最近、有り余る本を整理していたが、なかなか捨てられずにいる。
そんなとき、新聞のコラム欄で「啓蟄」についての一文に出会った。(3/7福島民友)
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劇作家の井上ひさしさんはある時、会津に関する資料を探そうと東京・神田神保町の古書店街を訪ねた。しかし、どの店にも適当な本がない。司馬遼太郎さんが会津の本をあらかた集めた直後だったという。▼井上さんの回想を裏付けるかのように、司馬さんの旧宅には今でも蔵書6万冊が残る。一方の井上さんは自身の蔵書を20万冊と見積もっていた。2人は読み切れないほどの著作を残しているが、それを支えたのが膨大な数の本だったことを教えてくれるエピソードだ▼啓蟄(けいちつ)の候に入り、土の中で春を待っていた虫たちが暖かさを感じ、むくむくと動きだす頃となった。興味のある本とじっくり、あるいはたくさん向き合って、本の虫を気取ってみるのもいい。
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半世紀も前の学生時代の専門書籍はもう利用しないだろうと決断したが、
より分けた趣味、教養本のたぐいも、いざとなると無理に捨てないでも・・・との思いがチラチラ。
慌てず時間をかけてもと思い直すと、少し心が落ち着いた。
どの部屋にもある本棚だけでない、2つの物置の半分は本だ。
本だけではない、食器類、衣類、靴、数々のバザーに出したら良いものなど、要らないのではというものがいっぱいだ。
また、使わなくなったプリンターが3台、古いが懐かしいPC2台などなど、あらためて捨てることは難しい。
そうそう、凝っていたフィルムカメラも何台も捨てられないでいる。
その後のデジタル1眼も次々買って、今のが5台目になる。
しばし時間をかけて処分することにしよう。
そんなことを考えながら,本棚から持ち出したのは、
「持たない暮らし」下重暁子著 「風来好日」久保田昭三著だ。 この前買った加島祥造著「ひとり」も。
いずれも,根本は「足を知る」という良寛の生き方に行き着くようだ。
残りわずかな日々、そんな生き方をしたいものだ。