中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

見てきたぞ! イーグルス

2011-03-05 12:30:17 | 音楽

■イーグルスのコンサート■

 またまたインドアな話。
 
 3月1日は待ちに待ったイーグルスの大阪公演の日。妻と二人で連れ立って、会場である大阪ドームへと向かった。

         

 ドーム球場内に反射する残響音が大き過ぎて音響的には劣悪な環境だったのと、残念にもグレン・フライとティモシー・B・シュミットの声に陰りがみえていたことを除けば、コンサートの内容は、ほぼ完璧な内容だった。特にジョー・ウォルシュに至ってはDVD(2005年の映像)を見た時よりもパフォーマンスがパワーアップしており、コレには正直言って驚かされてしまうほどだった。
 一曲目の「Seven Bridges Road(セヴン・ブリッジズ・ロード)」に始まり、途中で休憩を挟みつつ、ラストの「Desperado(ならず者)」まで全27曲、約3時間に及ぶコンサートだったが、気になることが…。メンバーの年齢は、もう63歳前後。何かの記事で「もう日本に来るのは最後かも知れない。」と書かれていただけに、ボクにとっては「最初で最後の出会い」になるかも知れないのだ。だから燃え残って後悔しないよう、コンサートを思う存分楽しんできたのである。

 特に感動したのは、現在東京で暮らす友人が大好きなジョー・ウォルシュの名曲「Walk Away(ウォーク・アウェイ)」が生で聞けたことだ。実は、その友人も東京でのコンサートを見に行くそうだ。今の彼には、ボクなんか比べものにならないくらいのパワーが必要だから、ジョー・ウォルシュには大阪でのコンサート以上のパフォーマンスを発揮して、彼にフル・パワーを与えてくれることを願っている。「頼んだゾ!ジョー!」


■イーグルスからのメッセージ■

 イーグルスの代表曲と言えば、誰でも真っ先に思い浮かぶのは何と言っても「Hotel California(ホテル・カリフォルニア)」だろう。かく言うボクもロックという音楽に興味を持ったのが中学1年生頃であり、その年=1976年にイーグルスの5thアルバム「Hotel California」が発売されたので、言わばボクのロック歴は、そのアルバムのタイトルナンバーである名曲「Hotel California」と共にあるのだ。

 「Hotel California」の美しいというか、怪しげというか、そのメロディにつけられている歌詞は「愛」だとか「恋」だとかといったものではなく、そのストーリー性のある歌詞の展開の中には深い意味が込めてあり、それは当時のアメリカ合衆国の状況や音楽業界に対する批判のメッセージだというのは、ファンや英語に通じている人にとっては周知の事実だとは思う。

 英語は直には理解できず、歌詞カードを見るしかないないボクではあるが、そんな歌詞の中で一番印象的な部分は、ホテルで主人公が支配人と言葉を交わした、

So I called up the Captain
"Please bring me my wine"
He said ,"We haven't had that spirit here
Since nineteen sixty nine"
「”ワインを飲みたいのだが”と支配人に告げると
”1969年からというもの
酒は一切置いてありません”と彼は答えた」

という部分だ。

 1969年といえば、ボクの敬愛するジミ・ヘンドリックスがトリをつとめた「ウッドストック・フェスティバル」の年にあたる。
 1960年代後半におけるロックのパワーは、特にベトナム戦争に対する反戦という部分では政治を揺るがすほどになっていた。そしてそのピークであったとされるのが、そのウッドストック・フェスティバルだと言われているのだが、フェスティバルの裏側では既に退廃した空気が渦巻き、その実情はロックの掲げる理想とはかなりかけ離れたモノになっていたのだそうだ。

 そして、同じ1969年の暮れには意見が合わず、ウッドストック・フェスティバルへの出演を拒否したローリング・ストーンズが中心になって独自に立ち上げたコンサートが行われた。しかしそこでは一部のファンが暴徒化して、ついには死者までが出てしまう。コレを「オルタモントの悲劇」というのだが、その結果に絶望したのか、ストーンズはロックのパワーに懐疑的になり、元々持っていた反体制的な部分が影を潜めるようになっていったのだそうだ。そして他のロック・ミュージシャンも同様に…。

 これら1969年に催されたロックフェスティバルの背景に広がる闇や退廃によって60年代に高まっていった理想は見事に打ち砕かれ、70年代のロックは商業主義とも言えるエンターテーメント性を重視した、新たな時代へと突入していくのだが、イーグルスはこの時失われたスピリット=魂をスピリット=酒に置き換えてホテル・カリフォルニアで表現しているということだ。

