中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

京の都の錦市場

2010-01-30 12:34:35 | 旅行
 とある件の御礼を報告するため、京都の北野天満宮へと向かった。

                 

 名物の梅は咲きはしないものの、

                 

幸いにも暖かな天候の中、無事お参りを済ませた後は、前から一度訪れてみたいと思っていた、京都市内にある「錦市場」へと向かった。

 「錦市場」は京の台所と言われ、その歴史は400年以上になるという。下調べの段階では鮮魚の他、京野菜の専門店や、京漬け物の店も多く、屋台や露店と同じように、食べながら各店を「はしご」できるいというから、同行する嫁&息子の期待も大きかった。
 電車で来た場合は東側から入るのがパターンだが、今回は車での訪問だったので、西側からの突入だ。

   

 中に入っていきなりの「イイ臭い」に誘われて足を止めたのは「大安」という貝専門店だ。

                 

 ここは、新鮮な貝類をその場で開き、焼いて食べ指させてくれるが、そうなると欲しくなるのが「酒」の類だ。その辺は店の方も心得ており、日本酒の地酒類から各種焼酎類と勿論ビールも豊富に取り揃えている。
 車で来たことを半ば後悔しながらも、とりあえず、定番の「焼がき」を各自が注文し、「帆立」と「たいらぎのバター焼」も追加注文した。

   

 「たいらぎ」(写真右下)とは愛媛県~香川県の瀬戸内海側が主産地の大型二枚貝で、タイムリーにも何日か前のTV放送で「貴重な貝」として紹介されていた。我が家にとっても今回が「初たいらぎ」になる。
 味については全てが絶品クラスの「激ウマ」だ。つられて、ついつい追加をしたくなってしまうが、ここは腹の中を貝で満たしたい欲求をひたすら「ガマン、ガマン」なのだ。まだ場内に入ったばかりだ。気持ちを抑えて次なるスポットを目指して移動を開始する。

   

 移動中、関西でいうところの「天ぷら屋さん」(写真右)を発見し、覗いてみるが、どれもが立派な大きさをしているので、比較的小さな「海老&ニラ」を2個串に刺したものを嫁と分けつつ、更に移動する。後で調べてみると、この「天ぷら」は、標準語では「薩摩揚げ」というらしい。関西では共通して使うが、他地域では「エビ天」に代表される「天ぷら」とは区別しているということだ。

   

 歩きながら、ちょこちょこ摘んでいると、やはりビールが欲しくなってしまうが、そのニーズに応えるべく「ビール有ります」の看板が各所にある。しかし、この日のボクにとっては酷な看板だ。

   

 場内で目に着くのが 「京漬け物」を取り扱う店だ。何しろ試食させてくれるのがウレシイ。最近の我が家では「千枚漬け」が好評なので、各店で試食を繰り返した。だが、既に売り切れのところもあって、結局は有名店の「西利」で購入したが、ここは各地に店舗を持っているので「錦でワザワザ買わなくても‥。」と、思いは複雑だった。

   

 嫁&息子に好評だったのが、この「カリカリ博士」という、たこ焼き屋さんだった。特に息子は「どこで何を食べるのか?」と、あれこれ迷いつつも、市場を往復する間で2度も立ち寄って食するほどの「お気に入り」だったようだ。ボクも食したが、看板どおり、外はカリカリ、中はトロトロでウマイ。

   

 西側から入った場合、「寺町通り」出るとソコが終点だが、ついでにその寺町通りを散策してみる。途中で如何にも京都らしい「古書&版画店」を発見。ウインドウ越しに眺めてみる。

   

 復路では「かね松」という、京野菜専門店に入ってみた。京野菜と言えばその地でしか採れない「オリジナル性」故に、珍しい姿形とその価格にビックリする。
 店の2階には、その京野菜を使った料理を出す店があり、好評のようであったが、ソコには立ち寄らず、結局我が家で日常的に口に出来そうなモノはと言えば「九条ネギくらいか…。」と、ため息が出るのを押さえてココを後にした。


                 

 ココで息子が楽しみにしていた「七味入りソフトクリーム」を取り扱う、七味屋さんに立ち寄る。勿論、この店が売るのはソフトクリームがメインなハズもなく、

                 

