中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

ならまち

2010-10-30 12:30:17 | 旅行
■平城遷都1300年祭に沸く奈良へ■

 「ならまち(http://narashikanko.jp/j/naramachi/)」とは、古都奈良の猿沢池辺りから元興寺界隈にかけての古い町並にある町屋を利用したアトリエや飲食店などが建ち並ぶ地区で、平城遷都1300年祭の立ち寄りスポットとしても注目を集めている。
 そんな「ならまち」に先日、久しぶりに妻と二人で向かうことになった。

■案内所■

 幸い、ナビ画面上に「ならまちセンター」というのが表示され、その周囲には駐車場も散在しているようなので、まずはそこを目指した。
 少し待たされたが、無事に駐車を済ませ、センター内にある案内所内に入る。

                  
                 ●案内所の中のカウンターにはパンフレット類が置いてある●

                  
                         ●散策マップも無料で配布されている●

 そして散策マップを片手にルートを考える。    
              

■散策開始■

 思案の末、まずはセンターのすぐ南にある西寺林商店街を西に向かうことにした。午後からの訪問だったので、とりあえずは良さげなお茶スポットを探しつつ徘徊し、途中でオモシロそうな店を見付けると中に入って覗いてゆくつもりだ。

                  
                            ●地元の酒を扱う酒屋さん●

                           
                        ●この手の町によくある復刻版のポスター●

 町屋を改造した店舗を巡りながら奥へと進んで行くと、やがては「もちいどのセンター街」という商店街に突き当たる。

                  
                           ●アーケードに掛かる提灯●

                  
          ●出発時はライバル同士だったハズの「せんとくん」と「まんとくん」は和解して並んでいる●

 通りを北上しながら歩いていると、天ぷら屋さんを発見する。天ぷらとは標準語言うところの「エビ天」に代表される天ぷらも関西では「天ぷら」と言うが、すり身を揚げた物(薩摩揚げ?)も「天ぷら」という。関西独特の言い回しで、他方面の人にとってはややこしい表現だが、我々関西人は単に「天ぷら」と言うと、すり身タイプの方を想像する人が多いと聞くが、これも個人差があるようなので、間違いの無いように頭に「~の」を付けて使い分けている。

                  
                            ●天ぷら屋の魚万さん●

 この店は屋号を「魚万」と言い、そのすり身を使用した天ぷらをテイクアウトできる他、スペースの制約があるが、その場でも食べられる店で、100余年続くというから結構な老舗だ。一番人気は「バターポテト」という、北海道産の短冊切りジャガイモと魚のすり身、バターを混ぜ合わせたものだが、今回は何故かお土産用にたまねぎ入りを注文することになった。


■高速餅つき■

 通りの最北まで行くと突き当たりになっており、その左手に人だかりが出来ていた。見れば関西地方を中心に「目にも止まらぬ?高速餅つき」で有名な「中谷堂」さんだ。

                  
                          ●「中谷堂」さん前の人だかり●

 最初のウチは「な~んだ、こんなモンか?」と思っていたが、後半は物凄いスピードで突き始めた。

                  
                            ●只今フルスピード!●

 突き終わると辺りからヤンヤの喝采がわき起こり、人だかりがヨモギ入りの餅に吸い寄せられてゆく。だけど、何だかその勢いに圧倒されて、買わずじまい。後で少し後悔をする。


■猿沢池■

 中谷堂さんの前を東へ向かうと、そこに「猿沢池(さるさわいけ)」がある。この池は天平年間に興福寺前に作られた人工池であるらしいが、「澄まず、濁らず、出ず、入らず、蛙はわかず、藻は生えず、魚が七分に水三分」という七不思議があるという。

