中島ブラザーズ ”弟”の「外で遊ぼう!」

近頃は日本海で、ヒラマサを追ってばかり。よって磯釣りや渓流釣りは休止状態ですが…。

養老港発の沖釣り

2012-05-26 12:30:00 | 船釣り・釣行記
■答え合わせ■

 インターネットが普及した今は、自分が沖に出て釣っていた日と同日に、同じ海域に出ていた船や釣り人の釣果をある程度知ることができるから、そこで得た情報と、当日に自分が使った仕掛けや釣法と釣果を振り返って「答え合わせ」ができる。こういったことをボクは釣り終わった後に行い、次の釣行でよりよい釣果を得る手がかりとすることが多い。
 こういったホームページの見方をしていると、単なる釣果の多寡による比較ではなく、船長がどういった判断で釣らせていたのかがある程度理解できるし、船長自身の”釣りセンス”的なものも見えてくる。
 また、釣果が伸びている船は、当然ながら、現地でも「良いところに船を掛けているな~。」と思うことが多い。(やや「隣の芝生」の感があるのかも知れないが…)
 今回乗船した「MAYUMI丸」さんも、そんな船の一つであったが、これまでに何度か予約を入れようと電話を入れていたものの、その度に予約が詰まっていて乗る機会を失していた。しかし、タイミングが合って、今回ようやく乗船にこぎつけた次第である。


■養老港■

 MAYUMI丸さんの出港地は丹後半島の中間、船を係留する施設と家屋が一帯になった舟屋という建物が浜に並ぶことで有名な伊根地区に近い養老という港だ。ここから出港し、このブログで何度も紹介している経ヶ岬沖の白石グリをメインに攻めているが、何分、経ヶ岬に近い分だけ航行時間が減るので、船中の暇な時間が省けるのが有難い。
 養老港へは、現時点での丹後半島方面への高速道の最終出口である「与謝天橋立インター」ど降りた後、宮津市街を抜け、風光明媚な海岸線を走ること約15分で到着する。

●アプローチ道から見える「天橋立」●


●アプローチ道から見える「冠島」●


■白石グリへ■

MAYUMI丸は午前10時に出航し、白石グリへと向かう。近頃、白石グリでは入漁ルールの厳守が求められ、海上保安庁の監視も厳しくなっているそうだ。従って午前11時まではアンカー入れが制限されているため、その時間に合わせての航海では余裕の時間内に到着する。
 そして午前11時、白石グリ周辺に集まった釣り船が、一斉にアンカー入れを開始し、ポジション確保を行う。

●付近に集まった釣り船は30隻ほど●

 開始当初、MAYUMI丸は直下の水深が73mのラインに入って、白石グリの40mラインへと仕掛けを流し込む位置取りをした。

●日没までの道のりが始まった。●


■腐れ潮■

 期待を込めて第一投のハズだったのだが、初っ端から以後の展開に暗雲が垂れ込める状況になっていた。
 そもそも白石グリでは西から東へと流れる潮で食いが立つとされているのだが、ほとんど潮の動きが無く、東よりの風が吹く中、最上層の潮がそれに押されて西へと僅かに流れる程度の潮の動きしかなかったのだ。仕掛けの流れを確認すると、風に押されて少し西へ向かっても、ある程度沈んだ後は船の真下へと沈んでゆくという、最悪の状態だった。
 流し初めて以降、ハリに装着したエサが時折取られるものの、海中からは活性のかけらも感じない状態が続く。そして船長さんからは「こんだけの腐れ潮も珍しいの~」という言葉がついに発せられる始末だった。