七味だ。
 勿論、店による違いもあるが、京都の七味は他の地域=例えば全国的に有名な善光寺門前の八幡屋礒五郎に比べると、辛みは少なく、それよりも香りが立っているのモノ多い。好みもあるだろうが、良い土産になる要素は充分にある。とは言うものの、我が家のお気に入りは他店の商品なので、今回はソフトクリームだけにした。
 その味は、甘さ自体はソフトクリームそのものだが、七味の風味は充分にあり、後からピリッとくる感じだった。(うまく表現できないな~。)

                 

 通りを抜けるとソコには「一風堂」という博多が本拠のラーメン・チェーンの店があった。ココは嫁が知っていたらしく、言われるがままに入ったが、豚骨味のスープと細麺は博多系の正統派であり、かなりウマかった。

                 

 注文したのは3人揃って味が濃いめの「赤丸」だ。特筆すべきは替え玉(麺のみのおかわり)だった。コレも博多のシステムであるが、何と創業25周年ということで、一玉25円だったのだ。勿論、その安さとウマサに転んだボクは、それを追加で頼んで完食した。
 そして、その後は”タップン・タップン”になったお腹を抱えて帰路に就くのであった。

 この手の、業務用販売と市販を兼ねた市場は各地にあって、有名どころとして、北海道の「函館市場」、金沢の「近江町市場」、下関の「唐戸市場」等が全国に点在している。既に「近江町市場」は何度か訪問しているので、次なるは「唐戸市場」か?と、盛り上がる我が家である。
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近代史の話

2010-01-23 12:36:41 | その他
 このブログでもよく書いているが、ボクは司馬遼太郎さんのファンでもある。だが、司馬さんの小説は「司馬史観」という中で書かれているモノであり、「史実とは違う」とよく言われている。コレは勿論ボクも理解しているが、小説だから当たり前の話であって、史実に余りに忠実だと、おもしろさが半減することも考えられるので、多少の飛躍があって当然だと思う。さらには人物像を大きく描くことによって大きく脱線してしまうこともあるだろう。だからボク自身としては、そう言った歴史小説はあくまでも「小説」として捉えている。
 それはそれとして、事実として頭に入れなくてはならない歴史もあるので、小説とは並行して「歴史小説」ではない「歴史書?」というか、そういう「歴史関連本」も昔からよく読んでいる。
 その中でも特に力を入れて?何冊も読み続けているのが昭和史関連本だ。これは現代を生きる人間として、一番近く、振り返らなくてはいけない時代でありながら、全然知らされていない時代=いわゆる「学校では教えてくれない時代」だからだ。

 しかしながら、歴史書は「小説」でないにも関わらず、著者の思い入れが込められているモノが多く、選ぶのが難しい。例えば、とある事件の被害者の数が片方では到底計算に合わない、ベラボウな数になっているのがあると思えば、片方では事件そのものがなかったとしていたりするからだ。
 これは昨日起こった夫婦ゲンカであっても仲裁に入った第三者から見れば、嫁と旦那のどちらの言い分が正しいなんてことが、判断し辛いのと同じだ。ましてや少なくとも50年以上経った歴史であれば尚更だろう。また、公的に書かれているモノであっても、過去に「オレのことをもっとよく書け」という圧力がかかったこともあったという。だから、ブレがあることは仕方がないことと諦めて、可能な限り多くの意見に触れて自分の判断力を養い、妥当な線を導き出すしかないとボクは思っている。

 以前にも書いたように、右でも左でもない真ん中を歩きたいとボクはいつも思っている。そんな目で判断した中にあって為になった?というか、好印象だったのは今までなら「日本の戦争(田原総一郎著)」であったが、去年の暮れからは、半藤一利さんの本をよく読み、惹かれつつある。説明するまでもないが、半藤さんは主に昭和の歴史を題材に多くの著作をされている一人で、生前の司馬さんとは親交があった作家だ。

 半藤さんの著書の中でも、これから日本の近代史を知りたい人にまずお勧めしたいのが「昭和史(1926~1945)」「昭和史(1945~1989)」の2冊だ。

                   