                  
                                ●猿沢池●


■「何となく」怪しげなゾーン■

 猿沢池をかすめて南下してゆくと、そこには何となく「怪しいゾーン」の香りが立ちこめていた。

                  
                          ●怪しげゾーンへの入り口か?●

                  
                               ●民芸品店●
                  
                           ●インド舞踊公演のポスター●

 しかし、期待していたほどの怪しさはなく、言わば「ミディアム」程度であった。そして、程なく先程の「もちいどのセンター街」に合流してしまった。


■南側へ■

 もちいどのセンター街を南に向かって歩き始める。

                  
                        ●もちいどのセンター街の最南端あたり●

 センター街を抜けた先に「吉野葛(よしのくず)」を使った葛切りを出す茶店を発見!。

                  
                            ●佐久良(さくら)さん●

 店内は満席だったので、吉野本葛を使用した葛切りを購入し、土産とする。

                  
                       ●ならまちでは「ガシャポン」も雰囲気満点●


■元の通りに戻る■

 アレコレ歩いた後、西寺林商店街に戻って町屋を改造した喫茶店でお茶をする。

                  
                           ●店名は「---」忘れた!●

 内部は畳敷きの座敷になっており、そこにお膳が並んでいる純和風の喫茶店だった。


■ならまちについて■

 噂通りの古い町並だったが、古民家や町屋が総数では割と多く残っているものの、予想していた空間とは違ってそれがまばらであり、合間に普通の現代建築が並んでいるので、雰囲気が連続していない。これが京都なら例えば清水寺周辺のように雰囲気が揃って連続するところも多くあるから、それが同じ古都でも大きな違いになるだろう。さりとて普通の市民の暮らしがそこにはあるワケで、今更建て直せとは言えるはずもない。
 しかし、大阪近郊からは生駒山のトンネルを抜ければヒョイッと行ける距離であり、気軽に観光できるのは有り難い。奈良と言えば寺院ばかりに目が行くが、ここに来ると新しい発見がある。その点は間違いのないところだ。
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見たいモノと見たくないモノ、そして見なければならないモノ

2010-10-23 12:30:07 | その他
■救出劇■

 チリの鉱山で起きた落盤事故とその救出劇。暗黒の空間に閉じこめられたことに耐えた彼らが無事救出される様子は、TVの報道番組はもとより、ワイドショーでも採り上げられ、それを見つめていた者からは、「彼らに感動と勇気を貰いました。」等、そのコメントは、まるで映画を見た後のようなの声も聞こえてくる。
 ボクも「無事で良かった」と素直に拍手を送った人間の一人ではあったが、それとは平行して、特に救出作業が本格化してチリ国旗が大きく掲げられたあたりから、少々の不安を感じていた。
 調べれば、この事故が起きるまでチリのピニェラ大統領の支持率は降下を続けていたが、この救出が本格化し始めた頃からは急上昇しているそうだ。
 マトモに見れば、陣頭指揮を執った大統領の求心力が高まるのは道理としては間違ってはいない。しかし、実際、チリ議会の野党からは追及されているようだが、ピニェラ大統領は自身が救出劇の主役になるために、欧州訪問予定日より前に閉じ込められた作業員が救出されるよう、予定を変えさせて強行したという嫌疑を掛けられているそうだ。コレが本当だとしたら正に33人の命は「プロパガンダ」に利用されているということになるし、実際に関係者周辺から「人気取りに使うな。」との批判の声が作業途中から現在も上がり続けているそうだ。
 また、象徴にもなっている救出カプセル「フェニックス」の投入も事故発生時には「もっと簡易な別モノで良い」と政府が判断していたのに、それが今や上海万博のパビリオンに展示するというところまで方針が変わっているようだ。

 ボクらはほとんどの場合で日本の報道を見る機会しかないのだが、その様子を見る限り、一度注目を浴びるモノを見付けると、一斉に集中砲火の如く取材攻勢が加熱するようだ。
 エスカレートは、この事故が注目されて以来ずっと続いており、救出された人々の周辺に礼金という次元を越えた”報酬”として金を要求されながら取材を続けているという。そんな流れの中、本来は報道陣が入れないよう、警察官がガードしている病院の内部を取材するために、親族にホームビデオを持たせて隠し撮りさせるTV局まで現れたが、これには「コレはチョッと行き過ぎだな」と思わざるを得ない。「それをどのように依頼したのか?」を考えると、やりきれない気分になるし、映像を見る限り入院している本人がカメラに気付いている様子がなかったため、「同意を得ていたのか?」という部分にも疑問が残るのだ。
 更には、これは日本人記者のことではないらしいけど、中にはより良いカメラ・アングルを得るために報道機関同士で金を掴ませようとする動きまであったそうだ。
 救出された33人は現在、ヒーローとして扱われているそうだが、別の会社からウチで働かないかとの誘いや、各種のチケットプレゼントをする企業など、様々な売名行為が持ちかけられており、さらには映画化の話もあるそうだ。
 正に状態はバブルである。しかし話題性がなくなり、誰も採り上げなくなった時に彼らがどうなるのかを考えると、現状の加熱しすぎる対応は無責任であると思う。もしも、持ち上がるだけ持ち上げられた後に梯子を外されたとしても、彼ら33人全員がそれに耐えてくれることを望むばかりだ。

