エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

愛宕神社に詣る  

2014-01-14 | 日々の生活

  しばらくぶりに大先輩のA先生宅へ年始に伺う。
  冬晴れ清々し されど寒風寒しの1日だった。
 日頃の運動不足解消も兼ねて、先生宅近くの愛宕神社まで歩き参拝した。

 

 足下に気をつけながら雪の階段をゆっくり登った。

    (夏)不揃いな石段                        

ときどき登る200段を超える不揃いな石段、その両脇には
 ”愛宕様にお参りして 自分の健康を知れ
 ”愛宕様にお参りして 母の恩を知れ”   などの看板が建っていた。
 また、はためく幟には「祈り 雄々しく ただ一心に
                平らかに 安らかに 豊かな故郷 」とあった。 

 

本殿手前、踊り場の右に松平容保公の胸像を見つけた。何度も来ていたが、ここにあったことを知らなかった。

    


  本殿で柏手を打ち手を合わせた。教えられたように、家族の健康や両親への思い、豊かな故郷の平らかに安からんことを祈った。

  本殿前の「愛宕山由来記」を読むと、 /愛宕神社の創建は天応元年(781)、会津門田の庄小田の里谷池沼に棲み付いた大蛇が住民に悪さをした為、玉泉(三河国の修験者)が愛宕神社の分霊を勧請したのが始まりとされている。当初は里谷池沼の傍に鎮座していたが至徳元年(1384)、当時の領主佐原盛純が愛宕町に遷座、天正18年(1590)に蒲生氏郷が現在地に再遷座し30間四方の山、社領30石が寄進された。江戸時代には歴代会津藩主から崇敬庇護され、慶長13年(1608)には蒲生秀行が社殿を修復し、寛永10年(1633)には加藤明成が社殿を造営している。/

 また、辰、巳、牛の守り神とあった。境内には雷神を祀る太郎坊社 北向稲荷神社  縁結びの相生神社がある。

 ここから天寧寺へ抜ける山道には近藤勇の墓があり、ときどき訪れていた。

  A先生も奥様もお変わりなくお元気で、1時間ほど歓談してお暇した。

 

 夕方、頼まれて萌えちゃんのスキーを学校に運んだ。スキーの授業は数えるほどで、例年、全校で沼尻スキー場へ行っている。

 若ければもっとスキー場へ連れて行ってやりたいとは思うが、腰も痛いし、また年々なんだか億劫になっている。  もっと元気を出さなければ・・・。

 今日は寒い1日だったが、この冬は今のところ雪も少なく、寒さもさほどではない。どうか大雪にならないようにと祈りながら春を待ちたいと思う。