■直下の攻め■

 開始から2時間ほどの間で、船長はアンカーを打ち直して位置の修正を繰り返していたが、好転することはなかった。周囲も同じ状況のようで、気付けばあれほど周囲を取り囲んでいた船影は見事に散り散りになって、ポツポツ程度しか見かけなくなっていた。
 ここで船長は40mラインの浅場に移動するという判断を下す。ボクの頭の中では「『魚が住処である浅場からマキエサ釣られて出てこない以上、真上に行って、たまに浮上してくる魚を狙う』という、イメージなのか?」と解釈し、移動中はそのイメージにあった釣法を考えていた。
 ボクの考えた攻略法は…
 「これだけ弱い潮流の中に通常の仕掛けを落とすと、沈みすぎて根掛かりが多発するだろうから、道糸とハリスの継ぎ目=サルカン部分に発砲ウキを装着して、その大小で沈むタナや落ち込みの速さを調整し、エサ取りの中から本命魚が浮上してくるのを待つ」
という、チヌの落とし込みのようなパターンだった。
 手たぐりで強制的に30mをリールから引き出した糸が馴染んだ後は、1分間に1mしか落ちてゆかない”超遅潮”の中で、調整を繰り返す。落とし込む距離は水深分40m+糸フケ分10mとして、そこまでの間で「時折エサが取られる」浮力を導き出すという、努力を続けていた。
 何度も繰り返すうち、ようやく道糸が走ってアタリをキャッチする。しかし、小型のマダイであり、引きを楽しむどころではないサイズにガッカリとする。

●35cmのマダイ●

 それでも、「アタリがあったということは、方法には間違いがない。」とし、信じて続けていると、またもやアタリが…。
 今度は引きも強く、楽しめる展開にボクの表情も柔らかくなる。何度かリールから糸を引き出す走りをみせるのをいなした後、無事に玉網へと導いたのはメジロだった。

●70cmほどのメジロ●


■遅れてきたメダイ■

 浅場の状況も大したことがないので、付近で移動を繰り返し、あちらこちらに探りを入れてみたが、好転することはなかった。
 仕方なく再び浅場に戻ってきたが、この時点での船長判断は「夕方にイサギが来るかも?」というモノに変わっていた。
食えばおいしいイサギだが、やりとりの最中にファイトしない魚はボク的には苦手である。しかし、この状況では仕方がない。潮流の動きの無さは相変わらずだったが、気持ちを切らさずに努力を続ける最中、同船者の竿を大きなアタリが襲った。その引きは強烈なようで、やりとりに時間をかけていたが何とか無事に玉網に収まったのは70cm級のメダイだった。
 「5月も半ばなのに、浅場にメダイが居るなんて…。」という、船長の言葉もあったのだが、今冬の大雪の影響なのか、ここ白石グリではマダイの乗っ込み(産卵のため浅場に上がってくることの意味)が遅れ、例年同時期に比べて極端に釣果数が少ないという傾向もあることから、海中の水温上昇が遅れていることは間違いなさそうである。

 何はともあれ、釣り味、食味共に「おいしいメダイ」が船の下に居ることが判ったので、こちらも気合いが入る。
 そして、しばらくの間を置いて、ボクのリールが唸り音と共に急速逆転する。すかさずクラッチをONにしてアワセを入れると、強烈に竿を絞り込んでいった。
 
●只今、やりとりの真っ最中●

 久しぶりの強烈な引きを味わいつつ、やりとりを繰り返す。浮上してきた魚を確認すると、”嬉しい”メダイのようである。そして、無事に玉網へと導いてフィニッシュ。

●72cmのメダイ●


 このメダイの後は、船長の狙い通りポツリポツリと単発でイサギが来る。そして、その数が3匹になったところで日没のタイムアウトを迎え、「パッとしない」ままに、この日の釣りが終わった。


