東北の方々とは程度の差はあると思うが、同じ被災者として言わせてもらうと、ボクたちが経験した阪神大震災の場合は、すぐ横にある大都市=大阪では一部を除いて大きな被害が出なかったために、震災直後から普通の生活を送れた人の数が多かった。コレは個人的な感覚かも知れないけれど、その大阪で普通に暮らす人達を被災した側から見た場合、多少の羨ましさはあったものの、「妬ましい」とか「恨む」といったレベルで見ていたワケではなかった。それよりも無事な都市がすぐ横にあることからくる安心感を得られたことが大きかったし、物資のみならず、そこで普通に暮らす人々から元気を分けてもらっていたことが有り難かったように記憶している。
勿論、コレは大阪自体が元気だったからできたことだ。しかし今回の震災は東北を始め北関東も直接被害を受けたうえに東京までもが…という状況なので規模は全く違うが、そうであればこそ中部地方以西に住む我々が「元気を出さなくては」という思いがボクの頭の中を駆け巡っているのだが…。
とにかく、通常に生活できるところに住む者が、普通に生活し、消費し、税金を納めること、それは対岸の火事でありコッチには関係ないという意味ではなくて、落ちるべきところにお金が落ちるようにしなくては、それでなくても経済や財政面で沈んでいた日本が全体的に、更に沈んでしまうことにも繋がり、それが結果的に被災地へ手を差し伸べる余力もなくしてしまうことにもなりかねないような気がするのだが、被災者の気持ちを考えると再び気が滅入り、ジレンマに陥る。
先日、迷いに迷った挙げ句に決行したスキー旅行でもそんな自粛ムードに満ちあふれていた。
●人気の少ない栂池スキー場●
まず初めに、夜に到着した長野市内の様子に驚いた。節電のためだとは思うが、街灯の半分が消されたうえに、ガソリンスタンドから飲食店まで店舗の電光式看板のほとんどが消されているので、営業しているのかどうかも直前に迫るまで判断できず、言葉は悪いがその様子はゴーストタウンの一歩手前のようにも見てとれた。
実際に食事のために店舗内に入ってみると、以前に訪問した際には満杯だった店内は客もまばらで閑古鳥が鳴く寸前の様子だった。
東京電力や東北電力の圏内へ向けて送電するために節電しなければならないのはよく解るが、周波数の違いから送電できる量は決まっており、それは既に上限に達しているという。だから、それ以上の節電は心理的な自粛の現れということなのかも知れない。
当然スキー場も同じ状態であった。節電のためにゴンドラは完全休止しており、リフトも6割程度の間引き運転で運行されていた。
●ゴンドラは終日運休●
ボクたち家族は「ここに出てこられたでけでも幸せ」と思ってはいたが、地元のTVニュースでは、連休中に80%のキャンセルが起こり、春休み至っては、ほぼ100%キャンセル状態になって途方に暮れているという、スキー場近くで宿屋を経営するご主人の姿が映し出されていた。
●志賀高原・一ノ瀬スキー場も同様に…●
「この時期にスキー旅行なんて…。」と思われるかも知れないが、ここまで書き進むうちに、とある本を思い出した。それはマイケル・サンデル著「これから『正義』の話をしよう」だ。
●少し前に話題になった本だ●
この本では冒頭でハリケーン・チャーリーに襲われたフロリダ州での出来事に触れている。要約すると…
ハリケーンに襲われた町には便乗値上げが起こり、それを規制する州法を制定する動きが起こる。一見すればそれは暴利を得る者に対しての「正義」の行使に思えるが、その高騰した賃金によって物資と人が集まり復興が早まるという側面も否定できないという事実を紹介している。
そこから、読者はいわゆる適正価格によるスローな復興と、便乗価格による素早い復興とのどちらが果たして人々にとって幸福なのか?ということについて考えさせられる。そしてそれは立場や考えによっても違いがあって容易に答えが出ないことにも気付かされる。
同様に今回の震災後において、自粛することと、その反対に普段どうりに暮らすということの是非に対する答えがボクには簡単に出せないが、復興にかかる20兆円とも言われる資金が必要になるのが目に見えていることだけは確かだ。