中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

自粛ムード

2011-03-26 12:30:00 | その他
 震災が起こってから以降、世の中に「自粛ムード」が流れている。そん中、ボク自身は次回あたりから常態に戻して釣りやその他のレポートを書こうかと思っているが、その前にチョッと気になっていることを…。


 東北の方々とは程度の差はあると思うが、同じ被災者として言わせてもらうと、ボクたちが経験した阪神大震災の場合は、すぐ横にある大都市=大阪では一部を除いて大きな被害が出なかったために、震災直後から普通の生活を送れた人の数が多かった。コレは個人的な感覚かも知れないけれど、その大阪で普通に暮らす人達を被災した側から見た場合、多少の羨ましさはあったものの、「妬ましい」とか「恨む」といったレベルで見ていたワケではなかった。それよりも無事な都市がすぐ横にあることからくる安心感を得られたことが大きかったし、物資のみならず、そこで普通に暮らす人々から元気を分けてもらっていたことが有り難かったように記憶している。
 勿論、コレは大阪自体が元気だったからできたことだ。しかし今回の震災は東北を始め北関東も直接被害を受けたうえに東京までもが…という状況なので規模は全く違うが、そうであればこそ中部地方以西に住む我々が「元気を出さなくては」という思いがボクの頭の中を駆け巡っているのだが…。

 とにかく、通常に生活できるところに住む者が、普通に生活し、消費し、税金を納めること、それは対岸の火事でありコッチには関係ないという意味ではなくて、落ちるべきところにお金が落ちるようにしなくては、それでなくても経済や財政面で沈んでいた日本が全体的に、更に沈んでしまうことにも繋がり、それが結果的に被災地へ手を差し伸べる余力もなくしてしまうことにもなりかねないような気がするのだが、被災者の気持ちを考えると再び気が滅入り、ジレンマに陥る。

 先日、迷いに迷った挙げ句に決行したスキー旅行でもそんな自粛ムードに満ちあふれていた。

                                
                         ●人気の少ない栂池スキー場●

 まず初めに、夜に到着した長野市内の様子に驚いた。節電のためだとは思うが、街灯の半分が消されたうえに、ガソリンスタンドから飲食店まで店舗の電光式看板のほとんどが消されているので、営業しているのかどうかも直前に迫るまで判断できず、言葉は悪いがその様子はゴーストタウンの一歩手前のようにも見てとれた。
 実際に食事のために店舗内に入ってみると、以前に訪問した際には満杯だった店内は客もまばらで閑古鳥が鳴く寸前の様子だった。
 東京電力や東北電力の圏内へ向けて送電するために節電しなければならないのはよく解るが、周波数の違いから送電できる量は決まっており、それは既に上限に達しているという。だから、それ以上の節電は心理的な自粛の現れということなのかも知れない。

 当然スキー場も同じ状態であった。節電のためにゴンドラは完全休止しており、リフトも6割程度の間引き運転で運行されていた。

                 
                            ●ゴンドラは終日運休●

 ボクたち家族は「ここに出てこられたでけでも幸せ」と思ってはいたが、地元のTVニュースでは、連休中に80%のキャンセルが起こり、春休み至っては、ほぼ100%キャンセル状態になって途方に暮れているという、スキー場近くで宿屋を経営するご主人の姿が映し出されていた。

                 
                      ●志賀高原・一ノ瀬スキー場も同様に…●


 「この時期にスキー旅行なんて…。」と思われるかも知れないが、ここまで書き進むうちに、とある本を思い出した。それはマイケル・サンデル著「これから『正義』の話をしよう」だ。

                  
                           ●少し前に話題になった本だ●

 この本では冒頭でハリケーン・チャーリーに襲われたフロリダ州での出来事に触れている。要約すると…
 ハリケーンに襲われた町には便乗値上げが起こり、それを規制する州法を制定する動きが起こる。一見すればそれは暴利を得る者に対しての「正義」の行使に思えるが、その高騰した賃金によって物資と人が集まり復興が早まるという側面も否定できないという事実を紹介している。
 そこから、読者はいわゆる適正価格によるスローな復興と、便乗価格による素早い復興とのどちらが果たして人々にとって幸福なのか?ということについて考えさせられる。そしてそれは立場や考えによっても違いがあって容易に答えが出ないことにも気付かされる。
 同様に今回の震災後において、自粛することと、その反対に普段どうりに暮らすということの是非に対する答えがボクには簡単に出せないが、復興にかかる20兆円とも言われる資金が必要になるのが目に見えていることだけは確かだ。
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自衛隊、北に向かう

