■「思考停止」の話■
「日本映画がダメになったのは、客が悪い!」と、映画監督の大森立嗣さん(麿赤兒さんの息子=俳優の大森南朋さんの兄)が、ある雑誌のインタビューで語っていた。これは「解らないモノに接すると、そこで思考停止する客に対して、注目点をアップにし、解りやすいカット割りで提供する」という日本映画の現況を憂慮するが故に出た言葉だ。
また、女優の原田美枝子さんは脚本家の倉本聰さんとの対談の中で、「あらかじめカット割りが決まっていて、台本が配られるのは撮影の一週間前」が近頃のTVドラマ撮影現場の傾向だと話していた。
近頃の日本映画やTVドラマに対してボクが感じていた「モヤモヤや、物足りなさの原因はここにあったのか?」と、変に合点がいったが、ここで思い出したのは、ジャーナリストの勝谷誠彦さんが出演番組その他で何度も言っていた「バカ基準」という言葉だ。
この言葉は、オレオレ詐欺についての報道が大量に流され、各地で啓蒙される中、それでも詐欺師に誘導されて振り込んでしまう人達への配慮のために、自身がATM機の前で携帯電話が使えなくなったことに対する不満から出た言葉なのだが、言わば「社会生活上、当然知りうる常識等を認知できない人のために、認知している側が迷惑を被る現象」を指すそうだ。
ATMの一件は「お年寄りの被害者」のことを考えると、にわかに賛成し難くなる。しかし、それでも実際にATMの前に立ってみれば、10万円を越えた額を送金する場合は、回数を分けて送金せねばならず、その回数分だけ手数料を取られる現実に「もう少し何とかならないのか?」と、つい思ってしまうのはボクだけであろうか?。
振り返れば「思考停止」の場面が増えているように思えてならない。毎日の運転場面で見かける光景は、それそのものだ。
近年では発生率が高い交差点内での事故を防止するために、右折信号の数が増えている。そのこと自体は理解できるのだが、これがあるために、自分で安全確認をして通過可能かを判断することよりも、ひたすら右折信号が出るのを待ち続け、どう見ても右折できる時間的な余裕がありながら、全く動かない人達が増えているように思う。おかげで後ろには長い列ができるのだが、右折信号があってこの状況だから、これの無い交差点の場合は信号が赤に変わる寸前のほんの短いチャンスに右折するしかないので、更に車列は伸びる。以前であればこんなことをすると、後ろからホーン(クラクション)の合唱が始まったのだが…。そして右折できない人のために、右折信号が設置された交差点が更に増えてゆく…。
また、カーナビの搭載率もかなり増えていると思うが、それに従うあまり、カーナビが案内しがちなメインの道路だけが混んで、それと並行する道路がガラ空きということにもよく出くわす。
道路上での出来事程度であれば、後ろを走る者がイラつく程度で済むのだが、世の中が省力化されて便利になればなるほど、それに比例してこういった傾向が多岐にわたって増えているように思う。そして、実際に思考停止はあらゆるところで起こっており、上述した「オレオレ詐欺」を始め、様々な悪意に引っ掛かってしまう原因にもなっている。その為、近頃では思考停止ビジネスという言葉ができているそうだ。
しかし、ボクだってあまりエラそうなことは言えず、振り返ってみれば、携帯電話を手にして以降、電話番号をほとんど覚えなくなっている。その昔であれば、10件や20件の電話番号なんて簡単に覚えていたのが、今や完全に「機械任せ」だ。また、字一つをとっても辞書を使って自分で調べることもなく、変換ソフトが提供してくるモノの中から選んでいるだけの場合が多いし、TVやネットの情報を鵜呑みにしてしまうこともある。この程度の話は、つまらないことなのかも知れないが、切っ掛けは日頃の小さなところにあるのだと思う。
近年の「何を考えてるねん?!」とツッ込みたくなるような事件の数々は、裏を返せば「何にも考えていない」から起こるのであり、それが年々増えているように見えるのは、ボクが歳をとってしまったせいだけではないように思うし、困ったことに、思考停止は理解力の低下につながっていて、それは、年齢を問わず起こっているように思う。例えば切れ易い中高年が増えていることの原因であったりするように思えるのだが…。
ツールやシステムが発達し、便利になればなるほど思考停止する機会が増える。そして、そこが新たな基準となって、更なるスパイラルが始まっているような気がする。「人はその分だけ他に考えを巡らせるから問題はない。」との説があるそうだが、本当にそうなのだろうか?。
「コンピューターが知能を持ち、感情や意志までを持つようになった結果、人間が支配される。」という、SFの定番ネタが昔からあるが、このまま人々の思考停止の度合いが深まって行けば、その日が来るのは近い将来のことかも知れない…。(「って考え過ぎか?」)