 反面、その裏では、大きく報道されていないことがある。実はチリの鉱山には以前から指摘されている危険箇所が多くて、今年に入っても30人規模の死亡事故が起こっているし、過去にも04年、07年にも大規模な鉱山事故が相次ぎ、多くの命が失われているが、有効な手だてをとってきていなかったそうだ。
 また、33人が救出された鉱山では361人が働いていたが、一部の作業員を除き、10月初旬に、ほとんどの人に解雇通知が届いたそうだ。そしてその人達に退職金は支払われていない。更には次の仕事もなく、政府から何の援助もない。サンホセ鉱山では17日、33人全員救出に感謝をささげるミサが行われたが、解雇された作業員たちは、参列も拒否されたそうだ。
 救出された33人はヒドイ目にあった分の保証を経営側に、と言いたいところだが、この場合は既に廃坑となって保証能力はないだろうから、チリ政府が肩代わりすべきは当然だとは思うが、そういった裏にある事情を知れば「大きく報道されて世界の注目を浴び、その結果手助けされるべきは、裏側も同じではないのか?」とも思ってしまう。

 国が変われば事情も違うし感覚も違う。だから日本人の目でチリの鉱山事情を判断することは難しいのかも知れない。しかし”救出劇”を見る(見た)人が演出された内容に感動し、更に「何か物語はないのか?」を期待すればするほど、取材はウケる方に向かってエスカレートしてゆく。そして、それと同時に如何にも人間臭いイヤな部分も、より多く見えてくるだろう。
 様々な情報が溢れる中、「見たいモノと見たくないモノ、そして見なければならないモノ」は得てして同じ場所にあることが多い。だからこそ我々は、感情に流されない、大きく客観的に俯瞰する目を常に鍛えておかなくてはならないと思うのだが、どうだろうか?。

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イベントは多々あれど…

2010-10-16 12:30:32 | その他
■ええじゃないか■

 先日、近代史の本を読んでいると幕末期の一大ムーブメントの一つである「ええじゃないか」についての記述があった。
 この「ええじゃないか」は時代劇にも時折描かれ、歴史の教科書でも触れられているが、その内容は、「『天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ』として、民衆がみんなで『ええじゃないか』を連呼しつつ踊った」という程度に紹介されている。
 しかし、実際にはもっとハチャメチャであり「ええじゃないか」に続く言葉は地方によって違いはあるが、ココでは書けないような卑猥過ぎる言葉もあった。民衆は仕事も放り出して集団トランス状態の内に踊り狂いつつ、仮装までして町や街道を練り歩き、正に「酒池肉林」の状態にふけっていたようだ。
 そして、その発端は一説には「薩長」の幕府転覆計画の一部であったとも言われている。

 この「ええじゃないか」の実態を知ったボクは、つい現代の「クリスマス」を思い浮かべてしまった。


■クリスマス■

 日本においてクリスマス関連行事が一般化されていったのは1900年頃、東京銀座のデパートが大売り出しに利用し始めたのがキッカケということだそうだ。だからキリスト教徒が祝っていた「本物」以外の一般は、最初っからそういう俗な「紐付き」のスタートを切っていたのだ。
 そんなことは全く知らなかったが、団体行動が苦手で「右向け右」と言われれば「右向け左」をやってしまうボクのような人間にとって、ずっと昔から日本での12/24~25日にかけての状態に対しては数々の疑問があった。
 関連行事が当たり前になり、プレゼントを待つ子供たちが多くいる中、クリスマスに向き合う姿勢そのものは個人の自由だから何も言わない。しかし、キリスト教信者であれば日頃からの神との繋がりから「聖なる日」と感じるのは当然の話だが、そうでない人達が何故「聖なる日」と感じ、何故ロマンテックな気分になれるのかが理解できないのだ。そういう人達の心理は不届きにも「キリスト教における神を日本に古来からある八百万の神々と同列に思っているのだろうか?」とも考えられるが、本当のところは映画やCM、歌、etc…それらの繰り返しによる刷り込みだろう。だとしたら、情報操作による一種の集団催眠であるから、何となく空恐ろしいモノがある。

 更には、日本ではそんなロマンチック?なムードに便乗してホテルの中でバチ当たりにも「性なる日」を過ごそうとたくらむ人の多いこと、特にバブル期には(今もかな?)つきあっている彼女も居ないのに1年前から高級ホテルに12月24日分の予約を入れる人達が居たから、それに賭ける意気込みたるや、凄まじさまで感じてしまう。
 そういえば、先日、NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組を見ていると、江戸時代後期の「お蔭参り(お伊勢参り)」の様子を紹介していた。その道中でも既婚、未婚、男女の区別無く、乱れまくっていたそうだ。それこそ道端でもそんな光景が見掛けられたようだから、この旅が今で言うところのアバンチュールを楽しむ旅であったことがうかがい知れる。
 この「お蔭参り」の乱れようと幕末の「ええじゃないか」での乱れよう、そして現代の「クリスマス」の実情とを重ね合わせれば、どうやら我々日本人の心のどこかに「神聖なもの」と、一番俗なる「営み」を結びつける心理が脈々と潜み続けていることが見えてくるから笑ってしまう。昔からポルノやAVに「尼さんモノ」や「喪服モノ」のジャンルがあるのは「そのせいだったのか?」とまで勘繰ってしまった。