■船長のスタイル■

 年明け以降、京都府下の若狭湾に向けて出船する各乗合船に乗船し続けているが、船長にも個性があって面白いし、勉強にもなる。今回のMAYUMI丸の船長は、キャリア30数年のベテランなので、最新の機器や情報ネットワークではなく、その経験から導き出した戦略の下で、客に攻めてもらうスタイルだった。
 MAYUMI丸さんのホームページ内の釣果欄には「フカセでオモリ5号」とか「20号」といった言葉が載っているが、それについて質問をしてみると、潮が速い日には底潮(魚が食う潮)に馴染ませるため、重いオモリを打って強制的に沈めて釣るスタイルを採っているそうだ。その場合、マキエサは船上から撒くのではなく、道糸とハリスの継ぎ目にナイロンカゴを装着して撒くそうだが、そういったスタイルについては、以前からボクは試みてはいたものの、今一モノにできていなかった。勿論、今回のような潮流では無理な話ではあるが、「機会が訪れた日にはそれを学んで帰りたい。」と思った、MAYUMI丸さんでの釣行だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

CRAZY HEART

2012-05-19 12:30:00 | その他
■ジェフ・ブリッジス■

 ボクの好きな映画俳優に、ジェフ・ブリッジスという人がいる。
 初めて氏が出演している映画を見たのは、マイケル・チミノ監督の「天国の門 Heaven's Gate (1981年)」という作品中の、ジョン・L・ブリッジス役が、恐らくそうだろうと思うのだが、この映画を見たのは、同じマイケル・チミノ監督の1978年作「ディア・ハンター」が、大好きな映画だったので、その次作として見ただけというのが理由であった。しかし、元々評判の”よろしくない”映画だったうえ、難解なストーリーにボクはついて行けなかったので、氏が出演していたという記憶が全くない。
 氏が主役として出演した映画の中で、はっきりと覚えているのが、1984年度の「カリブの熱い夜( Against All Odds)」と 「スターマン/愛・宇宙はるかに( Starman)」の二作品だ。同じ年の作品だったので、どちらを先に見たのかは、今となっては記憶にないが、特に「カリブの熱い夜」は今でも印象に残る大好きな映画の一つであり、正式には氏を意識するようになったのは、この作品からだ。
 この映画は、公開当初からサウンド・トラックも話題にのぼっていた。そのサウンド・トラックはラリー・カールトンの切ないスパニッシュ調のオープニング・テーマから始まる。映画の中でもプリンス・ファミリーのキッド・クレオール&ザ・ココナッツが実際に出演し、ライブで演奏するシーンがあり、そして何よりも、ジェネシスのフィル・コリンズが歌うエンディング・テーマが大ヒットしたことは、僕ら世代の人間で記憶する者も多いと思う。
 ボクにとって、この映画は特別の”お気に入り”であった。そして滅多に手を出さないサウンド・トラックCDまでもを購入し、それは今でも所蔵庫に眠っている。
 
●「カリブの熱い夜」のサウンド・トラックCD●

 以後、記憶に残る範囲では「白と黒のナイフ Jagged Edge(1985年)」、「800万の死にざま 8 Million Ways to Die(1986年)」、「タッカー Tucker(1988年)」、「隣人は静かに笑う Arlington Road (1998年)」と、見続けてきたが、ここ近年は映画を頻繁に見なくなったことも手伝って、以降は氏の出演作品に触れてはいなかった。

 そんな中、久しぶりに見たのが、「トゥルー・グリット True Grit (2010年)」だった。この作品で彼は保安官役を演じているのだが、円熟さが増した中、役作りの「ドロドロ具合」が絶妙であり、それでいて「男らしさ」が光っていてたまらなく素敵だった。そう言えば若い頃から氏は、何となくスマートとは言えない体型であり、そのせいか、「男臭く」であったり、「切なく哀愁の漂う」役どころの映画が多かったように思うが、その意味でこの作品は、氏の中の王道を行く映画だった。
 見終わって以降のある日、ボクがこの映画について調べていると、この作品で氏は二年連続でアカデミー主演男優賞にノミネートされたということを知る。そして更に、そのノミネートについて調べる一方で、AMAZONのサイト内にて氏自身が歌うCDが販売されていることを知った。そしてその結果、遅まきながらたどり着いたのが、氏の「アカデミー主演男優賞受賞」初受賞作の「クレイジー・ハート Crazy Heart(2009年)」という作品だった。