2011-03-19 12:30:00 | その他
■北へ向かう車両群■

 先日、所用があって京都へ向かう途中、重機や人員を乗せて今回の地震の被災地へと向かうと思しき自衛隊の車列に遭遇した。

 阪神大震災の発生時にボクの住んでいた地区は、被害が少ない方であったが、それでも救出に向かう自衛隊員を見掛けることもあったし、実際に近くの港に接岸していた自衛艦から給水を受けていたから、彼らの活躍は実際に目にしていた。
 また、その後に起きた中越の地震などでも彼らの活躍はTVを通してではあるが、確認済みだ。

                
                           ●北へ向かう車列●

 そして今回の震災でも、数ヶ月前にどこかの政治家センセーが「暴力装置」と呼んでいたことにも臆することなく、たとえ津波が再び襲うかも知れない瓦礫の山の中であっても、たとえ放射性物質の濃度が高い地域であっても、自分の任務を黙々と果たしつつ、多くの人々を救出し続けている姿を本当に頭が下がる思いでボクは見つめている。

 ボクたちが納税などの義務を果たしたうえで得る数々の権利の中には、当然国から「生命及び財産を守ってもらう」ということも含まれるハズであり、それは権利の根幹に近いものだと思う。そして一度災害が起きた際に一番頼りに出来るのは、やはり自衛隊であることは確かな事実である。
 日本国内には自衛隊=軍隊として捉え、予算を増やしてそれを強化することは、直ちに戦争に繋がると懸念する人が多い。しかしながら、そんな意見を持つ人達の目に、今回の震災における自衛隊員が活躍する姿はどう映っているのだろうか…?。
 
■子供手当よりも…■

 報道によると自衛隊には、例の子供手当が満額支給された場合の予算よりも低い予算が充てられているという。しかし、今回のような地震が起こり、道路が寸断されて「陸の孤島」と化した地域に取り残された人々や瓦礫に埋もれた人々などを一刻も早く救出するには、今より多くの予算を与え、装備等を充実させることが必要だとボクは思う。
 シロート考えではあるが、例えばヘリ空母のようなモノがもう少し数多くあれば、津波が収まりつつあると判断した時点で被災地の沖に急行し、被災地との間をヘリコプターでピストン運転のように行き来することもできるだろうし、上陸用舟艇のような艦船がもっと数多くあれば、港のないところでも直接接岸して大量の人員や重機、物資なども運び入れることができるのでは?と想像してしまうのだ。
 また、福島の、原発内の燃料を懸命に冷やそうしている東京電力の職員をサポートしているのも自衛隊員だが、今回、隊員に「原発事故に対する訓練は受けさせていない。」ということが露呈してしまった。今後はそういった訓練と装備の充実を図らなくてはならないし、より強力な防護服の開発や、敷地内にテロリスト等の侵入を許さないためには警備をどうするのか?ということも含めて考えてゆかなくてはならないと思う。

 軍事力は人を救うことも殺すことも出来る、言わば「両刃の剣」だ。それを使いこなすには我々国民一人一人がまず歴史の経緯を理解したうえで、その個人個人にとって正しい意見を持つことが必要になると思う。そして何よりも自衛隊をコントロールすべき政治家にしっかりとしたビジョンを持ってもらうことが何よりも大切だと思うのだが…。
 それはいわゆる「シビリアンコントロール」というヤツなのだが、選挙によって国民から委託されたコントロールすべき立場にある人間が簡単に「暴力装置」と言ってしまうのは、10万人規模で動員できる別組織を創設する代案があるからだとでも言うのだろうか?。

 闇雲に拒絶しているうちに「救えるハズだった生命と財産が、救えなくなってしまう。」コレが心配だ。

                
                     ●隊列の先頭付近を走る「指揮車両?」●
(後部に「16普本」とあることから、長崎県大村からの車両かも?。だとしたら、仙台までの移動距離は1500kmを越えるのでは?「本当にご苦労様です。」)


追伸

 この記事をボクが実際に書いたのは、3月の15日だったが、その後の17日には米軍の海兵隊のモノであろう上陸用舟艇(ノルマンディー上陸作戦で使われたような船)で、直接浜に乗り上げて自衛隊のトラック等を揚陸している映像が映し出されていた。今後は「こんな船を数多く装備しなければ」と強く感じた瞬間だった。
 近畿で磯釣りをする人なら誰でも知っていると思うが、紀伊半島一帯のリアス式海岸の奥には、「陸の孤島」と言われる、僅かに開けた平地に展開する町や集落が数多くある。
 今後高確率で起こると言われている南海や東南海地震等が実際に発生し、それら紀伊半島の町々が津波に襲われた場合は、地形や道路網が似ている今回の三陸海岸と同じ結果になることは必至であると思う。当然ながら、海から押し寄せる災害は海岸線の被害が一番ヒドくなるだろう。だからこそ海側からの緊急アプローチが必要になると思うのだ。
 今後は可及的速やかに「人を救う装備」として、これら艦船を充実させる論議を展開していって欲しいものだ。
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被災された方々へ