 そして歌詞のラストは

"We are programmed to receive
You can check out any time you like
But you never leave"
「我々はここに住み着く運命なのだ
いつでもチェックアウトできるが、
立ち去ることは出来ないんだ」

で締めくくられている。
 check out (チェックアウト)「自殺する」のスラングということだから、最期の一節は「死ぬまで逃げられない」を意味しているということだそうだ。
 因みに今回のコンサートでの最初の曲は上述した「Seven Bridges Road」も1969年の作品ということであり、歌詞の内容は「恋に破れた男が失意の内に道を下りつつ、その先に希望を見出す」内容だ。コレは単なるボクの勘ぐりなのかも知れないが、こうやって考えてゆくと彼らの69年という年へのこだわりは、かなりのように思えてしまう。

 「The Best of My Love(我が至上の愛)」や「Desperado」に代表されるように、愛や友情を描いた曲も多いイーグルスだが、反面、上述の「Hotel California」をはじめ、痛烈な風刺や揶揄が入る歌詞を通して自分たち自身や社会のあり方、そして自分たちの祖国のあり方を問いかけ続けている。その証拠に最新アルバムである「Long Road Out of Eden(ロング・ロード・アウト・オブ・エデン)」でもイラク戦争や自然破壊、社会に対する思いを綴る歌詞が全体の2割ほどを占めているのだ。

 勿論、ボクが青年期だった頃は、イーグルスの曲をかじりつくように聞き入り、やがては当時組んでいたバンドでコピーして演奏をしたりで、ただただ「カッコイイ!」と思っていただけであり、当然その歌詞に込められた深い意味に気付くはずもなかった。
  しかし自分が年を食い、挫折を含めた多くの経験をしてゆく途中で、ふと歌詞カードを手にとってみると、様々なことに思いが巡る。そして、愛ばかりではなく、数が減ったとは言え、ロックには歌詞に込めたメッセージを通じて社会に問い掛ける姿勢が生き残っており、それを受け入れる土壌がファンの方にも残っているということが嬉しく思えてもくる。
 何はともあれ、名曲は何年経っても名曲であり、ボクはこれから死ぬまで幾度となくイーグルスの曲を聴くであろう。そしてその度に日本語訳された歌詞カードと「にらめっこ」をしつつ、その時の心で歌詞に込められたメッセージを解釈するだろう。今回はそのことを再確認させてくれた、素晴らしい「EAGLES TOUR 2011」だった。

         

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ブルースの世界

2010-09-25 12:30:42 | 音楽
■1970年代の音楽■

 久しぶりに音楽の話を…。

 ボクが好きな音楽のジャンルは多岐にわたる。以前にも触れたことがあるが、中でも一番好きなのはリズム&ブルースやブルースといったジャンルだ。近頃、中学~高校の頃を思い出し、急に聞きたくなって日本の70年代に活躍した人達のモノを集め始めている。

                   
                      ●定番の「憂歌団」や「サウス トゥ サウス」等々●

 今の若い人達には想像もつかないだろうけど、ボクの思春期の頃のロック界は、それ以前の「不良が聴く音楽」というイメージからは脱却していたものの、まだミュージシャンそれぞれに反骨精神のような空気が漂っており、テレビの出演を拒否する人も多く、歌謡曲や流行歌といったテレビ番組で流される音楽とは線引きされていた。もっとも、歌詞そのものにドギツイ風刺や表現や放送禁止用語が含まれるモノもあって、したくても出来ない部分もあったのだが…。
 地方色もあって、関西ではロックの真ん中「ど・ストライク」よりも、その流れの根底にある、特にリズム&ブルースを中心にソウルっぽいモノや、完全なブルースのような黒人系の音楽を志すミュージシャンが多かったように記憶している。東京ではもう少しスッキリした(オシャレな?)音楽が多かったけれど、これも土地柄なのか?。そして関西に産まれた身のボクとしては、これらの音楽から受ける影響も大きかった。