■クレイジー・ハート (Crazy Heart)■

 映画「クレイジー・ハート」のサイトでは「Crazy Heart」を「荒ぶる魂」と訳している。まさしくその通り、この映画は主人公の”ドサ回り”カントリー&ブルース・シンガーであるバッドが、過去の栄光からの転落の果てに落ちぶれ、更には若い世代に追い越され、日々腐ってゆくが、自分自身を見つめ直し、「荒ぶる魂」を再度奮い立たせることで立ち直ってゆく姿を描いている。そのストーリーには展開に大きな盛り上がりがあるわけではなく、バッドの生き方に沿って淡々と描かれてゆくあたりは、リアリズムを感じて非常に好ましいし、味わい深い。
 振り返って自分を見つめれば、年を食って頑固になったせいか、意地を張ったり、素直になれなくて事態がこじれてしまったり、以前であれば、こなしていたことも億劫になってしまったりと、日々反省することが多い。バッドのように現実の全てを受け入れ、心に鞭を打ちつつ、「ここで立ち上がらなくては」思うことしきりである。

 「なぜカントリー&ブルース・シンガーなのか?」ということに関しては、カントリーや、ブルースといった音楽がいわばアメリカ人の心の音楽であるからだろうけど、日本で言うところの演歌に近い(あれほどには詩の内容は臭くはないが…。)感覚だと思えばいいと思う。
 そんな曲の数々をバッド役のジェフ・ブリッジス氏はギターを手に、吹き替え無しで演奏し歌っているが、それはまるでプロの演奏そのものに見える。こういった点が映画のストーリーをリアルな存在にさせ、見る側がすんなり感情移入できるようになるのだが、例えば日本映画だとまるで嘘な手元やその他の「吹き替え」でお茶を濁すことの方が多く、残念至極である。ついでを言うのなら、競演する「トミー・スィート」役の、コリン・ファレルの歌も吹き替え無しの本物だ。
 また、この映画を見た後に氏の1989年度作品である「恋のゆくえ~ファビュラス・ベイカー・ボーイズ The Fabulous Baker Boys」を見たが、ここで氏は実の兄と競演してジャズピアノを弾き、歌っている。恐らく「役者になるのなら、他の芸も磨かなくては」と思い、本気で取り組んできたからこんなことができるのだろう。氏以外にも吹き替えなしに演技する役者はアメリカには多いが、そんな人々の演技が母国語で見られるアメリカ人(イギリス人その他も)が、羨ましくも思えてしまった。

 話は(いつものように)逸れてしまったが、映画「CRAZY HEART」では、歌の歌詞の内容が大事な要素になってくる。最後にバッドが至った境地は、彼が懸命に作った、ラストシーンで流れる曲の歌詞に込められているのだが、残念ながら和訳されてスーパーで流されるのは、極一部分なのだ。しかもそれが解らなければ、この映画の更なる深みが伝わってこないから困りものだ。
 ボクの場合はAMAZONで日本版のCDを取り寄せたのだが、このCDを購入した人達の口コミ通りに日本語歌詞カードは無く、インターネットでいろいろと調べて納得した次第だ。

●クレイジー・ハートの日本版CD●

 だから、もし、この映画を見るのなら、インターネットで「クレイジー ハート 歌詞」とGOOGLE検索すれば、各種の訳が出てくるから、ラストシーン用に、あるいは見終わった後でもイイから歌詞の内容を確かめておいて欲しい。

 この映画が世に出て以来、3年も経つのに「何を今更」の話題ではあるが、今でもボクの心には、その味わいが残っており、思い入れのある映画の一つとなっている。その辺はご理解を。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮津沖の釣り