2011-03-12 12:30:00 | その他
 東北地方及び北関東太平洋岸における大地震発生のため、予定していた投稿から切り替えております。

 被災された方々へは阪神大震災で被災した我が身としては、そのご心労は充分理解しているつもりであり、私としても他人事とは思えません。心より御見舞申し上げます。

 もし、被災地やその周辺でこのブログを見られている場合や、彼の地に親戚友人等が在住されている方が居られるのなら、微力ではありますが、私からのアドバイスを申し上げておきます。
 何よりもご自身と家族の安全を確保することが先決ですが、その段階が一段落すれば、必要となるものの第一は水です。たとえ現在のところ断水していなくても、急に供給が停止することもありますので、飲み水は別として、生活用水としての水を浴槽一杯に貯め置くことをお薦めします。これは飲料水については配給のペットボトル入り、もしくは給水車から得られる数リットルの水で一日分がまかなえるものの、一番困るのが水洗化されているトイレの洗浄水だと思うからです。
 私の場合は、いち早くそのことに気付いたために浴槽内へ水を貯め込むことが出来たので、給水再開までの間を凌ぐことが出来ましたが、実際に断水を経験した方が精神的に辛かったのは、流せなくなった状態のトイレだと聞くことが多かったように記憶しています。
 変な話ですが、一説によると「トイレの清潔度は文化度を表す」とも言われるように、この部分での障害は大袈裟に言えば、ある意味人間の尊厳にも関わることでありますから、非常に大事なことだと思います。但し、排水管が壊れているようであれば、流すことも出来ないわけですからその点はご注意下さい。
 トイレを使用する前に浴槽から、洗面器などでタンク内の半分程度になるまで移し替えれば、ちゃんと流れて行くはずです。

 とにかく、私が住む神戸と大阪の中間点からでは、あまりに遠く、直接は何も出来ないわけですが、早期の復興を願っております。
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見てきたぞ! イーグルス

2011-03-05 12:30:17 | 音楽

■イーグルスのコンサート■

 またまたインドアな話。
 
 3月1日は待ちに待ったイーグルスの大阪公演の日。妻と二人で連れ立って、会場である大阪ドームへと向かった。

         

 ドーム球場内に反射する残響音が大き過ぎて音響的には劣悪な環境だったのと、残念にもグレン・フライとティモシー・B・シュミットの声に陰りがみえていたことを除けば、コンサートの内容は、ほぼ完璧な内容だった。特にジョー・ウォルシュに至ってはDVD(2005年の映像)を見た時よりもパフォーマンスがパワーアップしており、コレには正直言って驚かされてしまうほどだった。
 一曲目の「Seven Bridges Road(セヴン・ブリッジズ・ロード)」に始まり、途中で休憩を挟みつつ、ラストの「Desperado(ならず者)」まで全27曲、約3時間に及ぶコンサートだったが、気になることが…。メンバーの年齢は、もう63歳前後。何かの記事で「もう日本に来るのは最後かも知れない。」と書かれていただけに、ボクにとっては「最初で最後の出会い」になるかも知れないのだ。だから燃え残って後悔しないよう、コンサートを思う存分楽しんできたのである。

 特に感動したのは、現在東京で暮らす友人が大好きなジョー・ウォルシュの名曲「Walk Away(ウォーク・アウェイ)」が生で聞けたことだ。実は、その友人も東京でのコンサートを見に行くそうだ。今の彼には、ボクなんか比べものにならないくらいのパワーが必要だから、ジョー・ウォルシュには大阪でのコンサート以上のパフォーマンスを発揮して、彼にフル・パワーを与えてくれることを願っている。「頼んだゾ!ジョー!」


■イーグルスからのメッセージ■

 イーグルスの代表曲と言えば、誰でも真っ先に思い浮かぶのは何と言っても「Hotel California(ホテル・カリフォルニア)」だろう。かく言うボクもロックという音楽に興味を持ったのが中学1年生頃であり、その年=1976年にイーグルスの5thアルバム「Hotel California」が発売されたので、言わばボクのロック歴は、そのアルバムのタイトルナンバーである名曲「Hotel California」と共にあるのだ。

