エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

春は急ぎ足

2020-03-11 | 日々の生活

  午前中は検診日、A1Cが下がらない。

ときおり春の嵐だが、青い空も見えた。

居間から一段と黄色くなったサンシュウ、いよいよ弾けたようだ。

弾けた丸いつぼみは未だ開かないが、いよいよ咲き始めた。

小雨落ちる庭を巡った。

少し持ち上げられた落ち葉の下に、ミスミソウがもう花芽をのぞかせていた。

エゾエンゴサクも小さなつぼみが見える。

      

     

ついでに庭を巡った。クリスマスローズも大きな花芽を擡げていた。

スノードロップ、スノーフレーク、秋植えたチューリップも芽を出しはじめた。紫色の細い葉はツユクサだ。

      

ユキヤナギ

春が急ぎ足で進んでいる。

 


3月11日

2020-03-11 | 日々の生活

   3/11  

             短大図書館へ。半旗が翻っていた。

あの日の寒さはない。あれから9年,いろいろ思い巡らせた。
 

天声人語「おもいの木」に涙した。

 《孫の瑞姫さんは新地高校を卒業した直後、津波にのまれてなくなった。

震災前週の3/3、一家は瑞姫さんの誕生日会を開いた。就職が決まり、卒業式がすみ、運転の仮免許の取得を祝った。              

瑞姫さんの遺体は、被災の翌日、自動車学校の送迎バスの車内で見つかった。・・・      

 

我が家でも、今、中学卒業、高校進学、誕生日を祝う孫を思うと、瑞姫さん一家の平穏な幸せな家庭が目に浮かんだ。

また、昨日は、津波で母を亡くした姉妹の心の成長のあとを視聴した。

人生のはかなさに涙が止まらなかった。

何年過ぎても、3/11は、被災された方々に思いを馳せ冥福を祈る日だ。

涙もろくなったが、1日1日を無駄にしてはいけないと、青年らしい願いが浮かんできた。

 

珍しく投稿した文芸欄に俳句が載った。
    群青の湖水遥かに蜃気楼


断捨離  足を知る

2020-03-11 | 日々の生活

    最近、有り余る本を整理していたが、なかなか捨てられずにいる。

 そんなとき、新聞のコラム欄で「啓蟄」についての一文に出会った。(3/7福島民友) 
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 劇作家の井上ひさしさんはある時、会津に関する資料を探そうと東京・神田神保町の古書店街を訪ねた。しかし、どの店にも適当な本がない。司馬遼太郎さんが会津の本をあらかた集めた直後だったという。▼井上さんの回想を裏付けるかのように、司馬さんの旧宅には今でも蔵書6万冊が残る。一方の井上さんは自身の蔵書を20万冊と見積もっていた。2人は読み切れないほどの著作を残しているが、それを支えたのが膨大な数の本だったことを教えてくれるエピソードだ▼啓蟄(けいちつ)の候に入り、土の中で春を待っていた虫たちが暖かさを感じ、むくむくと動きだす頃となった。興味のある本とじっくり、あるいはたくさん向き合って、本の虫を気取ってみるのもいい。
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 半世紀も前の学生時代の専門書籍はもう利用しないだろうと決断したが、

より分けた趣味、教養本のたぐいも、いざとなると無理に捨てないでも・・・との思いがチラチラ。

 慌てず時間をかけてもと思い直すと、少し心が落ち着いた。

 どの部屋にもある本棚だけでない、2つの物置の半分は本だ。

 本だけではない、食器類、衣類、靴、数々のバザーに出したら良いものなど、要らないのではというものがいっぱいだ。

 また、使わなくなったプリンターが3台、古いが懐かしいPC2台などなど、あらためて捨てることは難しい。

 そうそう、凝っていたフィルムカメラも何台も捨てられないでいる。

 その後のデジタル1眼も次々買って、今のが5台目になる。

 しばし時間をかけて処分することにしよう。

そんなことを考えながら,本棚から持ち出したのは、

 「持たない暮らし」下重暁子著  「風来好日」久保田昭三著だ。 この前買った加島祥造著「ひとり」も。

 いずれも,根本は「足を知る」という良寛の生き方に行き着くようだ。
 

 残りわずかな日々、そんな生き方をしたいものだ。