【ジョウビタキ ♂】 (ネットからお借りしました。)
先日フォレストパークでの雪の中の研修で、弦間一郎所長の「冬の生きものを調べる」の講義を聴いた。
まず、テーマ「野外生物観察」では、冬という季節が「生きることの大切さ」や「生命の神秘」などを知りやすい季節であること、落葉や雪上など、森林の中で生きものが観察しやすい季節であることを再認識した。
その中で、バードウオッチング「心を観る、感じる野鳥」は素晴らしい話だった。
資料に本人が朗読する串田孫一の詩があった。私にはしばらく忘れていた懐かしい名前だった。それは、1965年FM放送番組「音楽の絵本」の1500回記念のテープだった。
”今朝も小鳥が私を見にやってきた
一体何をしているのだろう
・・・・・・・・・・・・
私は戸口の小鳥を見返す
山椒の実よりも黒い眼が
私の疲れた赤い眼と重なる
・・・・・・・・・・・・
木の実を食べては空を見上げ
焦茶色の胸をきりっと張って
・・・・・・・・・・・・
柿の木から飛んで行った
枝の柿はまだかすかに揺れている
・・・・・・・・・・・ ”
ここで、講師の質問は 「ここに登場する野鳥は?」何という種類だろうかだった。
形態は?習性は?・・・、野鳥についてあまり詳しくはない小生だが、詩の中の情報から推測するに、小鳥はジョウビタキ!と思われた。
あの講義から10日が経った。気になって隣の短大図書館で串田孫一随筆集の「遠い鐘の音」を借りてきた。あったあった、「小鳥と女王様」と言う詩を見つけた。あの資料の詩だった。
書き出しには「今朝も常鶲が私を見にやって来た」と、解答があった。
資料の小鳥は常鶲、正解だった。
「山椒の実より黒い眼、焦茶色の胸、胸をきりっと張る、柿の枝が微かに揺れている・・・」一つ一つ、串田の正確な観察描写をあらためて思った。
それにしても、この講義の組み立てが素晴らしいと思った。野鳥について総括的な解説はわかりやすく、頭の中がすっきり整理された。そして、「心を観る」の意義をあらためて考えさせられた。
いつも小さな虫たちの心を思っていた。
厳寒の雪の庭にリンゴの皮を置いている。三々五々訪れる小鳥たちは、何を考えているのだろうか。きっと、ときどきこの庭に来ようと思っているに違いない。
いろいろな動物や小さい虫たちには、本能しかないとは思いたくない。人間に負けない優しい心があると信じている。