2012-05-12 12:30:00 | 船釣り・釣行記
■宮津発の釣り■

 近頃続いている「沖釣り行脚」では、舞鶴市近辺を母港とする船を利用していたが、諸事情があって今回は宮津市を母港とする船を利用することになった。とは言っても両市は隣同士であり、向かうポイントも、主に冠島周辺と経ヶ岬沖なので全く同じだ。その上、自宅から港までの陸路と、港からポイントまで到達時間もほとんど同じだから、差は全くない。

 今回利用した釣り船は宮津漁協横から出航する「栄航丸(えいこうまる)」さんだ。
http://www.eikoumaru.com/index.html
 この船も、以前にお伝えしたブンブン丸さんと同様に、乗合船での募集の際は少人数制となっており、4人までしか乗せないので、ボクのような「フカセ派」にとってはありがたい船の一つだ。ちなみに、潮下方向に長距離を流すフカセ釣りは、5人以上では仕掛けが絡んでしまうので、全員がこの釣りをするのなら、定員は4人が限界だ。

 栄航丸さんでは、乗合船内の席順を決める際には”じゃんけん”を用いる。以前にも書いたように、くじ運と並んでじゃんけん運も最悪なボクだが、この日は何と奇跡の一位通過を果たしたのだ。しかし、当日の参加人員は3人。これでは席順に優劣がほとんどつかない状況なので、順位はあまり意味がない。
 「こんな状況でしか勝てないのも悪さの表れなのかも知れない」と思いつつ、準備がを済ませ、出航時間を迎えた。


■冠島周辺■

 凪の海を順調に走り、冠島の大島と小島の中間にある天然魚礁=中津神に到着する。もちろん、少人数なのでボクはフカセ釣りを選択した。
 訪問時の、この近辺での釣果傾向は、ハマチよりも更に小型の40cm以下のブリの幼魚であるツバスがほとんど入れ食い状況だと聞いていた。 

●中津神周辺のポイント●

 本人の性格にもよるが、初心者や普段からあまり釣りをしない人は、手軽に釣れる魚を喜ぶ傾向にある。しかし、ボクの場合は釣り歴は30年を超えているから、少しの刺激では、もう満足することはない。だから、小さな魚の数釣りはあまり嬉しいモノではなく、たとえ一匹しか釣れなくても、仕掛けを切られることにハラハラしながらの攻防や、苦労した末にやっと食わせた魚のように「印象に残る魚との出会い」の方が嬉しい。ただし、乗合船の場合は他のお客さんが居るので、我が儘を通せないのは仕方のないことだが…。

 そして、実際に釣りが始まると、近況通りにツバス・クラスが初っぱなから入れ食いになった。

●大はギリギリでハマチ、小はツバス●

 約1時間、全員に土産が揃ったところ(ボクは6本)で、船長から「このまま釣り続けてもしょうがないから、もう少し魚の大きそうなところへ移動しましょうか?」との提案があった。もちろんボクは即了承したが、幸い同船の釣り人もこの船に通い慣れた人らしく、この提案に賛同し、次なるポイントへ向かうことになった。


■天秤ズボ■

 次なるポイントは水深95~100mラインにある、2カ所の人工漁礁だった。内1カ所は恐らく3月初旬にバラシをやらかしたポイントだと思われ、気合いが入ったが、意に反して全く潮が動いておらず、天秤ズボで狙うが、エサも取られぬ不発のまま、数投で退散する。
 もう1カ所に移動後は少しの間、アジが釣れていたが、これもすぐにアタリが途絶えてしまった。
 どうしようもない状況下、船長から「嬉しいお告げ」があった。何と、今から白石グリへと向かうと言うのだ。僚船からの情報ではあまり芳しくない状況ではあったが、「玉砕覚悟で向かおうか?」との提案だ。普通、よほどのことがない限り、冠島近辺から白石グリへの移動はないが、昨今の燃料費高騰の中で、釣り人の意向を汲んで移動を決意した船長には感謝!感謝!である。