■ハロウィン■

 今月末にやってくるという「ハロウィン」というイベントがある。
 調べてみると、ケルト人にキリスト教を普及させる際に、その地にあった土着信仰の上にキリスト教の教義を被せたことに始まり、更には翌日の11月1日が諸聖人の日だったことから、その前夜祭としての意味を上乗せして現在に至るということらしいが、そんな経緯もあってか、諸聖人の日を優先するカトリック教徒が多い地域では「宗教的意味はない」として、あまり普及していないようである。特にロシアではロシア正教の司祭が「死のカルト」であるとして批判しているということであるし、公立学校内で普及しないように教育省が通達まで出しているということだ。
 その理解し辛い成り立ちと、今でこそ警察の規制が入って下火になったとは言え、数年前の外国人+便乗日本人による東京のJR手線や大阪のJR環状線を占拠しての迷惑行為が「負」のイメージを作り出しているから、へそ曲がりとしてはつい拒絶してしまうイベントの一つだ。
 日本では近年、スーパーなどでは「ハロウィン・コーナー」として用品が販売されていて、そこに「Happy Halloween」と掲げられているが、黒とオレンジが基調になったその毒々しい色合いは、まるで「オレを食うと死ぬぞ!」と警告する毒虫の配色のようで、その品々を眺めるほどに、これのどこがハッピーなのかボクには全然理解ができないでいる。

 それはさておき日本での展開は、一部で町興し的な仮装行列イベントがあるものの、ほとんどの場合で集客なりグッズの販売なりと、後ろで商売と紐で繋がっているのが見え見えだ。
 そんな中、小さなコミュニティ内では「仮装した子供達が『トリック・オア・トリート(Trick or Treat)』と訪問先で唱えると、お菓子がもらえる」という活動?をしているようだが、知り合いでもない家に、打ち合わせなしでインターホン越しにそれを唱えても、誰もがお菓子をくれるほどには普及はしていないだろう。それどころか、「トリック・オア・トリート」は「イタズラされるか、もてなすか?」の意だが、多くの場合で本当のイタズラと思われてしまう可能性の方が高いと思う。現状ではそれほどの広がりはないものと予想しているが、その裏付けにスーパーやホームセンターの売り場面積は、ここ近年でそれほど広がっている様子はない。

 まぁ、現状の「子供のイベント」として受け止めればどうってこと無いのだろうけど、JRでの事件は大人の仕業だ。だからボクは「仮装」+「バカ騒ぎ」という繋がりで、ついつい上述の「ええじゃないか」と関連づけてしまった。


■紐付きのイベント達■

 商魂たくましいイベントとしてバレンタインデーのチョコレートの話もあるが、この件はもう語り尽くされているから、ココでは書かない。だが、商売絡みで利用されているイベントは、何も外来種ばかりではない。毎年2月にやってくる節分の「恵方巻」がそうだ。

 「恵方巻」とは節分に、その年の恵方に向かって巻きずしを無言で丸かぶりするという行事で、そのルーツは大阪「船場の商人」の習慣とも、海苔問屋の習慣とも言われているが、実のところ定かな根拠はないと言われている。
 因みにウチは万延元年(1860年)創業の昆布問屋がルーツであり、以来昆布と関わり続けて150年にもなる。昆布とワカメ、そして海苔は言わば親戚のようなものであるから、その商習慣などは共通する。それに船場周辺で昆布関連の製造卸をしていた時代もある。しかし、ここ近年TVなどで採り上げられるようになってからはともかく、以前はそんな習慣は聞いたことすらなかったし、子供の頃にバリバリの船場商人の婦人であった祖母に食わされた経験もない。念のために母に確認したこともあるが、「そんな習慣は全くなかった。」と答えていた。だから、もし元になるイベントがあったとしても、それは極ピンポイントの「お遊び」程度だと予想され、ボクとしては諸説ある中の一つである「単なる海苔関連業者のキャンペーン説」をとりたい。
 しかし、この「恵方巻」は大きく世間に紹介され始めてからそんなに時間が経っていないのに、最近の記述では既に「伝統行事」とされている。節分だけに「鰯の頭も信心から」で始まったのかも知れないが、その普及スピードたるや「恐るべし」である。