「日本映画がダメになったのは、客が悪い!」と、映画監督の大森立嗣さん(麿赤兒さんの息子=俳優の大森南朋さんの兄)が、ある雑誌のインタビューで語っていた。これは「解らないモノに接すると、そこで思考停止する客に対して、注目点をアップにし、解りやすいカット割りで提供する」という日本映画の現況を憂慮するが故に出た言葉だ。
また、女優の原田美枝子さんは脚本家の倉本聰さんとの対談の中で、「あらかじめカット割りが決まっていて、台本が配られるのは撮影の一週間前」が近頃のTVドラマ撮影現場の傾向だと話していた。
近頃の日本映画やTVドラマに対してボクが感じていた「モヤモヤや、物足りなさの原因はここにあったのか?」と、変に合点がいったが、ここで思い出したのは、ジャーナリストの勝谷誠彦さんが出演番組その他で何度も言っていた「バカ基準」という言葉だ。
この言葉は、オレオレ詐欺についての報道が大量に流され、各地で啓蒙される中、それでも詐欺師に誘導されて振り込んでしまう人達への配慮のために、自身がATM機の前で携帯電話が使えなくなったことに対する不満から出た言葉なのだが、言わば「社会生活上、当然知りうる常識等を認知できない人のために、認知している側が迷惑を被る現象」を指すそうだ。
ATMの一件は「お年寄りの被害者」のことを考えると、にわかに賛成し難くなる。しかし、それでも実際にATMの前に立ってみれば、10万円を越えた額を送金する場合は、回数を分けて送金せねばならず、その回数分だけ手数料を取られる現実に「もう少し何とかならないのか?」と、つい思ってしまうのはボクだけであろうか?。
振り返れば「思考停止」の場面が増えているように思えてならない。毎日の運転場面で見かける光景は、それそのものだ。
近年では発生率が高い交差点内での事故を防止するために、右折信号の数が増えている。そのこと自体は理解できるのだが、これがあるために、自分で安全確認をして通過可能かを判断することよりも、ひたすら右折信号が出るのを待ち続け、どう見ても右折できる時間的な余裕がありながら、全く動かない人達が増えているように思う。おかげで後ろには長い列ができるのだが、右折信号があってこの状況だから、これの無い交差点の場合は信号が赤に変わる寸前のほんの短いチャンスに右折するしかないので、更に車列は伸びる。以前であればこんなことをすると、後ろからホーン(クラクション)の合唱が始まったのだが…。そして右折できない人のために、右折信号が設置された交差点が更に増えてゆく…。
また、カーナビの搭載率もかなり増えていると思うが、それに従うあまり、カーナビが案内しがちなメインの道路だけが混んで、それと並行する道路がガラ空きということにもよく出くわす。
道路上での出来事程度であれば、後ろを走る者がイラつく程度で済むのだが、世の中が省力化されて便利になればなるほど、それに比例してこういった傾向が多岐にわたって増えているように思う。そして、実際に思考停止はあらゆるところで起こっており、上述した「オレオレ詐欺」を始め、様々な悪意に引っ掛かってしまう原因にもなっている。その為、近頃では思考停止ビジネスという言葉ができているそうだ。
しかし、ボクだってあまりエラそうなことは言えず、振り返ってみれば、携帯電話を手にして以降、電話番号をほとんど覚えなくなっている。その昔であれば、10件や20件の電話番号なんて簡単に覚えていたのが、今や完全に「機械任せ」だ。また、字一つをとっても辞書を使って自分で調べることもなく、変換ソフトが提供してくるモノの中から選んでいるだけの場合が多いし、TVやネットの情報を鵜呑みにしてしまうこともある。この程度の話は、つまらないことなのかも知れないが、切っ掛けは日頃の小さなところにあるのだと思う。
近年の「何を考えてるねん?!」とツッ込みたくなるような事件の数々は、裏を返せば「何にも考えていない」から起こるのであり、それが年々増えているように見えるのは、ボクが歳をとってしまったせいだけではないように思うし、困ったことに、思考停止は理解力の低下につながっていて、それは、年齢を問わず起こっているように思う。例えば切れ易い中高年が増えていることの原因であったりするように思えるのだが…。
ツールやシステムが発達し、便利になればなるほど思考停止する機会が増える。そして、そこが新たな基準となって、更なるスパイラルが始まっているような気がする。「人はその分だけ他に考えを巡らせるから問題はない。」との説があるそうだが、本当にそうなのだろうか?。
「コンピューターが知能を持ち、感情や意志までを持つようになった結果、人間が支配される。」という、SFの定番ネタが昔からあるが、このまま人々の思考停止の度合いが深まって行けば、その日が来るのは近い将来のことかも知れない…。(「って考え過ぎか?」)