■白石グリで新たな試み■

 白石グリに着くとウマく僚船の横に潜り込むことができた。そこからフカセ釣りで攻め始める。時刻は午後3時半になっていた。
 一投目、仕掛けにはウキやオモリを着けない標準の状態で流してみると、船尾右斜め45度方向に一旦入った後、ある程度の水深までに仕掛けが到達すると、逆に右折れして船首方向左斜め45度方向へと向かう「二枚潮」の状況だった。
 釣りやダイビングをしない人にはイメージし辛いかも知れないが、海中は水深によって何層かに分かれていて、その各層で水温や流れの速さ、方向が違うことも多い。そして「イイ魚=本命魚」が食うのは大体において中~下層が多く、上層で食ってくることは少ない。
 だから、「如何にしてその流れに仕掛けを入れるのか」が重要になってくる。今までボクの場合は、エサ取りが少ない状況下であれば、仕掛けにオモリを追加して、早くその流れに入れてしまうことが多かった。しかし、前々からこの方法だと、船尾から直接上撒きするマキエサの沈んでいく位置と、オモリで強制的に沈める仕掛けの位置とのズレが大きくなると思っていたので、更に工夫が必要だと感じていた。
 そこで、今回はどこかで読み、聞きかじった違う方法を試すことにした。つまりそれは、最初に手たぐりで30m分の糸をリールから引き出し、まずは無抵抗の糸の重みで仕掛けを沈める。そしてリールのクラッチを入れて糸を送り出さないようにしておき、水中で弛みを伴って沈んだ糸が潮流によってピンと張るのを待つ。仕掛けが十分に張ったら、クラッチを切り、そこからフリーで流し始める方法だ。ただし、このままだと水中での糸フケが次第に増えるだろうから、水深の2倍=この日のポイントだと130m流した時点で、もう一度リールのクラッチを入れて一旦停止し、約20秒のカウント後に再び流し始めるという、二段構えで臨んだ。
 この流し方であれば、糸フケの少ない状態で仕掛けが流れ、しかもスロープ状(=これも理屈だが)に沈んでゆくマキエサの通り道の中をハリにエサの着いた仕掛けが進んでゆくというイメージになる。
 とある磯釣り名人が、「『海中で魚がハリに着いたエサを食う』とは甲子園球場にバラ撒かれたパチンコ玉を魚レベルのIQの範囲内で探すようなモノ」と言っていたが、釣果を伸ばすのは、そこから人間の知恵で如何に確率を上げてゆくかにかかっているのだ。
 勿論、今回のようなボクの現場での試みは、あくまでも「机上の理屈」の範囲ではあるが、こういった想像と実践はステップ・アップには欠かせない要素なのだ。

 そして、調整を繰り返しながら、流すこと3回目。130mで一旦リールの回転を止めた後、程なく竿先をひったくってゆくようなアタリがボクの竿を襲った。
 途中で、何度か竿を絞り込んだと思えば休憩をしたり、竿先をコンコン叩くような引きを示すのはマダイのそれであり、大きさから言うと、中型のようだ。
 そして、この日初めてのマトモな引きを味わった後、予想通りのサイズが玉網に収まった。

●62cmのマダイ●


 続いて上述したのと同じ方法でメジロをゲットする。

●70cmのメジロ●

 フカセ釣りは一旦仕掛けの調整が合うと潮が変わるまで釣果が連続するのだが、この日もその後は好調に、それも一投ごとに空くじ無しに釣れ続いていく。

●メジロをダブルでゲット●


■状況変化■

 しばらく後、続いていた釣果が突然止まり、ハリに着いたエサがそのままの状態で帰ってくるようになった。その際の仕掛けの流れ具合を振り返ると、中~低層に入ってからリールの回転が速まっていた。このことから底部の潮流が早くなったと想像し、仕掛けが沈んだ後、一旦張りを作った後は仕掛けを止めることなく流してみることにした。
 そして、この調整が功を奏したのか、アタリが復活して最後の一投でもメジロのダブルで締めくくることになった。