■昔からの国民性?■

 成り立ちや経緯を自分で考えることをせず、ワケの解らぬ間にこういった「楽しげな」イベントに「我も我も」と集まる心理は、我々日本人の心理には古くから内在していて、今も継続されているようである。
 こういった動きはバブル期のように景気が良いときにも起こるが、「ええじゃないか」の時代は社会不安や、抑圧に対する爆発だった。それでも上述したような単なるお遊びであれば、気に入らなければ参加しなければいいだけのことなので全く問題はないが、大きな実害が出ることもある。
 戦前は「バスに乗り遅れるな」のスローガンを掲げた新体制運動の下、国民総出でアジア進出に躍起となった時代であり、それがあの大戦争に繋がった。そして土地神話やバブル景気とその崩壊は記憶に新しい。これらが良い例だろう。

 今度一大ムーブメントが起こるのはどのタイミングなのだろうか?。その結末が、単なるへそ曲がりの野暮な親父がボヤけば済む程度であればイイのだが…。

 ハーメルンの笛吹き男の話は以前に書いたから、今度はピノキオの話を…。
 勉強と努力が嫌いなピノキオは、すぐに楽しげな話に乗って騙される。周りには忠告をする者もいるが、それを聞かずにひたすら突き進み、次々にヒドイ目にあってしまう…。(原作では本当に死んでしまうらしい)その後、物語では爺さんと再会し、改心して人間にしてもらえるが、現実社会なら取り返しがつくかどうか…。あ~オソロシや(でも、深読みのしすぎかな?)
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渓流釣り ~今シーズンのまとめ

2010-10-09 12:30:14 | 渓流&管理釣り場での釣り
■今シーズンの成績■

 今シーズン中に仕留めた尺オーバーの渓魚は31~40cmのイワナが5本、31~33cmのヤマメが2本だった。生まれて初めて渓流というフィールドにデビューしたのが昨年だから、通算2年目、しかも今年度の釣行回数が9回しかない中でのこの釣果は、ボクとしては納得できる成績だ。
 成績上昇の要因を探ってみると、「仕掛の振り込み」「仕掛の流し方」といった動作や「ポイントの読み」といった洞察力には多少の向上はあったものの、大きな変化はなかった。反面の大きく向上したのが「魚が掛かった後のやり取り」だった。
 具体的に言うとポイントは2点あり、「最適なタックル選び」と、それを信頼しての「強気のやり取り」だ。
 次項で今シーズンの釣りを助けてくれた手持ちのタックルについて紹介しようと思うが、何しろこの釣り以外では30年近いキャリアがあるものの、渓流釣り歴は2年であるし、サクラマスやサツキマスのような海降型の超大型(40~60cmオーバー)ヤマメやアマゴを狙っているわけではないので、その分は差し引いていただきたい。また、本来はグレ釣り師のボクが見た竿の性能評価は、渓流釣り専門の人とは違った展開になるのかもしれないし、キャリアのある人には物足りないモノになるかも知れないことを了承していただきたい。ただし、これから(来年度から)渓流釣りを始めてみようかという人にとっては「同レベルから見た評価」ということで役に立つとは思うのだが…。


■ビビッド・トップ■

 昨年は他社製が一部混じっていたが、昨シーズン終了後にヤフー・オークション等で売りさばいて整理した結果、ボクが今シーズンに使用した竿は全てがシマノ製になっていた。これは元々ボクがシマノ党であるということもあるが、それよりも「ビビッド・トップ」という穂先が各モデルに搭載されており、その効果が絶大なことが大きい。
 「ビビッド・トップ」とはシマノ製の渓流竿の一部に搭載されている、極端に柔らかいソリッド製穂先のことだ。メーカーのうたい文句では「無抵抗感覚でくわえた餌を放さない」、「自在なテンションコントロール性」や「掛かった魚も竿の抵抗が少ないので暴れさせない」とあるが、何よりもボクが一番のメリットに感じていることは「ミミズ(キヂ)をサシエサに使ったときのアワセ易さ」だ。釣具店でいつでも手に入るミミズ(キヂ)エサは、持参し、使用する確率が高い。従ってこの恩恵にあずかる機会は多くなる。
 海でのチヌ釣り等でも同じだが、虫餌(海の場合はゴカイやイソメ類)のような細長いエサを使った釣場合、前アタリから始まって食い込むまでに少々時間がかかる。これは魚が一度端をくわえてから吸い込むようにして飲み込むからだと思われるが、こと渓流釣りの場合は穂先でアタリをとるため、穂先が硬いと魚が違和感を感じて放すことがあるように思う。その点「ビビッド・トップ」搭載モデルは従来型の穂先搭載モデルよりもゆっくりと食い込ます余裕が産まれるので、その点で非常に有利になる。ボクの場合はあらゆる釣りにおいて意図的に遅目のタイミングでアワセることが多く、ついそのクセが出てしまいがちなので、その意味でもこの穂先との相性は非常に良い。