■ブルースの世界■

 特にブルースの世界はハッピーな展開の歌詞も一部にはあるものの、本来はアメリカ南部の黒人労働者階級から産まれた音楽だけにドロドロとした歌詞がその多くを占める。
 簡単に説明すると、「いつまで経っても、どん底から這い出られないオレの嘆き」や、逆に、自虐的になって「こんなオレを笑ってくれ」という心の叫び、「故郷への思い」、そして「日常の小さな喜び」などがテーマになっていることが多い。
 勿論、恋愛に関する曲もあるが、刹那的であったり、フラれて腐っていたり、逆に相手を恨んだりで、ある意味では現実的なモノが多い。
 これはアメリカのブルースだけでなく、国産のブルースでも同様だ。だから、幸せなこともあったが、辛かったことも沢山あるオジサンとしては、それらの世界からのメッセージが今でも、いや、今だからこそ、より深く心に沁み入ってくるのだ。

 目を転じて、近頃TVやラジオから聞こえてくる音楽を聞いていると、一部の例外を除いてほとんどが恋愛に関する詩で、「素晴らしい貴方に出会えて良かった」的なモノ、「別れてしまったけど、素晴らしい貴方と過ごした日々の思い出」的なモノが多いように思う。それ以外では「家族に感謝」的なモノや「貴方を応援しています」的な応援歌系のモノもチラホラと聞こえてくる。
 これらはボクが積極的に聞かずに鈍感になって、たまたま流れてくる曲を耳にするだけだからそう聞こえるだけなのかも知れないが、いずれにせよボクにはそう聞こえてしまう。
 しかし、ボクのように人生50年近くも過ごしてしまうと、(一応、妻以外と定義しておくが、)恋愛することも無い者にとっては、恋愛的歌詞はドラマの世界であって現実離れしている。
 喩える曲が古くて申し訳ないが、「負けないで元気出して頑張れ」と言われても、頑張れないから負けて元気がないワケで、また、「ナンバーワンでなくても貴方はオンリーワンなんだよ。」と応援されても、オンリーワンだとしてもナンバーワンになるほどの努力をしないと豊かな暮らしが送れないのは解り過ぎているワケで…。それらは絵空事であって一向に心に沁みてこないのだ。
 これら流行りの歌を耳にする度に「若者は現状に満足し、幸せを感じているのだろう。」と思うことにしているが、もしかしたら「本当は夢を見ているだけなのか?」と思うこともある。だが、もし、「そうでも思わなけりゃ、やってられない…。」と思っているのなら、「正にそれがブルースの世界なのだ。」とボクは思うのだが、今の若い人達は本当のところ、今の現実社会をどう捉えているのだろうか…。
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ライヴDVD

2008-12-10 09:40:03 | 音楽
 久々に音楽の話題を…。

 只今、我が中島物産は年末商戦の真っ最中。大晦日前まで休みはなく、遊んでいるヒマがない。毎年のパターンだが、こんな時に気を紛らわせてくれるのが、ライヴ演奏を記録したDVDで、実際この時期に購入することが多い。
 ワタシは洋楽なら、ジャズ・ボーカルもから、ハードなロックまで何でも聴くが、最近買って感動したのが「THE POLICE」の再結成ライヴを記録したDVD
                 
だ。
 たった3人とは思えない、濃密な音作りは衰えておらず、スティングはベースをメロディ楽器のように使い、スチュアート・コープランドのドラムは昔どおりにハイ・ピッチなトーンで歌うかのようにリズムを刻み、アンディ・サマーズはウルトラテクニックはないけれど、ギターをある時にはパーカッションのように、またあるときには効果音のように使う。
 レゲエのようなラテンのビートの上にパンク~ジャズまでの要素などが融合し「彼らでないと作れない」音楽の世界がそこにある。

 他にお薦めなのは「EAGLES」の2作。

 左のヘル・フリーゼズ・オーヴァーは少し前の作品だが、名曲ホテル・カリフォルニアのアコースチック・ヴァージョンが収録されているし、録音もシャープで聴き応えがある。
 下の写真、2枚組みのフェアウェル・ツアーの方は2004年のメルボルン・ツアーの模様を収録したものだが、メンバーはかなり年をとってしまっているが(ジョー・ウォルシュなんて、背中が曲がったお祖父さんのようだけど)歌声は健在で、特にコーラスは今時の日本のコーラス・デュオやグループには到底太刀打ちできないレベルのままだ。そしてこの中には彼らのヒット曲とソロでのヒット曲のほとんどが収録されている。

 あと必須なのが、「THE DOOBIE BROTHERS」のDVD。

 これも少し前の作品だが、数多くのヒット曲が網羅されていて、録音もカンペキに近い。もちろん、初期メンバーの中心人物のトム・ジョンストンも合流しているし、別会場での収録部分ではマイケル・マクドナルドも友情?出演している。
 その他で珍しいのは「BOZZ SCAGGS」のライブ