●正味、二時間半の全釣果(前半のツバス&ハマチは同船者へ進呈)●


 釣り始めからの5時間は、ツバスくんには悪いけれどもロクな魚が無く、冷や汗モノの釣果だったが、白石グリに移ってからの後半は一転して連発となり、アドレナリンが出まくりの状況だった。こんな展開を釣りをしない人が知ると、「博打と変わらないかも?」と思うだろう。しかし、博打で当たる確率は、いつまで経っても確率の範囲内であり、本人の努力は及ばない。しかし、釣りは知識や経験、そして努力によっては「食わない魚に口を使わせること」が可能になることもある。
 「だから釣りはやめられない」のだ。しかし、そこのところがボクのつたない文章で伝わっているのか、その辺は疑問なのだが…。

 とにもかくにも、この日は上機嫌で釣りを終えたのであった。


■船頭さんとの相性■

 以前にも書いたことだが、デンと構えて動かない人、マメに動く人等々、船頭さんにも色々あるが、ボクの場合は自身の性格上、よく動く人の方が相性が良い。今回の栄航丸さんも、そんな船頭さんの一人だった。少人数制の乗合船は嬉しい計らいであり、ボクにとって栄航丸さんは今後もお世話になりたい船の一つになった。次の訪問が待ち遠しい宮津沖釣行だった。
 しかし、「先立つものが…。」



追伸

 この時期のメジロはやや脂が落ちてあっさりとしているが、ゴールデン・ウイーク中に塩釜焼きに挑戦したところ、その味が絶品だと言うことが判明する。これも楽しみの一つに加わった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黄檗山 萬福寺

2012-05-05 12:30:00 | 旅行
■異質の禅寺■

 「古寺ガイド」的な本を眺めていたある日、大伽藍を構える一つの禅宗寺院が目に入った。その名を「黄檗山 萬福寺(おおばくさん まんぷくじ)」という。
 目に入ったには、もちろん理由がある。普通、禅寺というのは「三門があり、本堂や法堂があって、方丈や枯山水の庭があって…」といったあたりが目に浮かび、一定のルールとでも言うべきか、ある種の制約があるか中での、寺院それぞれの個性ある姿を想像してしまうのだが、ここばかりは勝手が違い、想像を超えていた。そのほとんどが異質なのだ。

●「黄檗山 萬福寺」の全景図~その1●

●「黄檗山 萬福寺」の全景図~その2●

 
 この寺の開祖である隠元禅師は、中国の明朝末期~清朝初期に福建省から渡来した禅宗の僧だ。1654年の来日以降、紆余曲折いろいろとあったが、最終的には徳川四代将軍、家綱の要請を受け入れて、故郷の中国で住職をしていた寺と同名の萬福寺と名付け、1663年、現在の京都府宇治市に開山したのが、この大伽藍の始まりだ。以来、中国由来の正統派臨済禅を唱える禅宗寺院(現在では独立分岐して黄檗宗に改められている。)として発展してきた。
 で、あるから、ここの異質さの元は、開祖である隠元禅師が渡来した人だったということにあるのだ。
 ちなみに、今日食材として普及している「インゲン豆」は、この隠元禅師が来日と共に日本国内に持ち込んだ物だそうだ。

●隠元禅師像●

 中国風を表す言葉として、唐様(からよう)という言葉がある。隠元禅師が渡来した時期は時代が違うので、明様と言うべきか、清様と言うべきなのかは判らないが、とにかくこの大伽藍のすべてに唐様という言葉が当てはまる。