                     
                         ●3本所有している「ビビッド・トップ」搭載モデル●


■翠隼60ZK■

 それほど奥深い渓流に向かわないボクが、川幅が10m以内の河川でメインに使用している竿だ。

                     
                               ●実勢価格¥32000前後●

 上述した「ビビッド・トップ」を搭載したモデルで、ボクの一番のお気に入り。「S中硬」という調子表示され、適合水中糸が0.125~0.6と表示されているが、そんなにワイドな感じでもなく、0.25~0.4号くらいが一番バランスが取れてオイシいところだと思う。
 魚を掛けるまでは、割にシャンと張った胴部の先に極軟トップが着いている感じで、振り込みもピタリと決まるが、それでいて一度魚が掛かると先側が4.5:元側が5.5くらいのバランスになり、多少の大型サイズであってもそれを崩さずに胴までキレイに曲がり込んでゆく。勿論小型を抜く際もブレずに魚が飛んでくる。
 一時、このモデルの下位にある「渓隼」の5.5mも所有していたが、そちらも似たような調子であり、「ビビッド・トップ」などの基本性能は受け継がれている。カーボンの質の差で、曲がった後に起き上がる力はやや不足するが、それを意識して自分の力で起こしてやれば問題はないので予算がない場合にはそちらもお薦めだ。

■翠隼本流70-75ZZ■

 川幅15m前後、例えば高原川本流であれば、浅井田ダム上流部の区間でメインに使用中。

                     
                               ●実勢価格¥37000前後●

これも「ビビッド・トップ」を搭載。上述の翠隼60ZKと同じ「S中硬」という調子表示されているが、長尺仕舞設計のためか、それよりもやや胴が張っており、その先に極軟トップが着いている感じだ。適合水中糸は0.3~0.4号くらいが一番バランスが取れてオイシいところだと思う。魚を掛けてからは本流竿一般にあるような胴調子ではなく、先側が4:元側が6くらいのバランスで曲がり込む。この竿での最大サイズはイワナの34cmだったが、その際の寄せの性能も問題なかったし、勿論小型を抜く際にもブレずに魚が飛んでくる。


■翠隼本流75-80ZZ■

 川幅20m前後、堰堤部、淵等、例えば高原川本流で言えば神岡町より下流部の区間でメインに使用中。

                     
                               ●実勢価格¥40000前後●

これまた「ビビッド・トップ」を搭載。上述の翠隼本流70-75ZZより50cm長いだけだが、重量差が30gあって振った感じや保持する感覚はかなり重い。その他の感覚は70-75とほぼ同じ。ボクの場合は先にこっちを購入した後、「少しでも軽い竿を」ということで70-75を購入したが、重さが我慢できるのなら、これ1本のみで充分だと思う。もし2本揃えるのなら、追加になった80-85と、70-75を買った方がイイと思う。
 この竿での最大サイズはイワナの40cmだったが、全く問題なく取り込めた。勿論小型を抜く際にもブレずに魚が飛んでくる。


■ウルトラゲーム カゲロウ SUL 70-75ZX■

 川幅15m前後の河川で、魚がスレていると判断した場合、もしくは他人が入った後に使用。

                     
                               ●実勢価格¥35000前後●

 今年の春に廃盤になったモデルなので、実勢価格よりは購入できた。いわゆるゼロ・ロッドで胴から曲がる竿だけど、ハエ竿のようにベロンベロンではなく、この分野の中では何となく硬目に思える。だから0.1号の水中糸を使う気にはなれず水中糸0.125~0.2号を使う際に使用中。その範囲ではベストバランスだと思うが、何しろ釣ったサイズが25cm止まりなので、何とも言えない。残念ながら「ビビッド・トップ」は非搭載なので、次モデルへの搭載を期待したい。(上位モデルには搭載されているものの、メインロッドではないので、予算をかけられないのだ。)


■渓流ウルトラゲーム SUL 55-60ZX■

 川幅10m以下の河川で、魚がスレていると判断した場合、もしくは他人が入った後に使用。

                     
                               ●実勢価格¥18500前後●

 この竿もゼロ・ロッドだけど、上述の「カゲロウ SUL」と同様に何となく硬目に思える。従って同じように水中糸0.125~0.2号を使う際に使用中。この竿もその範囲ではベストバランスだと思う。掛けた最大サイズはイワナの30cmオーバー(実際には玉入れ寸前にハリハズレ)だったが、問題は無かった。これまた残念ながら「ビビッド・トップ」は非搭載なので、次モデルへの搭載を期待したい。