 この2冊は「授業形式の語り下ろし」と言って、全編が、先生が黒板の前に立って授業をしている流れで書かれている。(実際に4人の前で授業風に話しているのを編集したそうだ。)その内容が退屈な授業であれば即「zzz…」と居眠りを始めてしまうところだが、江戸っ子気質の半藤先生?の授業は「オモシロイ」と評判で、なかなか受けられない先生の授業のようで、最後まで楽しく聞く?(読む)ことができるのだ。更に、旧仮名遣い等で書かれている当時の文献や日記等は現代語に訳したモノが本文のすぐ後に記されており、読んでゆくパターンが崩れないのが有り難い。
 と、まぁ、何もボクが宣伝する必要もなく、既に文庫化もされ、25万部以上も売れているから、それがこの本のオモシロさと内容の良さの証明になっていると思う。

 この2冊は終戦を境に2部に別れているが、全編が通史になっているので、一連の流れとして捉えることが出来るのが有り難い。更に大事な部分は詳しく、その他の部分はサラッと流しており、激動の昭和期に何があったのかが一通り、一気に理解できるようになっている。
 内容に関する細かな感想はあえて書かないが、ボクにとってはしっくり来る内容であったのは確かだ。
 ただし、この本であっても史実とは違う部分があるのかも知れないことは断っておきたい。上段でも触れたが、決定的な証拠が無いが為に誰にも断定できず、資料等から推測するしかない部分は、どの本にも少々あって、その著者の説や見解に頼るしかないのは仕方がないことなのだ。

 それはさておき、我々のような親世代が「近くて知らない近代史」を知ろうとせず、「何がどうなっていたのか?」も理解出来ないようでは、子供達に平和な未来を引き継いではもらえないし、ましてや今、論議されている日本の安全保障や憲法問題には参加できないのだ。だから皆さんにも1冊の本をキッカケに、近代史に興味を持っていただきたいと思う。


 一転して幕末史の話。
 現在はNHK大河ドラマ「龍馬伝」に代表される、龍馬ブームとなっており、本屋さんにはかなりの量の関連本が積まれている。そんな龍馬そのものを採り上げているモノの判断は別に譲るとして、ここでも半藤一利さん著の「幕末史」を採り上げたい。

                   

 この本も上述した「昭和史」と同じコンセプトが書かれているので、非常に読み易い。昭和史と同様に黒船到来から西南戦争までの通史になっているので、龍馬や維新の重要人物の生きた時代の時代背景や空気感が非常に良く理解できる。だから、コレを読めば龍馬以外の登場人物についても理解が深まり、「何故そうなったのか?」という流れが理解できるようになるので、ドラマ「龍馬伝」を見るオモシロさも倍増?すると思う。
 但し、半藤さんは自身と同じ江戸っ子の勝海舟贔屓なので、龍馬に対する評価はそんなに高くないように感じるのだが…。
 
 とにかく、楽しく、しかも手っ取り早く近代史を理解するのに、この「幕末史」は「昭和史」の2冊と並んでお薦めの1冊だ。
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釣りに行けないときは…

2010-01-16 12:36:07 | 釣り一般
 「釣り人たる者、釣りに行けなくても準備を怠ってはいけない。」
 とはいうものの、マァ世の中には無頓着な人も居て、リールからは異音が出ていたり、竿の尻栓が塩ガミして、一生抜けない状態になっていても平気な人もいるんだけど…。
 このボクはどちらかというと、釣具や車などの道具類は現場では思いっきり使い込み、後でキッチリ手入れや整備をするタイプだ。

 今冬は事情があって釣りに行けない状態が続いていたので、堪らず竿を部屋の中で出していたのだが、実釣中は気にならないが、こうやってじっくり見る機会があると、結構傷付いてしまっているのに気付く。
 磯釣りにしたって、渓流釣りにしたって、まわりが岩だらけの状況が多いので釣りの最中によほど置き場所に注意していないと簡単に傷付いてしまうのだが、実は、最近では市販品のコンパウンド(研磨剤)の技術が進んで、近頃では道具類のキズは簡単に消せてしまうようになっているのだ。今回は竿のキズ消しを紹介するが、同じ要領で車の塗装の補修も出来るので、釣り人以外の方でも覚えて損はないと思う。

