生かすために力を尽くす」そして「今を生きる」を実践した。
ジョブズ氏は良寛や禅を学んだのだろうか、まさによく似ていると思った。
「愚かであり続けろ」の意味は、知識以上に実践、創意工夫、創造性が大切であると言っているように思える。
彼は、社会に出て活躍を期待される大学生に、大切なことは決して知識量ではなく、疑問を抱き、主体的にその課題を解決する創造性こそが
生きる力につながることを教えたかったのではないだろうか。
思えばこれは、かつての「ゆとり教育」の理念のようだ。
幾多の受験体制の弊害の反省から生まれた「ゆとり教育」だったが、学力の低下の元凶とされてしまった。
豊かな情操や感性、そして人として生きゆく大切な心を育む「ゆとり教育」だと、今でも信じている。
そうそう、ノーベル化学賞を受賞した福井謙一氏、物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏を思い浮かべる。
書棚から、福井謙一氏の著作「学問の創造」、江崎氏の「創造の風土」、そしてまた、それ前の加藤与五郎著「創造の原点」を取り出した。