■その他の竿■

 ほとんど使用しないが、「もしも」に備えて携行中の竿もある。

                     
                         ●「本流スーパーゲーム MH 80-85ZV」●

 翠隼本流で獲れそうにもない大型が出る場所を想定して、某中古釣具チェーン店でデッド・ストック物の新品を格安で購入。しかし残念ながら使う場面に遭遇していない。

                     
                             ●「刀翠 硬調 51-56ZE」●

 滅多に行かない渓流奥部を想定して、これまた某中古釣具チェーン店で美品中古を格安で購入。一度使用したが、さすが硬調だけあって小型はスッ飛んでくる。だだし、奥に潜む大イワナ等には未だ遭遇せず、その実力は不明。


■気付けば竿は増えており…■

 振り返ると、いつの間にか竿が増えていた。それもこれも、自分が行く場所を想定してのことだ。釣り人には様々なタイプが存在しており、「メインの竿はこれ1本!」と、自分のスタイルを貫き、そのスタイルに合う魚を追う人が居るが、ボクの場合は適材適所、「その場にいる魚の事情に合わせる」というスタイルだ。よって道具はドンドン増えてゆく。これはシマノのカタログコピーで言うところの「適竿適所」だが、まんまとそれに乗せられているボクなのである。そして、来年になると、また増えているような…。今から考えるだけでオソロシイ今日この頃なのである。
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今期渓流最終釣行

2010-10-02 12:30:17 | 渓流&管理釣り場での釣り
■禁漁期を控えて■

 3月の解禁以来、各地で様々な思い出を作ってくれた渓魚とも10月1日(一部を除く)の禁漁をもって一旦のお別れとなる。
 当初は前回の釣行で最終にしようかとも思っていたものの、ポカッと日曜日の予定が空いてしまった。「常に動いてエラに海水を通さないと死んでしまうマグロ」のような性格のボクにとって、そんな日に「な~んにもしない」と、熊のプーさんのようにジッとしているのは我慢できることではなく、慌てて釣行を決意した瞬間に勝手に腰が浮いていた。
 アレコレ迷っているヒマはなかったので「大河川であれば、どこかに入るスペースがあるだろう。」と、以前に2時間ほど攻めただけだった「木曽川の最上流部」を目指すことにした。


■急転直下■

 釣行当日の朝、入渓地点に到着後、仮眠をとっているとあまりの寒さに思わず目覚める。外気温をチェックすると7度しかなく、先日までの猛暑もどこへやら。急転直下の気温降下で二歩も三歩も季節は前へ進んで「間は無いんかいっ!」と、ツッ込みを入れたくなってしまうが、どちらかと言えばこの気温の方がマトモであり、少なくとも熱すぎるよりは渓魚にとっても、デブったボクにとっても良い兆候である。車のラゲッジから寝袋を取り出し、くるまりつつ夜明けを待った。

                   
                       ●車の外気温計(上段左)は7度を指していた●


■木曽川上流部■

 前回訪れた際には時間が少なくて攻めきれなかったので、スタート地点は同じであっても、ボクにとっては未知である、上流部へと更に釣り上がるつもりで入渓した。

                   
                             ●朝靄の立つ夜明けの河原●

■出足好調■

 一匹目はすぐに目印を引き込んでくれた。ポイントとしては当たり前の、水中に沈んだ大石の裏だった。

                   
                  ●付近には平瀬が多いが、この区間の底質は変化に富んでいる●

 本日初物としてはイキナリの抵抗を示したが、0.25号の糸を切ってゆくようなサイズではない。今年最期の一日の始まりを味わおうと、ゆっくりとやり取りをして無事に玉網に収まったのは、意外に良型であり、25cmクラスだ。

                   
                    ●稚魚放流から大きくなったであろう、ド派手な朱点のメス●

 シーズン最終段階に来ても残っているアマゴは当然ながらスレている。だから一つ一つのポイントをじっくりと時間を掛けながら攻めることを心掛けつつ、更に釣り上がっていく。
 そして、更に少し上流の区間にほどよい石裏の変化を見付けた。

                   
                          ●石裏に泡立つ流れ付近がポイントだ。●

 そこに仕掛を投入。本流との流れの縁を丁寧に流していると、今度は目印の動きが停止した。すかさず合わせると、マズマズのサイズのアマゴが登場する。今度はどうやら天然育ちのオスのようだ。