 まず用意するのは、当然傷付いた竿だが、コレには程度があって、下地まで見えているモノは当然磨きだけでは補修が出来ない。ただし、繊維の内部に水が染み込むのはよくないので、後で紹介する方法をとって欲しい。(車の場合は錆防止になる。)消せるキズの深さの目安は「上から水をかけて濡らすと消えるキズ」といったところだ。(キタナらしいけど、ツバでもOK)

 次に用意するのはコンパウンドを始めとするケミカル・グッズ類だ。

                 
                 「左上から時計回りに綿棒、クリア塗料、スプレーワックス、
                            キズ消しコンパウンド(荒、細セット)、ウインドウ撥水剤」

 これらはホームセンターの自動車用品コーナーで簡単に手に入るが、基本のコースだと全てを揃えなくてもイイので、後の説明を見て判断して欲しい。

 それでは実際にキズを消してみよう。

 まず最初にキズの確認だ。S中硬の文字の左側に注目して欲しい。

                 

 次にコンパウンドを適量絞り出す。この場合は細目と鏡面仕上げのセットだったので、その中では目の荒い、細目から始めたが、傷が深い場合は中細目といった、もう少し荒目のコンパウンドを別途に購入して、それから磨き始めた方が早く仕上がる。

                 

 この後ウエス(ボロ布)で磨き込むのだが、あまりやりすぎると塗装面がはげてくるので、時々、から拭きをして様子を見ることが必要だ。特に荒めのコンパウンドからやり始めた場合は当然削れるのが早いので要注意だ。

 下の写真がキズが消えた様子。

                 

 このままでは、むき出しの状態なので、スプレーワックスを塗って仕上げる。

                 

 そして、ワックスを拭き取ると完成。

                 


 もし、キズが深い場合や、下地が見えている場合は、一度クリアー塗装(綿棒で塗ると良い)を塗り、完全に乾かした後で、そのクリア塗装が盛り上がっている部分と周囲との差が無くなる程度まで磨くとイイだろう。
 また、ウインドウ撥水剤は、その名の通り強力な撥水=水玉効果で車窓に着いた水滴を簡単に吹き飛ばすことが出来るようになるのがうたい文句だが、コレを磯竿に使うと、雨やシブキがかかっても道糸が竿にまとわり着かないようになる効果がテキメンに発揮される。ただし、ボクが普段使っているシマノ製のロッド(全てが当てはまるとは限らないけど)は大丈夫だったが、溶剤が強力そうなだけに塗装の質を選ぶかもしれないので、目立たない部分で試した後、自己責任で塗布して欲しい。(勿論、車の塗装面には使用しないこと!)

 ピカピカ、あるいはそれに近付いたロッドは使って気持ちがイイし、オークションに出品する際も高値が期待できるだろう。
 「皆さん、お試しあれ」と締めくくりたいところだが、当然頻繁に研磨を繰り返すと、塗装が無くなってしまうので「ほどほどに!」といったところだろうか?…
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死語の世界

2010-01-09 12:36:18 | その他
 子供が小さい頃は、夜寝る前に本を読むことをせがまれ、嫁と二人で分担しながら、いわゆる「読み聞かせ」というヤツを毎日のようにしていた。
 それが良かったのか、以降、息子は自分で読むことが出来るようになって以降も、かなりの本好きのままで、暇を見付けては読みふける彼の姿をよく見かけるのだが、そんな状況の中、低学年時代のある日、息子が落語に興味を持ったのか、「じゅげむ」を絵本にしたモノを購入してきたことがあった。

 落語と言えばボクも大好きで、故、桂枝雀さんのファンでもあった。遠い昔に月に1回程度、大阪の朝日放送というTV局で深夜に「枝雀寄席」という番組が放送されていた頃は、それを見るのを毎回楽しみにしていたし、年に一度、自宅近くにある、西宮東高校のホールで行われていた枝雀さん一門の「鳴尾寄席」を毎年のように見に行っていた時期もあったくらいだ。
 勿論、枝雀さんが亡くなって以降も、落語家それぞれに味があってオモシロイので、今でもTV放送があればよく見聞きしている。
 好きな話は枝雀さんの十八番でもあった「宿替え」「壺算」などの他、「ちりとてちん」や「初天神」など色々あるが、子供が興味を持ったのを機会に、他にも色々なネタを探しては読むようになっていった。
 今は便利な時代なので、インターネットで検索すればネタは簡単に取り出せる。中でもお薦めは
「上方落語メモ[世紀末亭]」
http://homepage3.nifty.com/rakugo/index.htm
というサイトだ。