も販売されている。これも最近の作品であるが、年老いてもオシャレなボズはハイ・トーンな歌声にやや衰えがあるものの、ボズの映像が見られること自体がワタシにとっては奇跡なので許すこととしよう。

 でもよく考えてみると、再結成されたものや、古くから活躍している人の物ばかりに目が行き、最近の物には目が行かない。
 その昔にワタシが若き頃は、彼等の音楽を聴いた瞬間、その強烈な個性とオリジナリティに、それこそ「後ろから棒で頭を殴られたような衝撃」を感じたものだ。それくらい彼らの音楽は個性的で光り輝いていたのだ。そしてそれらは「今まで聴いたことがないもの」ばかりだった。
 もちろん今でも音楽は聴き続け、探し続けている。しかしながら、悲しい事だけど最近の音楽を聴いて感動したことはほとんどない。そう、「どこかで聴いたようなもの」ばかりなのだ。これはワタシが年をとったせいだと思いたいが、今時の人達は、かつて私たちが感じたような気持ちで音楽を聴けているのだろうか?。今音楽業界までが不況と聞くが、その辺がチョッと心配だ。

 年内は忙しすぎて多分、これ以上更新ができないと思う。しかし年明けからスキーや釣りの遠征が控えているので、1月の更新をお楽しみ?に…。
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スティーヴィー・レイ・ヴォーン

2007-02-02 17:22:43 | 音楽
 このブログの最初の部分で書いたように釣りから遠ざかった時期がありました。きっかけは中学の中盤に差し掛かるとやってきた思春期というヤツです。この時期になると魚クサいこと?よりもフェロモンのニオイに反応するようになります。「モテたい…。」という心が湧いてきます。そしてここからは音楽に没頭です。
 何事にもとことんまで追求する性格なので、聞くだけでは飽きたらず、とうとう中学の後半にはドラムを叩くようになり、高校に入ると文化祭(学園祭)のステージに立つことの他、ヤマハさんの主催するアマチュア・バンドのコンテストにも出場するようにもなっていました。(ただし、技術は未熟でしたが…。)
 しかし、大人になると、さすがにほとんど演奏することはなくなりました。好みも軟化して「A.O.R.」や「ブラック・コンテンポラリー」から「ジャズ・ボーカル」まで何でも聞くようになりましたが、多感な時期にバンドでコピーして演奏した「ジミ・ヘンドリックス」や脱アイドル後の「チャー」のおかげで「リズム&ブルース」や「ロック」に対する傾倒は今でも耳と体に染みついており、時々頭を出しては再燃します。

 一昨年の秋、ドイツの「ザウンズ」という高音質録音を誇るレーベル内の「ヘンドリックス・ヒッツ」というCDを購入したんですが、何人ものミュージシャンがジミ・ヘンドリックスのカバー演奏をする中で、ひときわ異次元の演奏をするギタリストに出会いました。それが今回のタイトルにある「スティーヴィー・レイ・ヴォーン」でした。(知っている人にとっては「何を今更!」ですが)
 グラミー賞をとったりするほどの活躍をしていたそうですが、ここまでナゼ知らなかったのかを考えてみると、ワタシがドラムをあまり叩かなくなり、好みが軟化し始めた’82年にメジャー・デビューを果たしているので、ちょうどエア・ポケットに入っていたみたいです。
 彼の演奏をワタシなりに表現すると「チェーン・ソウで丸太をぶった切って彫刻したハズなのに良くもまぁーこれだけ細かく刻み込んだものだなぁ」って感じです。(よく解らんかぁ?)何せ圧倒的なパワーと手数でワタシを攻めてきます。特にスローなブルースや「ヴゥードゥー・チャイル」や「リトル・ウイング」等のジミ・ヘンドリックスのカバーは強烈です。
 そして気がつけば通販サイト「AMAZON」のススメ(一説には罠?)にのるがままに、ほとんど全てのCD&DVDを購入してしまいました。でも、もう買う物がなくなりました。ナゼって彼は’90年、ツアーの移動中に不慮のヘリコプター事故に遭い、35歳の若さで他界しているんですね。だからオリジナル・アルバムの新作はありません。やはりモーツアルトやショパンの時代から才能のある人は早死にするんですね。その点からみるとワタクシは長生きしそうです。
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