                    
                          ●朱点がキレイに散った23cmのオス●


■区間の終わり■

 その後はポツポツながら、順調に釣果が伸び、機嫌を良くしながら更に上流を目指した。そして少し距離を置いて2段になった堰堤の区間へと差し掛かる。そこから上流に目をやると、フライをしている釣り人が2人見えたので、どうやらこの区間の釣りはココで終わらなくてはならないようだ。

 堰堤下流には角ブロックが整然と並んでいる。全般を見回すと、両サイドの川縁がやや深く掘れ込んでいるので、そこがポイントになりそうだ。
                  
                   
                        ●堰堤下をよく観察すると、両サイドが深い●

 空はピーカン状態なので、それまでよりも更に仕掛を細く、0.2号まで落として攻めてみる。しかし、この判断が最終的にはマズかった。下流側から慎重に攻めてゆくと、当初は小型のアマゴが数匹掛かる。そして一番上流側にある、最初の落ち込みで目印が止まると同時に竿全体を通して「ゴンッ!」という衝撃が伝わった。
 相手は溝になった部分を下流へと疾走するが、両サイドのポイントを攻めるために川のド真ん中に立っていたために魚に合わせてコチラが走ると、ブロックの切れ目で確実に深みにハマって流されてしまう。ココは一か八かその場で踏ん張り、竿全体を絞り込んで疾走を止めるしかなさそうだ。
 しかし、0.2号の仕掛に交換していることが頭をよぎってしまう。その一瞬の迷いを衝いて相手は深みへの落ち込みに全力で入ろうとした。その瞬間、竿先は天を突き、弧は解消されてしまった。痛恨のバラシである。

 その後は小型のみ、何も得ることがないままに、この区間の釣りが終了した。

                   
                        ●手にしたのは15cm以下の豆クラスのみ●


■巴淵■

 ココまでで釣り上げたマトモなサイズのアマゴは全て婚姻色が出ており、産卵は近いようである。その様子から、「アマゴ達は産卵絡みの行動で更に上流へ向かったのであろうか?」という考えが頭に浮かんだ。しかし、まだまだ時間がある。一旦、淵部分へ様子を見に行き、「答えが出そうにないのなら、一気に上流へ向かおう」という考えの下、淵が連続する「巴淵(ともえがふち)」近辺へと車を走らせた。

 因みに巴淵とは、平家打倒の兵を挙げた木曽義仲(きそよしなか)の妻、巴御前(ともえごぜん)が水練のため幼少期に泳いだ淵とも、ただ単に回る渦が巴模様に見えるからとも言われる淵であり、木曽路の景勝地としても知られている。

                   
                                 ●巴淵の石碑●

 淵が見下ろせる橋に立ち、様子を伺っていると、真下にいるフライ・マンがドンピシャのタイミングで魚を掛けているではないか!。

                   
                         ●フライ・マンが、やり取りの真っ最中●

 ゲットしたのは25cmクラスのアマゴのようだ。これを見たボクは、単純にも「淵に魚が入っているかも?」との判断に至る。そしてしばらく上流に車に走らせた先にある、淵などの水深があるポイントが続く区間へと向かうのであった。


■最終区間■

 この区間は淵や深瀬が平瀬で繋がりながら連続している区間で、それはそれは見事な景観を成していた。しかし…。

                    
                                  ●この区間も●
                    
                                  ●この区間も●
                    
                                  ●この区間も●
                    
                                  ●この区間も●
                    
                              ●せいぜいこのサイズが限界●

 小型は多数居るものの、どうにもこうにもサイズが伸びず、オマケに降り出した雨が強まってくる。このままでは増水して帰られなくなってしまいそうなので、ココは諦めて退渓を決意した。


■この日を振り返って■

 結果論ではあるが、当初の思い通り魚はどうやら産卵のために上流を目指していたようだ。「巴淵のアマゴ」を見たがために判断がにぶってしまったが、帰宅後に、この日の釣りを振り返っている最中に、その昔にブラックバス釣りをしていた頃に覚えた「シーズナル・パターン」というモノを思い出していた。これは産卵場所を基軸として、シーズンごとのブラックバスの動きを指すのだが、それを推測し追跡することで、より魚に出逢う確率を高めることができるのだ。
 渓魚の場合も多分同じで、秋の産卵場所が上流部や支流にあるとすれば、やはりそこへ向かうのが正解であった。それは頭では理解していたつもりなのだが、ついつい他人の魚を見たことでスケベ心を出した自分に反省することしきりである。
 だが、次に生かそうとしても時間切れであり、来年までは試す手段もない。しかしながら、昨年も迷った挙げ句に同じ失敗をしていたような気がする…。毎年のようではあるが、「来年こそは!」と決意を新たにした今期最終釣行であった。
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