 実際には、このサイトからプリントアウトしたモノを子供に読み聞かせ?していたのだが、困ったことに原文のままでは子供には理解し辛いようだ。
 振り返ってみれば、ボクが子供の頃は祖母が健在で、古い大阪弁を間近で聞いていたし、更に祖母は商家に嫁いだせいもあって「船場言葉」と呼ばれる言葉も使っていたので、落語の世界に出てくるような言葉をボクは完全に理解していた。
 しかし、現在大阪弁の圏内に済んでいる人なら理解が出来ると思うが、普段はボクらの世代であっても「~でんがな」や「~まんがな」はもう使わない。あるとすれば、人を笑わそうとして無理に使う時ぐらいだ。更に息子の世代になると、TVの影響なのか、ボクら世代が絶対に使わなかった言葉=例えば「~じゃん」なんて言葉を使うし、標準語ナイズドされて古い大阪弁の表現はドンドン淘汰されている。

 よって、仕方なく彼が判るように変換して読んでいたワケである。具体例を挙げると=「そうだっせ」は「そうですね」、「ソコにおまっしゃろ?」は「ソコにあるでしょう?」、「さいぜん」は「さっき」等だが、「殺生(せっしょう)だっせ~」に至っては、ウマイ表現が見つからず、どう訳して良いのか見当が付かない。
 コレでは、登場人物独特のキャラが乗った言葉が変化することでイメージが変わってしまううえ、元よりシロートが読むヘタクソさが加わって落語の魅力が半減、いや4分の3減以上するに等しい状態だ。

 それでも息子は楽しんでいるようだが、願わくはこれから先、「聞き言葉」としての大阪弁だけは理解できるように育って欲しいと思う。だが、上述したようにボクら世代でも使わない昨今の状況下では、残念ながら子供達が、もう死語になりつつある、古い大阪弁に触れる機会はドンドン減って、それは困難なことなのかも知れない。

 現在落語はややブームとなって寄席が繁盛している状況ではあるらしいが、それを支えているのがボクら世代以上の「死語の世界」の理解者ばかりであれば、この先どうなって行くのか?それが心配だ。
 落語は大衆芸能でありながら、伝統芸能の要素も兼ね備えているが、もし仮に伝統芸能としてでしか生き残られなくなると、その代表格である歌舞伎の今日の姿のように、ヘッドフォン(イヤフォン)の同時通訳や解説を聞きながら見る(聞く)スタイルになってしまうのだろうか?。そんな未来を想像するとゾッとする。落語は大衆に受け入れられて来たからこそ、今の姿があるのだ。世代間を受け継いでゆくための、何か良い方法はないものだろうか…。
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新年のごあいさつ

2010-01-02 12:30:20 | その他
 明けましておめでとうございます。

 昨年、一年間ご愛読いただいた方々には「本年もよろしくお願い申し上げます。」

 「昆布巻屋」が家業のため、フツーでは考えられないほど忙しい年末商戦を乗り越えたボクは、只今充電中なのだ。だから、この記事は自動更新によって行っているので、大したことは書けないが、とりあえず目標を…。

 今年の目標については、磯釣りでは今年は、大型狙いに専念するつもりなので、遠征が中心になり、その分だけ釣行回数は減るかも知れない。
 事情があって寒グレ狙いは1月後半にならないと行けそうにはないが、五島列島か対馬に行く予定なので、ソコではとりあえず口太グレの記録更新(54cm以上)を狙うつもりだ。
 そして5月には今年も男女群島に行く予定なので、これまた記録更新の尾長グレ61cm以上を狙ってみる。

 渓流では昨年達成できなかった、ヤマメもしくはアマゴの30cm以上と、イワナであれば40cm以上の獲得を目指す。

 一方昨年より始めたハイキングでは標高1000m以下しかチャレンジしていないので、1000~1200mクラスを目指すことにする。

 確実なのは目標が動かない、山の標高くらいで、その他は運がなければ達成できないが、とりあえず、自分がオモシロいと思うところに向かってドンドン出て行くつもりなので、毎週土曜日のレポートだけはお届けできるだろう。「乞うご期待を!」というところだ。
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