 「Hotel California」の美しいというか、怪しげというか、そのメロディにつけられている歌詞は「愛」だとか「恋」だとかといったものではなく、そのストーリー性のある歌詞の展開の中には深い意味が込めてあり、それは当時のアメリカ合衆国の状況や音楽業界に対する批判のメッセージだというのは、ファンや英語に通じている人にとっては周知の事実だとは思う。

 英語は直には理解できず、歌詞カードを見るしかないないボクではあるが、そんな歌詞の中で一番印象的な部分は、ホテルで主人公が支配人と言葉を交わした、

So I called up the Captain
"Please bring me my wine"
He said ,"We haven't had that spirit here
Since nineteen sixty nine"
「”ワインを飲みたいのだが”と支配人に告げると
”1969年からというもの
酒は一切置いてありません”と彼は答えた」

という部分だ。

 1969年といえば、ボクの敬愛するジミ・ヘンドリックスがトリをつとめた「ウッドストック・フェスティバル」の年にあたる。
 1960年代後半におけるロックのパワーは、特にベトナム戦争に対する反戦という部分では政治を揺るがすほどになっていた。そしてそのピークであったとされるのが、そのウッドストック・フェスティバルだと言われているのだが、フェスティバルの裏側では既に退廃した空気が渦巻き、その実情はロックの掲げる理想とはかなりかけ離れたモノになっていたのだそうだ。

 そして、同じ1969年の暮れには意見が合わず、ウッドストック・フェスティバルへの出演を拒否したローリング・ストーンズが中心になって独自に立ち上げたコンサートが行われた。しかしそこでは一部のファンが暴徒化して、ついには死者までが出てしまう。コレを「オルタモントの悲劇」というのだが、その結果に絶望したのか、ストーンズはロックのパワーに懐疑的になり、元々持っていた反体制的な部分が影を潜めるようになっていったのだそうだ。そして他のロック・ミュージシャンも同様に…。

 これら1969年に催されたロックフェスティバルの背景に広がる闇や退廃によって60年代に高まっていった理想は見事に打ち砕かれ、70年代のロックは商業主義とも言えるエンターテーメント性を重視した、新たな時代へと突入していくのだが、イーグルスはこの時失われたスピリット=魂をスピリット=酒に置き換えてホテル・カリフォルニアで表現しているということだ。

 そして歌詞のラストは

"We are programmed to receive
You can check out any time you like
But you never leave"
「我々はここに住み着く運命なのだ
いつでもチェックアウトできるが、
立ち去ることは出来ないんだ」

で締めくくられている。
 check out (チェックアウト)「自殺する」のスラングということだから、最期の一節は「死ぬまで逃げられない」を意味しているということだそうだ。
 因みに今回のコンサートでの最初の曲は上述した「Seven Bridges Road」も1969年の作品ということであり、歌詞の内容は「恋に破れた男が失意の内に道を下りつつ、その先に希望を見出す」内容だ。コレは単なるボクの勘ぐりなのかも知れないが、こうやって考えてゆくと彼らの69年という年へのこだわりは、かなりのように思えてしまう。

 「The Best of My Love(我が至上の愛)」や「Desperado」に代表されるように、愛や友情を描いた曲も多いイーグルスだが、反面、上述の「Hotel California」をはじめ、痛烈な風刺や揶揄が入る歌詞を通して自分たち自身や社会のあり方、そして自分たちの祖国のあり方を問いかけ続けている。その証拠に最新アルバムである「Long Road Out of Eden(ロング・ロード・アウト・オブ・エデン)」でもイラク戦争や自然破壊、社会に対する思いを綴る歌詞が全体の2割ほどを占めているのだ。

 勿論、ボクが青年期だった頃は、イーグルスの曲をかじりつくように聞き入り、やがては当時組んでいたバンドでコピーして演奏をしたりで、ただただ「カッコイイ!」と思っていただけであり、当然その歌詞に込められた深い意味に気付くはずもなかった。
  しかし自分が年を食い、挫折を含めた多くの経験をしてゆく途中で、ふと歌詞カードを手にとってみると、様々なことに思いが巡る。そして、愛ばかりではなく、数が減ったとは言え、ロックには歌詞に込めたメッセージを通じて社会に問い掛ける姿勢が生き残っており、それを受け入れる土壌がファンの方にも残っているということが嬉しく思えてもくる。
 何はともあれ、名曲は何年経っても名曲であり、ボクはこれから死ぬまで幾度となくイーグルスの曲を聴くであろう。そしてその度に日本語訳された歌詞カードと「にらめっこ」をしつつ、その時の心で歌詞に込められたメッセージを解釈するだろう。今回はそのことを再確認させてくれた、素晴らしい「EAGLES TOUR 2011」だった。

         

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