 また、山号の黄檗山とは、元の萬福寺に黄檗樹という柑橘系の樹木が生い茂っていたことから名付けられたのだそうだ。
●境内に残る黄檗樹●


■摩訶不思議■

 桜の散り始めた頃、妻と二人で黄檗山萬福寺に向かった。大駐車場に車を駐めると、一旦緩やかな坂道を下る。…しかし、ここにある総門が、いきなり不思議な形で我ら夫婦を出迎えた。そう、まるで竜宮城の入り口のような形をしているのだ。

●総門●

 この不思議な門をくぐり抜けると、境内に入るのだが、「不思議」と言えば、この総門と、いくつかの建物の屋根に着いているのが、「摩伽羅(まから)」という、想像上の生き物だ。

●総門の屋根にある、摩伽羅●

 一見「鯱鉾(しゃちほこ)」にも見えるのだが、胸ビレの代わりに足が生えている。鯱鉾は「口から水を吹く」ということから、確か、火除け(防火)だったハズだが、この摩伽羅は魔除けだそうで、女神の乗り物としてガンジス川に棲息するワニだとも言われている。そうすると、四国香川の金比羅(こんぴら)さんに祀られているのもガンジス川に棲息するワニだそうだから、「何か関連があるのだろうか?。」とも思ったりするのだが、確証はない。
 「摩訶不思議」という言葉の語源には諸説あるそうだが、この不思議な生き物である摩伽羅も、その一説だそうである。


■中心部へ■

 総門から三門へと向かい、受付で拝観料¥500を払い込んで奥へと進む。

●三門●

●三門に掲げられる「黄檗山」の額●

 この三門もそうだが、この伽藍内の建物の屋根は端が反り上がり、いかにも唐様であり、他の寺院とは全く趣が違う。唐様と言えば、各所に掲げられている額内の書体も日本のそれとは違う唐様だ。

●萬福寺の額●


 中心部に入ると唐様感は更に増す。
 境内は訪れる人もまばらで、ガランとしているのだが、あまりの唐様に、そこに山吹色をしたツナギのような道着?姿の少年たちが、ヌンチャクや三節棍などを持って修行をしている姿が目に浮かび、映画その他で見た少林寺の風景(恐らく、それもこちらの勝手な想像の世界だろうけど…。)がオーバーラップしてくる。

 いちいち説明してゆくと大変なので、唐様を写真で綴ると…。

●桃が、いかにも唐様だ●

●華光菩薩●

●布袋様を祀る「天王殿」●

●布袋様●

 寺院なのに「なぜ七福神の布袋様が?」と思うだろう。これは、中国では布袋様が、お釈迦様の入滅後56億7千万年後の未来に姿を現して多くの人々を救済するとされる、弥勒菩薩様の化身とされているからだ。

●ご本尊の「釈迦如来様」までもが唐様●

●木魚の原型とも言われる、開版(かいぱん=魚梆と表記することも)●


■拝観を終えて…■

 本文でも触れたように、内部の建築物はおろか、般若経の読経までを含めたほとんどすべてが唐様で、境内は、まるで中国だった。行ったことは無いにせよ、日頃映像等で中国の寺院は見慣れている現代人?のボクであっても、その様子は十分に「驚きの世界」だった。しかも、現在の萬福寺は、経年劣化で退色しているのだから、創建から時間が経っていない時期の金箔や朱塗りも鮮やかな江戸中期頃に、ここを拝観した人々の目にはどう写ったのだろうか?。恐らく、鎖国が続き、他国の情報がほとんど届かないない時代だから、現代人が初めてディズニー・ランドに行った際の何十、何百倍も衝撃的だったことだろう。
 これは、あながち間違いではないようで、江戸中~後期の女流俳人である田上菊舎尼(1753年生まれ)が、この萬福寺を訪れた際に、こんな句を残している。

「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄」

 己の不信心さが露呈する表現かも知れないが、まさしく「江戸期のテーマパーク」という言葉がピッタリの黄檗山萬福寺だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする