書斎の机に向かい、椅子に座りときどき手をかざしている。
炭を扱うに火箸はまだない。代わりにピンセットでときどき炭の位置を動かし、灰を掻いていると何ともこころが和む。
近くのリサイクルショップをのぞいたら手頃な銅製の手あぶり火鉢があった。欲しかった火鉢だった。
前から火鉢が欲しかったが、先週、夜10:30~BSで【にっぽん・微笑みの国再現!江戸職人の神業】を視聴しまた思いがもたげた。
番組では、伝統的な竹細工と共に、高岡の銅製の火鉢、鋳物師から彫金師、塗り師へと引き継がれ作られる伝統工芸品にスポットを当て江戸の職人の神業を紹介していた。
いつか、火鉢の醸し出すぬくもりを思い出しブログに書いた。
そこには、「冷えきった部屋で、綿入れ半纏を着て火鉢に手をかざしてみたい。店を覗いてみようかと思っている。」と。
【 拙ブログ「火鉢の温もりを思い出す」2008-01-13
http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/4dde97f7c59a027f6841727a35fd67b5 】
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一昔前まではどこの家庭でも必ずあった火鉢は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。
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火鉢に手をかざした温もりは遠い昔になってしまった。あの頃、五徳に乗せた鉄瓶がチンチンと沸いて、湯気が立ちのぼっていた。何をするではなく、火鉢で火箸や灰ならしで灰に模様をつけたりして暖を取っていた頃を思い出す。箸で炭を足したり、炭火の世話をするのも楽しかった。火鉢の醸し出す温もり、心の豊かさを想う。そのころは、時がもっともっと緩やかに流れていた。
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あかぎれの手を火鉢にかざしていたのは、小学生の頃だったろう。今の子どもの知らない火鉢や炭は、エアコンや灯油ストーブにない生活体験ができたと思う。さびしい気がする。
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しんしんと雪が降る庭をながめ、網渡しにぎんなんを置いてぼんやり火鉢に手をかざしている。
しばらくは冬の書斎で火鉢を友に過ごしたい。一酸化炭素には気をつけ、こまめに換気をしながら。
お買い得かも知れません。
取っ手のない両側に,キク、ウメ、シュンランなどが彫られています。
テスターで調べたら、全部銅のようです。
そのうち、写真を撮ってブログに書いてみます。
灰は上から4,5センチ、店で他の火鉢から少しサービスしてもらいました。下に土を入れてあります。
網渡しで,銀杏、スルメなど焼いています。