エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

心身永閑

2020-10-03 | 日々の生活

最近、生きていることを強く感じた瞬間があった。

籐i椅子に揺られながら、ぼんやり庭を眺めていた。

今盛りの紫色のシオンにヒョウモンチョウが翅を休めている。

キンモクセイが小春日に美しく輝いている。

心安らぐ思いに、いま自分が生きている幸せを思った。

 

ウラギンスジヒョウモン ツマグロヒョウモン♀

もう20年にもなる。もう駄目かと諦めた日々が浮かんできた。

これからの残された日々を、「心身永く閑かなり」つまり「心身永閑」を旨として送ろうと思うに至った。

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夜半に目覚め、寝付けずに枕元の兼好に目を通す。

しばらく日々の生き方が頭からは離れなくなっていた。

徒然草七十五段に

 「未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言いつべけれ。」とある。

中野孝次は 縁を離れて身を閑かに を「心身永閑」と表現し、こうした生き方が兼好の、徒然草の理想としたと述べている。

そんな折りに、文庫本「徒然草を読む」(上田三四二著)を手に取った。いつか読んだアンダーラインを再読した。

彼にとって、徒然草は「先途なき生」であり、兼好の唱道する生き方は「ただいまの一念」と述べている。

また、存命の喜びを純粋時間の筒の内に「心身永閑」の無事として味得する事を意味している。

兼好の隠遁は、その「心身永閑」のための手段に他ならなかった。と書いている。

期せずして「心身永閑」の二人の表現を見た。